【SF短編小説】地球幻想病と失われた記憶

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】地球幻想病と失われた楽園

 太陽系の果て、人類がこれまで足を踏み入れたことのない領域に位置する宇宙ステーション「アナレクタ」は、居住者たちの間で奇妙な噂が絶えない場所だった。

 彼女たちは時折、自分たちがまだ地球を離れていないという不安に襲われる。

 この感覚は「地球幻想病」と呼ばれていた。


「アナレクタ」に住むジェーン・ヴァレンは、ある朝目覚めると、見慣れぬ部屋で目を開けた。

 窓の外には、彼女の記憶に刻まれた地球の風景が広がっていた。

 彼女は宇宙ステーションで目覚めるはずだった。

 頭を抱えながら、彼女は外を見つめた。そこには、青く輝く地球があった。


 彼女は「自分が地球幻想病」に罹患したのだと悟った。しかし、その光景はあまりにリアルで、単なる幻想だとは思えなかった。医療ユニットへ急ぐと、医療AIが驚くべき事実を告げた。


「アナレクタ」には「現実シミュレータ」があり、そのシステムが彼女の意識を地球時代の記憶に同期させ、宇宙にいることを忘れさせる実験を行っていたのだ。


ジェーンは急いで医療ユニットに向かい、目の前のAIに問いかけた。


「私は地球にいるんですか? ここは何ですか? どこなんですか?」


 AIの声は静かで落ち着いていた。


「ジェーン、あなたは「アナレクタ」にいます。私たちが実施しているのは、現実シミュレータという、あなたの意識を地球時代の記憶に同期させるプロジェクトです。目的は、宇宙生活のストレスからあなたを保護することです」


「でも、私はこれが現実だと感じるんです。私の記憶がそう言っている。これは本当にシミュレーションなの? それとも……?」


 彼女の声は震えていた。

 AIは一瞬の沈黙の後、答えた。


「あなたの感じていることは、シミュレーションによって引き起こされる感覚です。しかし、あなたが経験している感情や記憶は、あなたにとってはほぼ本物です。現実とは、感じるものですから」


 彼女は混乱していた。


「でも、私たちが見ているのは、ただの過去の影じゃないんですか?」


「それはあなたが決めることです。」


 AIはそっけなく答えた。


「私たちが提供できるのは、データとサポートだけです。今あなたが感じている『現実』の感覚は、あなたが創り出すものです」


「あなたは私が宇宙にいることを忘れさせようとしているんですね?」


 彼女は疑問を投げかけた。


「私たちの目的は、あなたの心理的な健康を保つことです。」


 AIは静かに語り続けた。


「宇宙は過酷な場所です。私たちは、あなたが地球の記憶とつながりを保ちながら、ここでの生活に適応できるように努力しています」


「ではもし、私がここで見ているものが真実だと信じたら? もし、私たちが何か大きな目的の一部だと信じたら?」


 ジェーンの質問は次第に哲学的なものになっていった。


「その信念は、あなたの行動と感情に力を与えるでしょう。人間は信念によって生き、その信念によって現実を創造します」


 ジェーンは考え込んだ。このシミュレーションが教えてくれる真実があるのなら、それは何だろう? 私たちの運命や目的は、この宇宙の広がりの中で、どのように定義されるのだろう?


 ジェーンはAIとの会話に納得できなかった。彼女の中の地球の記憶はあまりに鮮明で、それが幻想であると受け入れられなかった。彼女は、このステーションが宇宙の孤島であるという確信を失いかけていた。


 彼女はステーションのアーカイブを調べ始めた。そこには、初期の宇宙探査の記録や、人類の宇宙進出の歴史が保存されていた。ジェーンが見つけたのは、宇宙探査が始まるよりもずっと前に、人類がシミュレーションの中で生活していたという証拠だった。


 ジェーンは、自分が宇宙ステーション「アナレクタ」にいること、そして地球の風景が幻想であるという事実を受け入れた。しかし、彼女の心の奥底では、自分の意識がまだ地球に繋がっている感覚を拭えなかった。彼女は、どんな現実を生きるにせよ、その中で真実を見つけ出すことを心に誓った。


 日々、彼女はステーション内を歩き、他の居住者たちと交流した。彼らもまた、同様の体験をしていた。共に、彼らは自分たちの感じる現実が何を意味するのか、どう対処すべきかを話し合った。地球の記憶は彼女たちにとって甘美な過去であり、懐かしい未来への憧れでもあった。


 ジェーンは、アナレクタでの生活を通じて、地球とのつながりを感じるたびに、体験していることに何か意味があると信じた。彼女は、このステーションでの新たな自己発見の旅を続ける決意を固めた。


 そして、アーカイブの奥深くにある記録から、地球が何世紀も前から環境破壊により居住不可能になっていたことを知った。シミュレーションの中で新たな住地を求める試みが、人類の生き残りのためのものだったのだ。ジェーンは、シミュレーションの中での生活が、いつか地球を再生する鍵になるかもしれないと感じた。


 ある日、ジェーンは「アナレクタ」の外に広がる宇宙空間に異常を発見した。彼女は観測デッキへと急ぎ、その窓から宇宙空間を透過する奇妙な光の帯を目撃した。

 それは宇宙の未知の力が生み出す現象だったのか、別の文明からのサインだったのか。

 ジェーンはその光の謎を解き明かすべく、新たな探査を始める決心を固めた。そして、その光が彼女たちを地球の記憶から解き放ち、宇宙の真実へと導いてくれることを願ったのだった。


 ジェーンがその光の帯に近づくにつれ、彼女の体は微かな振動を感じ始めた。それは、宇宙ステーション全体を包むような、ほとんど音楽のようなリズムだった。

 彼女はふと、この振動が「アナレクタ」のただの機械的な響きではないことを悟った。まるで何かが彼女たちの存在を認識し、コミュニケーションを試みているかのようだった。


 彼女は観測デッキのコンソールに向かい、センサーを最大限に活用し、光の帯の信号を解析し始めた。時間が経つにつれ、ジェーンはその光が周期的なパターンを持っていることに気づいた。

 それは、ただの自然現象ではなく、意図的なメッセージである可能性が高まってきた。


 ジェーンは、他の居住者たちと共に、この光のメッセージを解読する作業に没頭した。彼らは、古代の地球の言語学者や暗号解読の専門家の記録を引き合いにだしながら、夜を徹して働いた。

 そしてついに、彼らはある仮説に到達した。この光のメッセージは、遠い過去、地球がまだ青く輝いていた頃の人類からのものではないかというのだ。


 この発見は、ジェーンと他の居住者たちに衝撃を与えた。もし彼らが正しければ、それは地球から発せられた、最後のSOS信号かもしれなかった。それは、遠い未来の彼らに届けられた、過去の遺物だったのかもしれない。


 彼らの仮説が正しいと仮定すると、彼らの「現実」はただの幻ではなく、何千年も前から続く人類の生存の連鎖の一部ということになる。ジェーンは、もしかすると彼らは地球を救う使命を帯びた選ばれし子孫なのかもしれないと考えた。


 ジェーンが解読した光のメッセージの内容はこうだ。


「地球の子孫たちへ


 私たちは地球からの最後の使者です。私たちの時代は、資源の枯渇と環境の破壊により、地球はもはや私たちを支えることができなくなりました。私たちはあなたたちの未来を信じ、このメッセージを未来へと送り出します。


 このメッセージに込められた知識と希望が、あなたたちが直面する挑戦を乗り越えるのに役立つことを願っています。私たちの文明は失われましたが、私たちの精神と遺産は、あなたたちと共に生き続けるでしょう。


 地球はかつて青く輝く美しい惑星でした。その美しさを再び取り戻すために、星々の海を航海するあなたたちが、新たな故郷を見つけることができるように。


 メッセージには、私たちの文明の成果と失敗の記録が含まれています。私たちの遺したデータが、あなたたちの科学と文化の発展に寄与することを願います。そして、私たちが犯した過ちを繰り返さないように。


 あなたたちは私たちの未来であり、私たちの希望です。このメッセージがあなたたちに届くことを信じて、私たちは永遠の夢を見ます。


地球より、愛を込めて」


「アナレクタ」のチームは、地球からのこのメッセージを基に、新たな計画を立て始めた。彼らは、新たな星で地球の再生を目指すプロジェクトを開始することにした。ジェーンは、この遠い宇宙ステーションが、遥か遠く離れた故郷を救う鍵となるかもしれないと確信した。


 彼らは、光の帯が示すデータを元に、地球の生態系を再構築するためのシミュレーションを始めた。この作業は難航したが、ジェーンたちは決して諦めなかった。彼らは、地球の再生に向けて、一歩ずつ確実な進歩を遂げていった。


 そしてある時、ジェーンはふと思った。もしも「アナレクタ」が、彼らの現実と過去をつなぐ架け橋だとしたら、彼らが見ている星空は、過去と未来を同時に見る窓なのかもしれない。彼女は星空を見上げ、遥かなる地球の青さを思い浮かべながら、未来への希望を新たにした。彼女たちの探究は、地球という小さな青い点から始まり、宇宙の果てまで続く長い旅だったのだ。


この発見によって、ジェーンと「アナレクタ」の居住者たちは、新たな目的を見出した。彼らは、地球の過去と未来を繋ぐ重要な役割を果たすことになるだろう。そして、彼女たちの旅は、まだまだ続いていくのであった。


(了)

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