喋るネコと逃げないネコ

秋色

喋るネコと逃げないネコ

 最近、家の近くで、でっぷりと太った、でも毛並みの綺麗なネコをよく見かける。半飼い猫かもしれない。というのは、自由気儘に道を彷徨い、わが家の庭にも出没するから。

 仕事が休みの土曜日や日曜日だけで、こんなに見るのだから、結構な頻度でお散歩しているんだと思う。話しかけると、立ち止まり、こちらを真っ直ぐ向いて座る。たぶん人慣れしているんだろう。おやつでももらえるかなという期待があるのかも。残念。飼うだけの器を持っていなければ、食べ物をあげるなんてNGだから。

 でもネコを見ていると、そんな浅ましい期待なんかでなく、もっと高尚で、ただ単に人間とのやり取りを楽しもうとしているのかなと、つい期待してしまう。甘いかもしれないけど。


 ネコで忘れられない出来事が過去に二つある。

 一つ目は、社会人になったばかりの頃、夜更けにいつもは通らない近道を歩いて帰っていた時の事。

 不意に何かが凄いスピードで、走り出てきた。

 怖さで凍りつく瞬間、一匹のネコを見た。ストレスを感じると、つい独り言がポロッと出るのは自分の子どもの頃からの癖だ。それで、つい「なぁんだ、ビックリした!」と声に出して言った時だった。

 そのネコが、「◯△★☓♡◆」と人間が話すような感じで、でも意味をなさない言語で、私に向かって話しかけてきたのだ。

 不意をつかれた私が驚いて黙って見ていると、まるで、’’なーんだ、分からないのか”みたいなガッカリした風情で遠ざかって行った。

 ネコの言いたかった事を表情から察すると、「◯△★☓♡◆」は、「怖がりだなぁ」とか、「驚かすつもりじゃなかったんだよ」ではなかったのかと。

 何せ家でネコを飼った事はなく、だからその生態や心理は分からないのだけど、もしかしたらネコはこんな風に人間との会話をするものなのかもしれない。ネコの方からすると、私の独り言を聞いて、「こいつは、我々と話せる仲間」とみなし、話しかけてきたものと推測される。だとしたら、ガッカリさせて悪かったな、と申し訳なさを感じた。

 今でもたまに、「喋るネコ」というワードで検索するけど、出てくるのは、たまたま喋ったように聞こえた動画とか、ネコは長生きすると一度だけ人間の言葉を話し、化け猫になるとかいう穏やかでない話ばかり。

 何だか今だにモヤモヤする出来事。だけど同時に何だか思い出すとほっこりする若い頃の不思議な出来事。



 二つ目の忘れられない出来事は、それから年月が経ち、また違う新しい職場で働き始めてから間もない、ある朝の事。

 JRの駅の出口で、二匹のネコが車道に向かって座っているのを見かけた。大きな焦げ茶色のネコとチビっ子のネコ。私が横断歩道に向かうため、その近くを通ろうとすると、チビっ子ネコの方が人の気配に警戒して立ち去ろうとした。でも横の焦げ茶のネコがそちらを向いて、まるで、”大丈夫。ビクつくな。座ってろよ”と言うように眼で合図した。すると、チビっ子ネコは立ち去るのをやめ、大きなネコの横に座り続けた。

 二匹は親子には見えず、まるで先輩ネコとその弟子みたいに見えた。小雨の降るなか、肩寄せ合って生きているネコ達に見えた。


 ところがその日、職場に行くと、同じ部署の中年の女性社員がコーヒーメーカーの前で若い男性社員と話している声が聞こえてきた。


「今朝、駅前でバスを降りる時に、道路を横切ってたネコが車のボンネットにぶつかって、ぽおんとゴム毬みたいに飛ぶのを見たのよ」


「へぇ、死んだのかな?」


「いや、そのまま逃げてったのよ」


 私は新入り社員にも関わらず、思わず会話に入っていった。


「それ、本当ですか? そのネコって今朝、私が駅で見かけたのと同じかもしれません。茶色じゃなかったですか?」


 中年の女性社員は、いきなり会話に入り込んできた新入りにたじろぎつつも、「そうねぇ、汚い茶色のネコだったのよ」


「ネコ、どうなったんですかね?」


「分からないわ。何せそのまま逃げていったのよ」



 結局、ネコの消息は分からないまま。この話のオチはない。

 私の心の中では、もしかしたらあのネコは瀕死の重症を負ったのではないか? そうなったらあのチビっ子ネコは、孤独な身の上になったのか? そんな悲しい推測が今に至るまで、折にふれて頭をよぎる。


 現場を見たわけではないけど、あの大きなネコは、道路を横断中も悠然としていたのではないだろうか。チビっ子ネコが逃げようとした時、座るよう合図した、あの時みたいに。


 私はと言えば、どちらかと言うと、チビっ子ネコに似た臆病なタイプで、だからこそ時々あの、”大丈夫。ビクつくな。座ってろよ”みたいな堂々としたネコの眼の合図を思い出す。

 今いる場所に自分はいてはいけないんじゃないかと思うような時には特に。




 ネコをよく知っている人からすると、なんていう事はないのかもしれない。

 でも小説の中では、登場させているくせに、ネコを飼った事のない私にとっては、ちょっとネコに対する認識を変え、思い出すたびにネコという存在をリスペクトしてしまう出来事。


 そして今でも心の何処かをきゅっとさせられる出来事。



〈Fin〉







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喋るネコと逃げないネコ 秋色 @autumn-hue

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