最終話 説得
「秀美が殺されたって、本当なんですか?」
「本当です」
明石が答えると、
「何て怖ろしい」と、向井さんは小刻みに震えだした。「それで、犯人は捕まったんですか?」
「いえ、捜査はまだ始まったばかりで、誰の
「心当たりですか・・・ありませんね」
「単刀直入におうかがいしますが、昨日の午後10時頃、あなたはどちらにいらっしゃいました?」
「それはどういうことですの? まさか私が犯人だとでも?」
「いえ、その逆です。捜査の初期段階で、犯人の情報がまだほとんどないときに、関係者全員から聞いていることなんです。関係ない人を除外していくという、いわゆる消去法の論理というやつです」
「昨夜はずっと自分の部屋で、本を読んでいました」
「一人でですか?」
向井さんは頷いた。アリバイとしては最も弱いパターンだ。
「そうですか」明石は彼女の後方を見やって言った。「あのお写真を拝見してよろしいですか?」
「どうぞ」
明石は彼女の後方にある本棚に飾られた写真立てを手に取った。
「これはあなたと和久井さんですね?」
見ると、向井さんが和久井さんと笑顔で写っており、和久井さんのスマホで自撮りしたと思われる写真だった。
「仲がよろしかったんですね」
「実は私、小学生の頃に両親を事故で失いまして、それからこの家で祖父母に育てられたんです。でも両親を失ったショックからずっと保健室登校をしてきまして、高校までそんな状態だったんです」
彼女は意外な身の上話を始めた。両親を亡くして祖父母に育てられたという境遇は、和久井さんとよく似ている。
「お爺さまはそんな私を心配して、家庭教師をつけてくださったので、それなりの学力は身につけましたけど、さすがに大学へは進学できませんでした。人と会うのが苦手だったんです。でも、いずれ私一人になってしまうことは明白だったので、このままではいけないと思い、将来に備えて自動車学校へ通って運転免許を取得しました。秀美とは免許を更新する日に、運転免許センターで知り合ったんです」
そこで彼女は目を伏せた。
「秀美の方から私に話しかけてきました。それをきっかけに私たちは連絡先を交換して、友達付き合いをするようになったのです」
「そうでしたか」
「秀美はそれからよく私の家に遊びに来て、私の生涯で初めて『親友』と呼べる存在になりました。秀美は私の行く末を心配してくれて、ときどき私を外の世界へ連れ出してもくれました」
「和久井さんも両親を事故で亡くして祖父母に育てられましたが、あなたほど裕福な環境ではありませんでした。あなたに嫉妬するようなそぶりは見せませんでしたか?」
「いえ、秀美はとても親切で、そんなことはありませんでした」
「和久井さんは殺されたとき、酔っていたらしいんですが、あなたと一緒に出かけて飲むようなこともあったんですか?」
「いえ、私はお酒は飲めませんので、そういうお店へ行ってもジュースで付き合ってました」
「そうですか。昨夜、和久井さんは誰かと一緒にどこかの店で飲んでいたらしいんですが、誰と一緒だったのか、心当たりはないでしょうか?」
「前に勤めていた会社の人とかじゃないですか?」
「そういう方にお会いになったことはないんですか?」
「ないです」
「実は身元確認に来られた方が会社の上司だったんで、もしかしたらほかに親しくしていた方はいないのかと」
「ほかの友達の話をしたことがなかったので、もしかしたら秀美は私と同じく孤独だったのかも知れません」
「和久井さんは、あなたには会社を辞めたことを話していたんですね? 辞めた理由は聞いていますか?」
「嫌な上司がいるから、とか言ってました」
「そうですか。もう一度確認しますが、昨夜、和久井さんと一緒にいたのはあなたではないんですね?」
「さきほど申し上げたとおりです・・・もしかして、やはり私が殺したと思ってらっしゃるのですか?」
「いやまあ、その可能性はあるのかなと。僕は、今回の殺人は計画されたものだと思っているんです。たとえばこんな風に」
明石は立ち上がると、窓の方へ少し歩いて行って立ち止まった。明石が推理を話し始めるときには、よく窓辺まで歩いて行くのだが、さすがにこの大広間は広すぎた。
「2人のギャルっぽい女性が、車でお店を訪れた。そこは普通のファミレスだったかも知れませんし、あるいはカラオケ屋さんだったかも知れません。そこで1人が酔ってしまい、やがて2人は店を出て行った。そして路地裏で、あらかじめカラーコーンの中に隠してあったブロックを使って、1人がもう1人を殴り殺した」
例によって、明石は相手の反応を見ながら続ける。
「しかしここで、予期せぬことが起こります。見知らぬ男性が通りかかってしまったんです。そこで犯人は、
「妄想も甚だしいですわ」向井さんが反論する。「なぜ私が秀美を殺さなければならないんですか? 私には秀美を殺す動機がありません」
「和久井さんは向井さんと知り合って以降、ギャルメイクをやめてナチュラルメイクにするようになりました。それを教えたのは向井さんですね?」
「そうですけど」
「向井さんも和久井さんからギャルメイクを教わったのではないですか?」
「ええ、そんな遊びをしたこともありました」
「この写真に写っている二人は、普段と逆ですよね? 二人は元々よく似ているので気づきにくいけど、ギャルメイクの方が向井さんでしょう?」
えっ? そうなの?
