第51話 バイバイ


 俺と航太は、ここ”藤の丸ふじのまる”へ引っ越してきてからの出来事を夜通し、話し続けた。

 狭い布団の中だけど限られた時間を、少しでも二人の思い出に残したかった。


 しかし、さすがに夜明けになると、大人の俺でも眠たくなってきた。

 

「航太……悪い、少し寝てもいいか?」

「いいよ。オレもまだおっさんと話したいから、10分後に起こすよ」

「ああ、頼む……」


 ~10分後~


 たった、10分間寝ただけなのに、ずいぶんと頭がスッキリした。

 瞼を人差し指でこすりながら、隣りに寝ている航太の方へ視線を向けると。


「あれ、航太?」


 隣りに寝ていた航太の姿が、見当たらない。

 ひょっとして、トイレか?

 そう思った俺は起き上がって、キッチンの方へ向かう。


「航太~? トイレか?」


 そう叫んでも、家の中は静まり返っている。

 俺以外、人の気配を感じない。

 まさかと思い、壁にかけてある時計を確認すると。


 時計の針は、午前10時を過ぎていた。

 

「なんでだ!? どうして、起こしてくれなかったんだ、航太っ!」


 気がついた時には、もう遅かった。

 航太のやつ、俺に気を使ったな……。


 でも、まだ午前中だし、ひょっとしたら、隣りの美咲みさき家にいるかもしれない。

 そう思った俺は、裸足のまま家を飛び出る。

 ペタペタと音を立てて、アパートの廊下を走り、隣りの家の扉を力いっぱい拳で叩く。


「美咲さん! まだいますか!?」


 しかし、いくら待っても中から声は聞こえてこない。

 それでも、俺は扉を叩き続ける。


「航太っ! いるんだろ? 開けてくれよ!」

 

 うそだろ……こんな別れ方、最悪だ。


  ※


 10分以上、美咲家の扉を叩いて叫ぶ男がいる……とアパート内で噂になっていたらしい。

 苦情を聞いた大家さんが、二階まで上がってきた。


「黒崎くん、なにしてるの?」


 振り返ると、そこには頭の薄い中年の男が立っていた。

 学生時代からお世話になっている、大家さん。

 しかし、今はそれどころじゃない。

 航太がどこにいるか、知りたいんだ。


「大家さん! ここにいた……美咲さんはどこへ行ったか、知りませんか!?」

「え、美咲さんのこと? 昨日、引っ越したでしょ」

「昨日? ウソでしょ!? 俺はこの家の子供、航太と一晩を一緒に過ごしましたよ!」

「航太くんと黒崎くんが、一晩を一緒に……?」


 いかん、興奮のあまり、誤解を生むような発言をしてしまった。


「いえ、そう意味じゃなくて。俺は母親の綾さんとも、昨晩一緒に話をしました」

「はぁ……ああ、なるほど。それなら、あれじゃない? 昨日、引っ越し作業と手続きをして、今朝早くに出て行ったとか。身軽にして出たいでしょ」


 そう言われたら、俺たちの住んでいるアパートは前から、そんな感じだった。

 学生向けに建てられたアパートだし、あまりご近所と仲良くなることもない。

 引っ越してきたからと、わざわざ挨拶に来たのは、美咲家が初めてだ。


「じゃあ、もう……あいつは、航太は出て行ったんですね」

「うん。そんなに仲が良かったのなら、あとから連絡でも来るんじゃない?」

「!?」


 大家さんに言われるまで忘れていた。

 そうだ。航太は昨晩、こう言っていた……。

 

 『長崎にも来てよね? 住所と連絡先、あとで送るし。でも、おっさんは貧乏だから無理かな』


 それを思い出して、少し安心した。

 

  ※


 航太が引っ越してから、三ヶ月が経った。

 しかし、彼から連絡が来ることは一切、無く……。

 引っ越し先の住所や電話番号も知らない、俺からは何も出来ない。


 後悔だけが残る。

 あの時、航太が俺に言った言葉は、本気だったのじゃないか?

 

『お願いだから、オレを誘拐してよっ!』


 なら……、あのまま航太を連れてどこかへ。


 そんなことを毎日、考えては悔やみ、己の弱さに苛立つ。

 胸に大きな穴が開いてしまったようだ。

 たった数ヶ月の関係だが、俺にはすごく大きな存在なんだろう。


 まるで、失恋した男みたいだ。

 いや、今感じている喪失感こそ、失恋なのかもしれない。

 元カノの未来みくると別れても、こんなにダメージは大きくなかった。

 

 まだ何も気持ちを伝えられていないのに……。


 

 彼が居なくなっても、仕事はいつものように依頼される。

 編集部の高砂たかさごさんから、頻繁に電話が掛かってくるが……。


『SYO先生、まだ原稿を書けてないんですか?』

「すみません……」

『あのロリもの、人気なんですから、早く書いてくださいよっ!』


 彼をモデルにしたロリものエロ漫画だが、単行本で発売され人気だそうだ。

 でも、俺は続きを書く気が無かった。


 ノートパソコンなんて、もう一ヶ月以上、起動した覚えがない。

 毎日、安酒を浴びるように飲み続けて、酔いつぶれる。

 目が覚めると、激しい頭痛が待っているが、それでも飲まずにはいられない。


 そんな生活をずっと送っているから、昼夜逆転してしまう。

 でも、近所には24時間営業のコンビニがあるから、すぐに酒を調達できてしまう。


 

 もう春が近い。

 俺が愛用している半纏はんてんも、もう必要ないかな。

 ゆっくり布団から、起き上がると、キッチンへ向かう。


 ふと、冷蔵庫へ目をやると……。


『おっさんへ。別れの挨拶がさびしいから、ごめん。バイバイ』


 とぐしゃぐしゃになった、メモ紙が貼られていることを思い出す。

 引っ越したあとに見つけた航太からの手紙だ。


「挨拶ぐらいしていけよ……」

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