03 ずっと一緒にいたい

 不老でも、病気にはなる。

 わたしは全身の気怠さを感じながら、ベッドの上で横たわっていた。随分と熱があるようで、身体が熱くて不快だった。


 目を閉じていると、額に何か冷たいものを乗せられたことに気付く。

 まぶたを開ければ、そこには心配そうな面持ちを浮かべているファイの姿があった。


「……ひんやりする」

「水で濡らしたタオルですよ。気持ちいいですか?」

「うん……」

「それはよかったです」


 彼は、ほのかな安堵の滲んだ微笑みを零す。

 ファイも随分成長したなと、ふと思う。十六歳になった彼は、もうわたしよりも背が高くて、顔立ちも大人っぽく綺麗になった。


 ファイの交友関係は余り把握していないが、これならば異性からも人気があるのではないだろうか?

 ふっと浮かんだ思考に、何故か胸の辺りがちくりとする。


(……あれ。何だ、これ)


 自分の表情が勝手に歪んでいたのだろう、ファイが顔を近付けてくる。


「大丈夫ですか、師匠。やっぱり、辛いですか?」

「……いや、そういうことでは」


 ファイの右手が、わたしの頬に触れる。左手は、彼自身の額に添えられていた。


「やっぱり、すごく熱い……一週間くらい経つのに、全然下がりませんね」


 手が離れる。また胸の辺りがちくりとして、わたしにはその痛みの意味がわからない。


「そうだ……師匠、少し出掛けてきます。ゆっくり休んでいてください」

「……ああ。わかった」


 ファイは笑顔を残して、部屋から出て行った。




 日が暮れても、ファイは帰って来なかった。


(……何か、あったのだろうか)


 怖くなって、わたしはよろよろと立ち上がる。

 家を出ると、紺色の夜空には星々が輝いていた。わたしは探知の魔術を使って、ファイのことを必死に探す。


 案外、彼は家の側にいた。帰り道だったようで、腕いっぱいに草を抱えていた。そして……身体のあちこちから、血を流していた。


「どうしたんだ!」


 駆け寄って叫んだわたしに、ファイは「あはは……」と困ったように笑う。


「万病に効く薬草の存在を、以前町で聞いたことがありまして。それで、取りに行ったんですが……魔獣に見つかって、こんな羽目に」


 理由を聞いたわたしの中にあった感情は、嬉しさよりも、ずっと……悲しみや、怒りが大きかった。


「そんな顔しないでくださいよ、師匠。俺、痛いのには昔から慣れてますし」

「慣れているとか慣れていないとか、そういう問題じゃない!」


 涙が溢れてくる。自分が何でこんなことで泣いているのか、わからない。

 ……いや、きっともう、わかっている。

 わたしはただ、わからないふりをしているだけだ。


「人間は脆いんだ。死んでしまったらもう、戻って来れないんだよ。そのことをよく理解しろ。……頼むから、わたしをもう、一人にしないでくれ」


 ファイの大きな身体に抱きしめられる。

 昔はずっと、小さかったのに。わたしのように永遠ではない人。


「……俺、やっぱり、師匠のことが好きです」


 ああ、こんなときにそれを言うなんて、ずるい。

 もうわたしは、気付いてしまったのだから。


「……わたしも、君のことが好きだよ」


 ◇


 そもそもわたしとファイはずっと一緒にいたのだから、関係性の名前が一つ増えたところで余り変化はないのだろうとたかを括っていた。



 でも、実際にはそうではなかった。



 赤色と白色のコントラストが美しい花畑の中で繋いだ手の温もりも、

 静かな森の中でふと立ち止まってお願いした優しい抱擁も、

 壮大な夜空に囲まれながら初めてした口付けも、

 好きな人を想うことで生まれる喜びも、切なさも、笑顔も、涙も――



 ――わたしにとっては、どうしようもないほどの煌めきを放つ、大切な宝物となった。


 ◇


 気付けばファイは止まってしまったわたしの時を追い越して、二十歳の成人を迎えた。


「誕生日おめでとう、ファイ」

「ありがとうございます」

「……これ、プレゼント」

「わあ! 何かな」


 わたしが差し出した小さな箱を、ファイは意気揚々と開いていく。そうして、彼は目を見開いた。


「これ……指輪、ですか?」

「うん。君に似合うかなと思って」


 わたしの言葉に、ファイは驚いたように何度か瞬きをしてから、ふふっと笑った。


「…………? 何で笑っているんだ?」

「いや……お揃いだな、と思いまして」

「お揃い……?」


 怪訝そうにしているわたしへと微笑みを向けながら、ファイは懐から何かを取り出す。出てきたのは、わたしがあげたものと同じような小さな箱で、彼はそれをそっと開く。

 入っていたのは――銀色の指輪、だった。


「え……これ、わたしに?」

「はい」

「何故だ? わたしは別に、今日生まれた訳じゃないぞ」

「鈍感だなあ」

「む……」


 馬鹿にされた気がして、わたしは頬を膨らませる。


「俺と結婚してください、ってことですよ」


 一気に、頬が萎んだ。


「は……?」

「もう一度言いましょうか? 俺と結婚してください、エティル」

「そんな、何で急に」

「急ですかね? 二十歳になったら結婚できるじゃないですか、この国」

「そう……だけど」


 衝撃が段々と収まっていって、代わりにわたしの頭の中を満たし始めたのは――後ろ向きな、言葉の数々。

 留めておくことができなくなって、零れ落ちていく。


「でも、わたしは……不老だから、君と一緒に老いていくこともできない」

「うん」


「生きていた時間は長いけど、永遠に十八歳のままだから、そもそも二十歳かもよくわからない」

「うん」


「健康に産める保証がないから、子どもをつくるのも怖い」

「うん」


「それにわがままだし、可愛げもないし、愚かだし……」

「あのですね」


 わたしは俯くのをやめて、顔を上げる。

 ファイは呆れたように、優しく笑っていた。


「そんなに難しく考えないでください」


 わたしはこの人の笑顔が、やっぱり愛おしくて堪らないのだと、ふと思った。


「俺は、貴女とずっと一緒にいたいです。貴女は、どうですか?」


 ――ずっといっしょに、いたい。


 それはきっと、孤独の痛みで傷だらけになっていたわたしの心が、奥底から欲していた言葉で。

 視界が滲んでいく。

 答えは、一つしかなかった。


「……わたしも、君とずっと一緒にいたいよ」


 この人の肉体は永遠ではないから、本当の意味でそれが叶うことはないのかもしれないけれど。

 ファイはわたしの背中をさすってくれた。その感触が、幸せだった。


 ◇


 新婚旅行では湖の綺麗な外国に出掛けて、

 協力して魔獣を倒し稼いだお金で豪華な食事を食べて、

 たまに遠出して夫婦水入らずのデートを楽しんで、

 これからしたいことを話しながら手を繋いで眠りに落ちて、



 そんな日々を送るのは本当に幸福で、



 ……けれど、だからこそ、光のような速さで時間が過ぎ去っていく。



 ファイは確かに老いていくのに、

 わたしはいつまでも愚かな十八歳の姿のまま。



 静かな夜に時折、彼に隠しながら涙を流すようになったのは、いつからだろうか?

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