「よく気がつかれましたね」向井さんは感心したように言った。
「あなたは和久井さんを殺す動機はないと言いましたが、確かに向井さんに和久井さんを殺す動機はなさそうです。でも、和久井さんには向井さんを殺す動機があったんじゃないですか?」
何だって? 何を言ってるんだ、明石? それはどういう意味だ?
「昨夜、和久井さんは自分の車でこの家まで来て、向井さんにギャルメイクをして、自分が持ってきた派手な服を着せた。そしてその後、向井さんを自分の車に乗せて店に行った。向井さんは酒を飲まないから、自分が車を出すと言ったが、和久井さんは帰りは運転代行で帰るからとか言って、強引に自分の車に乗せたんでしょう」
向井さんを見つめる明石の目が、さらに厳しくなった。
「そして和久井さんは向井さんのジュースにチューハイを混ぜるなりして酔わせた。向井さんは酒に弱い体質なんでしょう、和久井さんに『ほんのいたずらだった』と謝られたが、ちょっと歩いて酔いを覚まそうと言われて店を出た。そしてあなたは事前に計画していたとおり、殺してしまった」
「本当にひどい妄想ですね」向井さんの表情に、怒りが見える。「やはり動機も、何の証拠もないじゃありませんか」
「和久井さんは向井さんが巨額の資産を相続して暮らしていることを知り、嫉妬した。それが動機です」
「はあ? もし秀美が私に嫉妬していたとしても、それでどうして私が秀美を殺さなければならないんですの?」
そのとき僕はわかった。向井さんは和久井秀美に襲われて、返り討ちにしたのだろうと。
だが明石が次に言ったことは、僕の想像を超えるものだった。
「殺されたのは向井さんですよ。あなたが和久井秀美ですね?」
向井さんは何も言わない。僕はというと、驚きの表情を浮かべないようにするのが大変だった。
「あなたは向井さんが素顔の自分に似ていることに気がつき、自分にも向井さんにも身寄りがないことを利用して、向井さんになりすますことを計画した。そうでしょう?」
「・・・何をおっしゃっているのか、さっぱりわかりませんわ」
彼女はかろうじてそう言ったように見えた。
「あなたはさっきミスを犯しているのですよ。僕は『犯人はバッグの中に用意していた予備の凶器で、男性の後頭部を叩いた』と言いました。つまり被害者はもう1人いたのですが、この情報はまだ報道されていません。それに対してあなたは、どういうことなのか聞き返しもせず、自分は犯人ではないとしか主張しなかった。被害者がもう1人いたことを知っているのは、警察の人間を除けば犯人だけですよ」
彼女はやはり何も言わない。いや、言えないのか。
「あなたは犯行後、店の駐車場に戻って自分の車を自分の家、つまり和久井さんの家まで運転していった。もし最初に向井さんの車で出かけていたら、この家に戻ってから和久井さんの車を和久井さんの家まで運転して行かなければならない。5キロの距離を運転するとなると、それをNシステムやどこかの監視カメラに捉えられていたら、死んでいるはずの和久井さんの車を誰が運転していたんだ、ということになってしまう」
なるほど時系列的にはそうなるか、と僕は思った。
「それにあなたは、心理的に犯行現場をこの家からは遠く、あなたの家からは近い場所に設定したでしょう。そうすると、和久井さんは近くの飲み仲間と歩いて店に行ったと警察は考えるかも知れないし、その相手が5キロも離れたところに住む向井さんだとは考えにくい」
明石は心理的分析もしていたのか。
「向井さん殺害後、あなたは車を家に戻した後、タクシーを拾ってこの家の近くで降りて、おそらく裏口からこっそりこの家に入ったんじゃないですか? そしてギャルメイクを落とし、ナチュラルメイクにして向井さんになりすました。でもまさか警察がこんなに早く自分のところにたどり着くとは思わなかったでしょうね」
だが、彼女はまだ抵抗する姿勢を示した。
「私は向井日向です。やはりすべてはあなたの推測に過ぎません。依然として何の証拠もないではありませんか」
「それが、証拠はあるんです」
明石が畳み掛ける。
「和久井さんの車のハンドルからは、ほとんど和久井さんの指紋しか出ないでしょう。しかし、それが死体の指紋と違うということになれば、死んだのは和久井さんじゃないことになる」
