花鳥風月 津々うらら

かこ

 昔々――といっても二千年ほど前の話でございます。大和やまとの国が建ち、神々が中つ国へと降りてまいりました。自然を愛し、人を愛した彼らは姿を変え、神獣と呼ばれるようになるのはそう時間はかかりません。人々は彼らを崇め、あるいは友として過ごしておりました。

 時は流れ、明正めいしょう御世みよに文明開化がなさたのでございます。蒸気機関や外国文化が取り入れられ、山を切り開き新天地を求める者も出てまいりました。

 さて、そこで困ったのは神獣達でございます。森羅万象が乱れれば、よどみが生まれ、けがれを受け、苦しめられたことは運命さだめだったのでしょうか。

 一方で、のために心を痛めた一族がおりました。神々の血を受け継ぐ彼らの舞と音は、風を呼び、火を起こし、水を湧かし、花を喜ばせ、神獣の心をなぐさめました。


 もうお気付きでしょう。この物語は荒ぶる魂を宥め静める舞姫と奏者の物語でございます。

 さぁさ、さぁさ新たな旅を奏でましょう。



❉ ❉ ❉



「サンちゃん、起きて」


 重い瞼を開けました。姿が山椒魚に似ているから『サンちゃん』。わたくしめの呼び名でございます。正確には山椒魚ではありませんが、細かいことは気にしません。寛容な心を持つ神獣ですからね。

 なにせ、ヤヨイ様からいただいた名でもあるので気に入ってもいるのです。


「あの神獣の穢れをお願いできるかしら」


 ヤヨイ様の願いに応えるために顔を上げました。

 駅の乗降場は人でごった返しております。ヤヨイ様の肩に乗せていただいているとはいえ、なかなか見つけることができません。


「寝坊助、あそこだ」


 トウマ様が横から指差します。寝坊助、は余計ですけどね。

 視線を向ければ――いました、いました。わたくしよりもひと回り小さな亀がいらっしゃいます。

 頷けば、ヤヨイ様は小さく笑みました。鞄から鈴のついた扇を取り出し、わずかに開きます。


いにしえよ、かしこみかしこみもうす」


 ヤヨイ様のうたが始まると同時に飛び降りました。するすると人の間を抜け、しゃんと澄んだ音と共に口を開き、亀の上に浮き上がった黒いもやを吸い込みます。

 なるほど、なるほどこれはくさい。川や池に流された穢れを一身で受けられたのでしょう。もう心配いりません。わたくしは丈夫な腹を持っているのです。

 飲み込み終えると、亀は首をのばして礼を取り、何処かしらへと去っていきました。元いた場所に帰れればよろしいのですが、もしかしたら無くなっているかもしれませんね。新しい安寧の場所ができることを祈りましょう。

 いい仕事をしたとヤヨイ様の肩へよじ登ると、笑顔を向けられます。


「ありがとう。寝ているところを起こして、ごめんなさいね」


 滅相もないと首を振れば、困ったように笑われてしまいました。

 つばの広い鶯色の帽子に、揃いのドレス。簡素な造りに橘色の飾りが映えます。月のように輝く髪をのぞめないのは大変惜しく思いますが、毛色で目立ちたくないというヤヨイ様の希望なので仕方がありません。瑠璃色の瞳は帽子の影で黒に見えました。

 手ずからいただいた褒美は金柑でございます。ふむふむ、これは西の香りがいたします。苦味と酸味で、甘味が人一倍おいしく感じられました。


「緊張感がなさすぎる。そこらに捨てたら、犬の餌ぐらいになるんじゃないか」


 恐ろしいことを申す男はトウマ様です。性格と同じように所々はねた黒い髪に、ヤヨイ様と同じ瑠璃色の瞳をお持ちです。少々、羨ましいと思っているのですが、絶対に教えてはあげません。絶対に。今は書生然とした着物と袴で眼鏡までかけております。澄ましたお顔によくよく似合っておいでです。

 トウマ様の言葉に、ヤヨイ様は眉をひそめました。


「トウマ、それはあんまりな言い草でしょう」

「いいじゃないか、食費が浮いて」

「お金のことを気にするなら、洋装を揃えなくてもよかったのに」


 ヤヨイ様は口を尖らせました。大人びた印象を与えがちですが、かわいらしい性格をしているとわたくしは存じております。先日、トウマ様が買い付けた洋装と帽子、似合いの鞄を見た時は目を輝かせておりました。

 軽く肩をすくめたトウマ様はトウマ様で、少々意地が悪うございます。


「僕の見立てにケチをつけたいと」

「そういうことじゃなくて、着物で十分だった、てこと」

「じゃあ、頭巾で隠すつもりか。勘弁してくれ。うら若き女が世捨て人みたいだ」

「……それはそれで間違っていない、と思うわ」


 トウマ様、やってしまいましたね。まだまだ深い傷は癒えていないのに、塩を塗り込むようなことをされるとは。

 トウマ様はこれ見よがしにため息をついて、はっきりとおっしゃいます。


「神獣のために旅を始めたんだろう。一人で落ち込むのは勝手だが、先が思いやられる」

「あなた、あいかわらず慰めるの下手よね」

「誉め言葉だな」


 トウマ様は何食わぬ顔で線路の先に目をやりました。

 苦笑したヤヨイ様は、トウマ様が見た方へ――入ってきた蒸気機関車に目を向けます。あなたがいるから、ぶれなくてすむわ、という言葉は轟音にかき消され、トウマ様には届かなかったことでしょう。わたくしはすぐそばで聞いておりましたが、絶対に教えてあげません。何があろうとも、ヤヨイ様の味方ですから。

 魂鎮めの旅は始まったばかりでございます。わたくしがついておりますで、心配なんて無用ですけれど、ね。



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花鳥風月 津々うらら かこ @kac0

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