04 とても優しくて温かな永遠

「そういえば、エティルのお父さんは、貴女と何歳差だったんですか?」


 段々と皺が刻まれるようになった顔で笑いながら、ファイはわたしへそう尋ねる。


「確か……二十歳差、くらいだったはずだ」

「そうですか。だとしたら、追い越してしまいましたね」


 四十歳のファイは、そう言って微笑んだ。

 わたしは、こつんとファイの額に握りこぶしを当てる。


「舐めるな。確かにそう考えることもできるけど、わたしは君には追い越すことができないくらい、ずうっと長い時間を生きているんだ」

「まあ、それはそうですけど」

「それに、わたしの年齢を十八歳として固定するとしたら、君との年齢差なんて簡単に変わるものだろう。変わらなくなることなんて……」


 そこまで言って、わたしははっと口をつぐむ。


「…………エティル?」


 不思議そうにわたしの顔を覗き込むファイに、居ても立っても居られくなって、衝動的にキスをする。

 彼の唇は、昔よりも少しだけ、硬くなっている気がした。


 舌を絡める。そうすることで、わたしの永遠に彼が染まってしまえばいいのにと思った。魔王が蘇って、彼のことも呪ってくれればどれほど幸せだろうか。そんな有り得ない奇跡を思いながら、わたしはファイの身体をぎゅっと抱きしめた。


 ◇



 ――どれだけ願っても、祈っても、この世界から時間が流れなくなることはなくて。



 ◇


 ファイはこの頃、殆どの時間をベッドの上で眠っている。

 煌めく炎のようだった赤毛は、すっかり白く染まってしまっていた。わたしは皺だらけの彼の手を握りながら、ずっと側にいた。


 ――付き合うことになった日のように、星の美しい夜だった。


 ファイのまぶたが、少しずつ開いていく。

 彼はわたしと目を合わせると、柔らかく微笑んだ。


「……エティル」

「何だ?」

「呼んでみた、だけですよ」


 そう言って、ファイはげほげほと咳をする。とても苦しそうな音が、小さな部屋に響いた。

 ようやく収まった頃に、彼は哀しそうに目を閉じた。


「僕は、もうじき死ぬと思います」

「……そんなの、わからないだろう」

「わかるんですよ。自分の、身体ですから」


 わたしは強く、唇を噛む。


「そんな顔を、しないでください。エティル」


 ああ、この人はいつまでも優しい。

 死を迎えるということは、きっと酷く恐ろしいはずなのに。それなのに、口にする言葉はわたしを気遣うもの。どこまで尊いのだろう。


「……わたしは、永遠が大嫌いだった」


 紡ごうと思った。

 この人へのわたしの愛を、それを少しでもいいから伝えてくれる救いのような言葉を。


「暴虐な魔王が語っていたその概念を、そして自分が染められたその呪縛を、どうしようもなく憎んでいた。……君も、よく知っていると思う」


 ファイは何も言わずに、聞いてくれた。


「でも、今のわたしは……君の温もりや、君と過ごす時間、君を大切だと思う愛情――そういうものが永遠であったらいいと、心から思っている」


 この人の前で泣いてしまうのは、もう何度目だろうか?

 最後くらい、笑って送り出したいのに。

 やっぱりわたしは、愚かだ。


「エティル、」


 ぼやけた視界で、ファイの温かな眼差しを見る。


「……僕のことを、救ってくれて。幸せにしてくれて。本当に、ありがとうございます」


 また大きな涙が溢れたあとで、わたしはようやく、ほんの少しだけ笑うことができた。


「……それは、わたしの台詞だよ」


 ◇


 窓から入り込む朝の光で、わたしは目を覚ました。


 ――ファイは、とても穏やかな表情を浮かべながら、息を引き取っていた。


 わたしはふと、いつかの彼との会話を思い出した。

 そっと、呟く。


「……これからはずっと、六十歳差だな」


 ファイからはもう、何の言葉も返ってこない。

 わたしは暫くそこから動くことができず、椅子に座りながらファイの亡骸を見つめていた。


 ◇


 わたしの手には、二つの指輪が嵌められていた。


 七十年ぶりに訪れたその海は、昔と何も変わっていないように見えた。澄んでいて、打ち寄せる波は冷たくて……それでいて、濃厚な死の香りがした。


 振り返れば、ファイと出会った場所がそこにある。見つめていると、彼との数多の思い出が脳裏に蘇った。無意識のうちに、口角が上がっていた。


 わたしは再び、海の方を見る。


(死んだら、何もかもが終わってしまう可能性がある)

(……でも。それでも、わたしは)

(その先に何かが残っている可能性を、信じてみたい)


 わたしは大きく息を吸って、世界へと轟かせるかのように、




「――永遠は、壊せるんだよ!」




 ずっと疎んでいたその言葉を、叫んだ。

 まだ何も知らなかった愚かな自分が語っていたそれを、今だけはお守りにしようと思う。

 彼との永遠を手に入れるために、わたしは一つの永遠を壊してやるのだ。

 思いのほか、足は簡単に前へ進んだ。



 久しぶりの海は、確かに寒かったけれど。

 でも、あのときよりもずっと、温かいように感じられた。

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とても優しくて温かな永遠 汐海有真(白木犀) @tea_olive

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