ここへ来て、彼女はさすがに黙り込んだ。
「さっきあなたが話したことは、全部向井さんから聞いた身の上話でしょう? あなたは運転免許証や家の鍵なども、向井さんがいつもバッグに入れて持ち歩いていることを知っていた。だから自分のバッグから財布だけを抜いて現場に置き、向井さんのバッグを持ち去った。おそらくあなたは、キャッシュカードの暗証番号も把握しているんでしょうね。そうでないと、なりすましても暮らしていけませんから」
明石は戻ってきてソファーに座った。どうやら勝利を確信したようだ。
「実は、僕たちは刑事ではないんです。県警の非公式アドバイザーを務めているので、警察関係者ではあるんですが」
向井さん、いや、和久井秀美は驚いた表情になった。それはそうだろう、刑事でもない者に追い詰められたのだから。
「僕たちはあなたに自首を勧めに来たんです。こうなったらその方が情状も考慮されやすいでしょう。外で刑事が待機しています、一緒に出ませんか?」
彼女は深いため息をついて言った。
「しょうがないか。せっかくお嬢様言葉を身につけたのにな」
それから明石を見つめて、
「そういえばあんた、名乗ってないよね? 名前は何ていうの?」
「僕は明石正孝、そして彼が」
と明石が振るので、
「三上
と、僕は慌てて言った。
「忘れないでおくよ、なるべくね」
そう言って、彼女は立ち上がった。
門扉の向こうには、村川警部以下数名の刑事がスタンバイしていた。
僕たちと一緒に出てきた和久井秀美が「自首します」と言うと、村川警部はかなり面食らっていた。
和久井秀美は村川警部たちの車に乗せられて先に出発し、僕たちの車はその後に続いた。
そのときになって僕は、大事なことに気がついた。
「村川警部は、自首してきたのが和久井秀美だっていうことを知っているのか?」
「いや、向井日向だと思っているだろうね」
明石はニヤリと笑ったが、笑っている場合じゃないぞ。
「それにしても、どうして彼女が向井さんになりすましていたことに気がついたんだ?」
「まず死体からアルコールが検出された時点で、一緒に飲んでいた人がいたら、その人を調べないといけないと思った。だから運転免許センターの監視カメラ映像で見つけた向井日向を、第一に調べなければならないと思ったんだ。それと、会社を辞めた時点でナチュラルメイクだったはずの和久井秀美が、求職活動中にどうしてまたギャルメイクに変えたのかも疑問だった。そうしなければならない理由が何かあったはずだと考えたときに、この2人、なんか似てるんじゃないかと気がついた。それでもしかしたら、殺されたのは和久井秀美じゃないんじゃないか、と」
そこまで言って、明石はふいに笑い出した。
「なーんてな。実は、運転免許センターの監視カメラ映像を見た時点で、なりすましに気づいていた」
「えっ? どういうこと?」
「君は遺体とご対面していないだろう? そんなことで警察官になるつもりなのか?」
それを言われると、僕は返す言葉がなかった。
「遺体の首の右側に、ほくろがあったのさ。ところが監視カメラ映像を拡大してみたら、ほくろがあるのは向井日向の方だった。まぬけなことに、誰も気づいていないみたいだけどな」
そうだったのか。もし遺体を見ていたら、推理士・明石正孝の相棒たる僕にも推理できていたのかも知れない。そう考えるとちょっと悔しかった。
「それに村川警部にこのことを話していたら、逮捕状を請求する流れになって、手続きに時間がかかったかも知れない。自首させて緊急逮捕しないと、今日中に犯人逮捕の記者発表を行うのが難しくなるからな」
なんてやつだ、そこまで考えてのことだったのか。
ミステリー研究会に、今日も中学生の佐山
つまり彼女は、高校に入学しても明石のところへ入り浸っていたいのだ。明石ほどの推理士が、それをわからずに勉強を教えてるとは思えないのだが、果たして彼女の思いに気づいているのだろうか?
(終)
【推理士・明石正孝シリーズ第8弾】管理官・田中の犯罪 @windrain
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます