02 諦めないから
わたしがファイに教えられることといえば、古びた魔術と学問と、生きる上で必要なちょっとした技術くらい。ファイは毎日楽しそうに笑っているけれど、わたしはこんな師弟関係が正しいのかはよくわからない。でも、再び孤独になるのは怖い。
だからせめて、ファイに優しく在ろうと思った。そうしていれば、自分とファイのある種歪な関係性を肯定できるような気がしたから。
ファイの九歳の誕生日に大きなケーキを買ってきたのも、そのためだ。
明確に歳を重ねられるという事実に、微かな嫉妬の混ざった憧憬を覚えながら、わたしは切り分けたケーキを口に運ぶ。クリームの濃厚な甘さが、口いっぱいに広がった。食べ過ぎると胸焼けしてしまいそうだったが、まあ育ち盛りのファイが沢山食べてくれるだろう。
そう思いながら、顔を上げて真向かいに座るファイを見た。
彼は皿に盛られたケーキを一口も食べずに、じっと俯いている。
(どうしたのだろうか……?)
少し不安になりながら、わたしは尋ねた。
「ファイ。ケーキは嫌いだったか?」
ファイは、ふるふると首を横に振る。
「じゃあ、お腹がいっぱいで食べられないのか?」
またしても、首を横に振る。
「だとしたら……何だ?」
少しの間、ファイは黙り込んでいた。
そうして、何かを決心したかのようにばっと顔を上げる。その表情はどこまでも、真剣だった。
「師匠!」
大きな声で、ファイは言う。
「おれ……師匠のことが、好きなんだ!」
わたしは目を丸くする。
言葉を紡ぐのに、若干の時間を要してしまう。
「好きって……『師匠として、人として好き』ということか?」
「いや、勿論、それはそうなんだけど……その、女の人? としても、好き」
ファイの頬は少し赤らんでいた。
わたしは頭を抱える。正しく過ぎた十八年間も、時の止まった百年と幾らかも、恋人なんていたことがない。ましてや、告白されたことすらない。
ファイの姿を見る。これだけ生きた年月に差がある彼のことは、到底子どもにしか思えなかった。
「……すまない。わたしは君が、『弟子として、人として好き』ではあるけど、『男の人として好き』ではないんだ」
「……そっか」
ファイは明らかにしゅんとした様子で、唇を尖らせた。
(好意を拒絶したことで、この人がわたしの元から離れていってしまったらどうしよう)
そう密やかに怯えながら、わたしは気を紛らわすためにケーキを口にする。
「じゃあ!」
ファイの瞳は、宝石のように澄んだ煌めきを放っていた。
「師匠に、おれのことを好きにさせてみせる!」
「え」
「ぜっっったい、諦めないから!」
そう告げて、ファイはケーキをばくばく食べ始める。
「…………ファイ」
「ん?」
口元にクリームを付けている彼に、わたしは一つの質問をした。
「君はどうして、わたしのことを好きになったんだ?」
ファイはぱちぱちと瞬きしてから、楽しげにふふっと笑う。
「……昔から、憧れてた。魔王から世界を救った勇者エティルの本を、ずっと読んでた。そんな師匠がまだ生きてて、捨てられたおれのことまで救ってくれて……気付いたら憧れが、好きに変わってた」
そう語るファイの笑顔は、どこまでも眩しかった。
どうやって返したらいいのかわからなくて、
「…………ありがとう」
結局口から出たのは感謝の言葉だった。
「どういたしまして! 負けないからな、師匠!」
「これ、戦いなのか?」
「そうだよ!」
「まあ……正々堂々、受けて立つよ。腐っても勇者だし、わたし」
「よし、そしたら師匠、あーん」
「……何故、ケーキを刺したフォークをわたしの目の前に?」
「ドキドキさせるために決まってるだろ! はい、あーん」
「……ふふっ」
「笑うな!」
◇
――あるときは、大きな花束を両手に抱えた十歳のファイと。
「師匠、これ、プレゼント! 好きな人には贈り物をするといいって、本に書いてあった!」
「君はすぐ影響を受けるな……まあ、とても綺麗だし、確かに嬉しいけど」
「そうだろ、そうだろ! ちなみに花言葉は、『愛』だって!」
「それはまた、随分と直球だな……」
――あるときは、丁寧に綴じられた封筒を差し出す十二歳のファイと。
「俺、師匠への気持ちを手紙に書いてみたんだ。照れ臭いから、一人のときに読んで」
「ふふ、ありがとう。……ところで、そう言われるとつい朗読したくなってしまうな」
「それはやめてくれ、師匠」
「君がそんなに嫌そうな顔をしているの、珍しいね」
――あるときは、わたしの手料理を美味しそうに食べる十五歳のファイと。
「師匠のつくる料理、本当に美味しいですよね。俺に一生振る舞ってください」
「……最早それは告白を飛び越えていないか? あと、そういえば、最近何で敬語なんだ?」
「師弟関係には、その方がいいかなと思ったんです。それと、かっこいいかなって」
「後者の理由が一番なんだろうな。わたしにはわかるよ」
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