最終話 突入


 玄関ドアを開けて入った僕たちは、いや少なくとも僕は、屋敷のあまりの広さに圧倒されていた。玄関ホールが既に広いが、大広間もかなりの広さだった。そしてその中心に、向井日向は一人で立っていた。


「おかけください」

 意外にも彼女は、資産家っぽい豪奢な服装ではなく、ごく普通のTシャツにジーンズという出で立ちだった。


「それで、私がいったい誰を殺したというんですか?」

 彼女は今のところ、動揺した様子も見せていない。本当に彼女が犯人だというのだろうか?


「和久井秀美さんです。ご存じですよね?」

 こんな時犯人は、ミステリードラマでは「馬鹿馬鹿しい」と薄ら笑いを浮かべたりして、それが「やっぱりこいつが犯人だ」と視聴者に印象づけてしまうものだが、彼女は全く表情を変えずに言った。

「秀美は私にとって、たった一人の親友です。殺すなんてとんでもない。思い違いも甚だしいです」


「そうですか」明石は彼女の後方を見やって言った。「あのお写真を拝見してよろしいですか?」

「どうぞ」


 明石は彼女の後方にある本棚に飾られた写真立てを手に取った。

「これはあなたと和久井さんですね」

見ると、向井日向ひなたが右手を伸ばして和久井秀美と写っており、彼女のスマホで自撮りした写真だった。


「おっしゃるとおり、仲がよろしかったんですね」

「実は私、小学生の頃から保健室登校をしていまして、高校までずっとそんな状態だったんです」

彼女は意外な身の上話を始めた。

「お爺さまはそんな私を心配して、家庭教師をつけてくださいましたので、それなりの学力は身につけましたけど、さすがに大学へは進学できませんでした。人と会うのが苦手なんです。でも、いずれ私一人になってしまうことは明らかだったので、このままではいけないと思い、将来に備えて自動車学校へ通って運転免許を取得しました。秀美とは免許を更新する日に、運転免許センターで知り合ったんです」


 そこで彼女は目を伏せた。

「秀美の方から私に話しかけてきました。それをきっかけに私たちは連絡先を交換して、友達付き合いをするようになったのです」


 僕は明石が「知ってますよ」と言い出さないか心配になったが、明石は口を挟まなかった。ここは彼女に言わせるだけ言わせた方がいいと判断したようだ。


「秀美はそれからよく私の家に遊びに来て、私の生涯で初めて『親友』と呼べる存在になりました。秀美は私の行く末を心配してくれて、ときどき私を外の世界へ連れ出してもくれました。そんな親友を、なぜ私が殺さなければならないんですか?」


「彼女に薄めのメイクを教えたのは、あなたですね?」

「ええ。それが何か?」

「あなたも和久井さんから、ギャルメイクを教わったのではないですか?」


 えっ? それはどういうことだ、明石?


「この写真に写っている二人は、普段と逆ですよね? 二人は元々よく似ているので気づきにくいけど、ギャルメイクの方があなたでしょう?」


 それは気づかなかった。明石が『似ている』と言ったのは、二人の境遇のことではなく外見のことだったのか。


「だったらどうだというんですか? 友達同士でそういうこともするでしょう? 私が秀美を殺したというのなら、動機は何ですか? あり得ないですよ」


「そうですね。向井さんに和久井さんを殺す動機はない。でも


 何だって? 何を言い出すんだ、明石?


「和久井さんはこの家で向井さんとお酒を飲んだ後、向井さんを外へ連れ出して殺害した。しかしそこへ男性が通りかかってしまったので、その人も気絶させなければならなくなった。たぶん犯人は、予備の凶器をバッグの中に用意していたのでしょう。それから犯人は、自分の運転免許証と向井さんのものをすり替え、この屋敷に戻った。その日からあなたは『向井日向』になりすまして、ここで生活している。そうですね、


