第52話 おっさん!
俺の住んでいるアパートの近くに、小さな公園がある。
公園と言っても、本当に小さなもので、遊具もすべり台と砂場ぐらい。
それにこの辺りは、若い学生が多く、幼い子供たちはあまり見かけない。
学生時代から10年以上、ここ”
誰ひとりとして、遊んでいる姿を見たことがない。
なぜだろう?
こんなにも綺麗な桜が咲く、公園だというのに……。
その桜の木に気がついたのは、今年が初めてだった。
どうして、今日になって……。
酒が切れてコンビニへ向かうはずだったのに、なぜかその桜が気になって仕方がない。
「きれいだ……」
まだ酔いがさめていないのだろうか?
目の前に咲き誇る、この大きな桜の木に引き込まれていく。
気がつけば、俺の脚は公園の中に。
どうしてだろう。この桜を眺めていると、心が安らぐ。
航太が居なくなって、4カ月以上経つ。相変わらず、彼からの連絡は全く無い。
あんなに、俺のことを慕っていたのに……。ひょっとして、引っ越し先で誰か仲のいい友達でも出来たのか?
所詮、俺みたいなアラサーのおっさんなんて、彼には”通過点”だったのかな。
それとも、嫌われたか。
でも、俺のことを嫌いになって、連絡を取らないのならば、それで良いと思っている。
俺が一番気になっているのは、彼の新しい環境だ。
母親は自分優先だし、新しい父親ってのも怪しい。
連れ子である航太のことを、虐待していないか?
それが一番、俺の恐れることだ……。
出来ることなら、航太が幸せに育って欲しい。
「でも……もう一度、会いたいな」
そう呟くが、返事はない。相手は桜の木だし。
俺も、そろそろ気持ちを切り替えないと。
このまま飲んだくれの生活を続けていたら、原稿も書けない。
いい加減、元の貧乏作家という肩書きに戻らないとな……。
深くため息をついて、振り返ろうとした瞬間だった。
強い春風が全身を吹き抜けてゆく。
急だったので、瞼を閉じる暇もなかった。
目にゴミが入ったようだ。人差し指でこすってみる。
「おっさん!」
「え?」
聞き覚えのある甲高い声に、思わず身体が震えてしまう。
酒が抜けていないから、幻聴でも聞こえたのではないか? と自分を疑う。
しかし、視線を地面に落とすと。
俺の前に一人の小さな人影が見える。
「こんなところで、なにやってんの?」
もし、俺が期待している人物と違っていたら、どうしよう。
でも……二度とあんな後悔だけはしたくない。
俺は勇気を振り絞って、後ろへ振り返ることにした。
そこには……。
黄色のトレーナーワンピースを着た、背の低い少年が立っていた。
丈が短いから、太もも上でひらひらとスカートのように宙を舞っている。
中にショートパンツを履いているようだが、目のやり場に困る。
「お前……」
俺がその名を呼ぶ前に、”彼”がこう叫んだ。
「おっさん! ”誘拐”されに来たよっ!」
と満面の笑みを浮かべる、少年が立っていた。
「バカ野郎……」
熱い涙が頬を伝う。航太が帰ってきたんだ。
※
数ヶ月ぶりに再会できて、喜んでいないと言えば、嘘になる。
でも、別れの挨拶をしてくれなかったことが気に食わない。
それに”新しいお父さん”の存在も、心配だ。
色々な気持ちが胸から溢れ出る……。
「航太、なんでお前……」
「だって、もう母ちゃんのお産も無事に済んだし、藤の丸へ戻ってきたんだ!」
「も、戻るって……じゃあ、新しいお父さんとの家庭は? それに長崎の中学校はどうするんだ?」
「なに言ってんの? 今、春休みじゃん。学校はお休みだよ」
「そうなのか……」
それから、引っ越したあとの出来事を航太が詳しく話してくれた。
母親の綾さんの出産は、少し早く生まれてしまったが、赤ちゃんは元気に育っているそうだ。
入院中のお手伝いやお世話なども一段落して、無事に帰宅。
それからは、新しいお父さんが赤ちゃんをすごく可愛がっており、育児は全て父親がやってくれているらしい。
今まで家事を頑張っていた航太も、そんなにすることがないそうだ。
俺は虐待を疑っていたが、新しい父親は妻となった綾さんにベタ惚れで。
その分、子供たちにも優しいそうだ。
金銭的にも余裕のある、良い家庭らしい。
生まれた赤ちゃんの性別は、男の子。
航太自身、とても可愛がっているらしい。
ただ、新しい父親は兄である、航太にあまり関心が無いそうだ。
血が繋がっていから、そんなもんか。
彼からの話を聞いて俺は少しホッとした。
「ところで、おっさん。なんでこんな公園にいるの?」
「あ、いや……ちょっと、桜がきれいで気になったんだ」
「ふぅん。それよりさ、アパートに戻ろうよ!」
「は? どうして?」
「あったり前じゃん! これから、オレがしばらく暮らす家なんだから!」
そう言うと、自身が背負っている、大きなリュックサックを親指で指してみせる。
春休みだから、連泊するってことか?
※
航太に背中を押されて、無理やりアパートへ戻らされることになった。
本当は、コンビニで酒とつまみを買うところだったのに……。
「さ、早く開けて!」
「わかったよ……」
彼に言われるがまま、扉のカギを開けてみせる。
すると、航太は目を輝かせる。
久しぶりに、俺の家に入れるのが嬉しいようだ。
勢い良く扉を開くと、そこには……。
「な、なにこれぇ! 汚いっ!」
「……」
航太が居なくなってから、4カ月以上経った。
つまりそれだけ、部屋が汚くなったということだ。
キッチンは吸い殻だらけの灰皿に、ウイスキーの空き瓶が何本も並んでいる。
ゴミ袋がたくさん床に溜まっていて、数匹のコバエが辺りを飛んでいた。
「オレがいないだけで、こんなに汚くなる!?」
「悪い……」
航太は久しぶりに俺の部屋を見て、顔を真っ赤にさせていたが。
次第にその怒りは、なぜか笑顔に変わる。
「プッ! やっぱり、おっさんはオレがいないとダメじゃん!」
「いや……これは、ちょっと調子を崩していただけで」
「ふ~ん、調子を崩してるんだ? なら、漫画の原作も書けてないんじゃないの?」
「そ、それは……」
何カ月も、俺の調子が悪いことを知った航太はどこか嬉しそうだ。
口角を上げて距離を詰める。そして下から俺の顔をのぞき込む。
「じゃあ、こうしよ? オレが中学を卒業するまで、毎週この家を掃除してあげるよ」
「はぁ?」
「それでさ、福岡市内の高校を受験して……合格したら、ここに住ませてよ。下宿先として」
「お、お前……それは、親の許可がいるだろ?」
「あんな新婚夫婦は、オレに興味無いって。興味があるのは、おっさんの方でしょ」
「う……じゃあ頼む」
了
おじさんとショタと、たまに女装 味噌村 幸太郎 @misomura-koutarou
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