部室の悪魔 〜泣きむし翠の退魔録〜【短編】

浅里絋太

部室の悪魔

 僕は昼休み、教室の席にいた。


 窓際の席からは校庭が見渡せる。空には秋のいわし雲がこんもりと浮かんでいた。


 そこに同じクラスの女子――学級委員の三橋さんがやってきた。肩にかかる黒髪に、きりりとした目が印象的だ。すらりとしていて、ブレザー姿もさまになっている。


「ねえ、ごめんね、橘花たちばなくん。休んでるとこ」


 僕みたいな目立たないやつに、なんの用事だろう。そう思いながら、


「え、どうしたの? なんだろ……」


 すると三橋さんはさらに近づいてきた。みかんのような、柑橘系のにおいがした。


「あのさ、橘花くんって。退魔師だって聞いてさ」

「あー、まあね。正確には、見習いだけど」

「そっか、やっぱり」


 そう言って、三橋さんは厳しい目つきを緩ませ、ふわりと笑顔を浮かべた。僕は尋ねた。


「それで、なんだっけ? 僕への用事って」


 すると三橋さんはうなずいて、


「ありがと。そうなの。実は、わたしの所属してる、剣道部の部室に、恐ろしい悪魔がいるの……」




 授業が終わった夕刻、僕は紺色のサブバッグを肩にかけ、三橋さんについていった。


 サブバッグには、退魔で使うための短刀、『霜月しもつき』が、こっそりとしまわれている。見つかると厄介なことになるから、学校の中では開けたことがない。


 三橋さんは黒髪を揺らしながら、部室へと先導してくれた。体幹ができていて、歩き方に隙がない。故郷で鍛えられた僕には、そういうことがわかる。


 三橋さんは移動しながらこんな話をしてくれた。



 先月くらいから、部室、というか剣道場に、凶悪な悪魔がやってきて、みんなに迷惑をかけ、呪いをかけているのだと。


 黒い影みたいなものを見かけたり、音を聞いたりした部員もいる。


 それからというもの、不幸が続いた。


 部員が交通事故に遭う。悪夢を見る。練習中に怪我をする。……それ以外にも、おかしなことが続いた。


 それから部員は、いや顧問の先生も含め、悪魔を警戒するようになった。ひとりで練習しないようにしよう。神社とかにお参りしよう。塩を盛ろう。とか。


 そんな中で、退魔師というものに相談しよう、となったそうだ。



「あれから、剣道部の空気も悪くなって、言い争いも増えて。みんな、練習にも身が入っていないの……」


 と、眉を寄せる三橋さんに僕は答えた。


「そっか。そりゃ、困ったね」



 渡り廊下を進むと、その先に体育館。さらにその横に建物が見える。そこが剣道場だ。



 剣道場の玄関に入ると左右に下駄箱があり、正面奥に床張りの道場が広がっていた。


 ちらほらと他の部員もいた。


「なにか、わかる?」


 と三橋さんは言った。


「いや。どうだろ。中も見てみよっか」


 そうして僕は道場に入り、「失礼します」と言った。


 すると後ろから三橋さんも、同じように挨拶して入ってきた。


「え、橘花くん、剣道とかやってたの?」

「ん、なんで?」

「いえ。なにか、道場の入り方とかが、ちゃんとしてるから」

「あー。そうかもね。剣道じゃないけどさ。里で修行してたとき、先生に、その手のことを叩き込まれたからね」

「へえ、そうなんだ」


 と、三橋さんは不思議そうな、興味を持ったような表情をした。


 左手に男子更衣室。右手に女子更衣室があった。独特の汗のにおいがした。


 僕は順番に見せてもらった。


 最後に女子更衣室に入ったとき、薄暗い棚の片隅に、妖気を感じた。闇がそこだけ濃い感じも。


「なにか、いる…………」


 そう言って僕は、サブバッグを開けて、用心のために短刀――霜月を取り出した。


 漆塗りの黒い鞘を左手に掴みながら、呼吸を整えて意識を集中させた。


 すると、徐々にの姿が見えてきた。




 女子更衣室の周りには、十名ほどの部員が集まっていた。


 みんなの声が聞こえてきた。



 ――悪魔が見つかったんだ。


 ――早く退治してくれよ。


 ――あいつのせいで、全部うまくいかない。


 ――ほんと気味が悪いよね。



 そんな中、僕は腕にそいつを載せて、女子更衣室から出た。


 みんなはどよめき、後ろに退がった。


 そのとき、集団の先頭にいる三橋さんが、


「え、それって。……それが悪魔?」



 僕の腕の中には仔猫がいた。――正確には、小さな猫の形をした妖魔だ。


 は目を広げ、おびえたように周りを見ている。


 三橋さんは続ける。


「え、それがみんなを苦しめて、呪ってるの?」


 僕は首を振って、


「どうだろね。まあ少なくとも僕は、こんなのが、みんなを呪う、みたいなことは、聞いたことがないね。たんに、迷い込んで来ちゃっただけかな。――できることなんて、せいぜい、たまに音を出すとか、そんなんだよ」


 すると、部員たちは顔を見合って、



 ――なんだよ、あいつが元凶なんだろ。


 ――悪魔なんでしょ。


 ――早く退治してくれないのかな。


 ――きっとみんな、殺されちゃうよ。



 そこで僕は言った。


「あのさぁ、みんなそんな鍛えてるのに、こんなのが怖いの? 僕はどっちかっていうと、みんなの方が、怖いよ…………」


 そうして僕は右腕に猫を抱えたまま、玄関口へと歩いていった。




 そこで、右腕を広げた。


 猫は「なーあー」と呑気に鳴いて、夕焼けの中に走っていった。


 その背中は次第に、水に溶ける薄墨のように消えていった。



 僕はサブバッグを取りに、剣道場に戻った。


 そこで、しょんぼりとした三橋さんは、


「はあ、橘花くんの言うとおりね。……無駄に、疑心暗鬼になってた。みんなも、わたしも」


 僕はサブバッグを持ち上げて、


「仕方ないよ。妖魔なんて、見慣れないだろうし」

「そうね。でも、きょうは、ほんとにありがと」

「いや、いいよ。でも、解決して、よかったね」


 すると、三橋さんはどこか恥ずかしげに、


「あ、あのさ、橘花くん。よかったら、お礼にさ。週末にでも……」


 僕は頭を掻きながら、


「もう、行くよ。このあと、別の用事があってさ」


 そう言って僕は、霜月をサブバッグの底にしまう。


 これから夜がくる。街の夜は深い。


 人間の闇と同じくらいに――。




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 本作は、以下の本編から派生した短編小説バージョンです。

 短編小説としてもお楽しみいただけますが、よかったら以下の本編もどうぞ!

 https://kakuyomu.jp/works/16818023213305826143

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