 僕は驚愕したが、なるべく表情に出さないようによそおった。僕もそのことを知っているように振る舞わないと、犯人につけ込まれるような気がしたからだ。


「あなたは向井さんが巨額の資産を相続して暮らしていることを知り、向井さんを殺して自分が向井さんになりすますことにした。そして向井さんを殺し、物取りの犯行に見せかけようとしたが、現場に男性が現れたことで、男性が彼女を殺してその後で強盗が男性を襲ったかのように見せかけた。ですが、この時点であなたは三つの間違いを犯しているのですよ」


 いよいよ推理士の独壇場だ。


「一つ目の間違いは、殺害現場を見たのに、それでも躊躇ためらわずに強盗を働くだろうかという問題です。普通の感覚なら、厄介なところに出くわしたと思って中止するでしょう。二つ目の間違いは、あなたが殺人犯に仕立て上げようとした男は、絶対にそういうことをするはずがない人間だったということです。県警本部の幹部だったんですよ、彼は。そして三つ目の間違いは、死体から検出された指紋と和久井秀美の部屋や車から検出された指紋が一致しないことです」


 これはハッタリだ。道端で殺された被害者の部屋や車から、まだ指紋の採取はしていないはずだから。


「さっきあなたが話したことは、全部向井さんから聞いた身の上話でしょう。運転免許証と家の鍵も、向井さんがいつもバッグに入れて持ち歩いていることを知っていた。おそらくあなたは、運転免許センターに防犯カメラが設置されていたことに気づかなかったのでしょうね。気づいていれば、こんな浅はかな犯行を画策はしなかったでしょうから。最初に言ったように、僕たちはあなたを自首させるために来たのです。外には刑事が待っています。一緒に出ましょう」


 彼女は深いため息をついて言った。

「バレたか。せっかくお嬢様言葉を身につけたのに」



 門扉もんぴの向こうには村川管理官代行がスタンバイしていた。和久井秀美が「自首します」と言うと、管理官代行は彼女をパトカーに乗せ、僕たちに笑顔を見せると、所轄署に向かった。


「明石、彼女が向井さんになりすましていたことに、いつ気がついたんだ?」

 僕が尋ねると、

「君は遺体とご対面していないだろう? そんなことで警察官になるつもりなのか?」

僕は返す言葉がなかった。

「遺体を見た後に免許証の写真を見たら、だいぶ風貌が変わっていた。それでこれは本当に同一人物なのかという疑問が沸いたので、運転免許センターの映像を確認したら、和久井は遺体とよく似た人物と会っているじゃないか。そこで考えられる可能性は二つ。一つは、和久井が向井さんに薄めのメイク方法を教わって、1か月前から実践していたのだろうということ。そしてもう一つは、殺されたのはもしかしたら向井さんの方なんじゃないかということだった」


 そうだったのか。遺体を見ていたら、推理士・明石正孝の相棒たる僕にも推理できていたのかも知れない。そう考えるとちょっと悔しかった。


「でも和久井の部屋と車の指紋採取なんてしてなかっただろう? 自首を迫ったのは危ない橋だったんじゃないのか?」

「いや、指示していたのさ。所轄署のトイレへ行ったときに、密室殺人事件(※『禁断の捜査』)のときの鑑識官に電話して、和久井の家と車の中の指紋の採取と、遺体の指紋との照合をお願いした。向井邸に入る前にかかってきた電話が、その鑑識官からだったんだ」

「それ、村川管理官代行は知っているのか?」

「いや、まだ知らない」

「それはマズいんじゃないか?」

「もし先に知られていたら、逮捕状を請求する流れになっていたかも知れないからな。自首させて緊急逮捕しないと、今日中に犯人逮捕の記者発表を行うのが難しくなる」


 なんてやつだ、そこまで考えてのことだったのか。




 ミステリー研究会に、今日も中学生の佐山美久が入り浸っている。そして最近は明石に受験勉強を教わっている。この大学の近くの高校を受験したいのだが、けっこう偏差値が高いからだそうだ。


 つまり彼女は、高校に入学しても明石の所へ入り浸っていたいのだ。それを知っていて勉強を教える明石も、実はまんざらでもないのかも知れない。



    (終)


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【推理士・明石正孝シリーズ第8弾】管理官・田中の犯罪 @windrain

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