後編

 それから三ヶ月経ち、「あなたのこんしぇる湯」を導入してから計三回のソロキャンプを楽しむことができている。

 寒暖差も気が付いたら落ちついてきた。爽やかな新緑の季節の中、「あなたのこんしぇる湯」は、孝史の身体が求める湯温をひたすら導きだそうとしていた。

 彼女との結婚までは、あと四ヶ月を切っている。一人気ままな独身生活に終止符を打つカウントダウンは始まっている。

 結婚して彼女と一緒に住むようになったら、恐らくここまで気楽に趣味を楽しめなくはなるだろう。趣味にかまけ過ぎたせいで離婚した同僚もいる。

 趣味は大切だが、一生を誓った相手と別れたいほどではない。それもあって今この趣味の時間をより濃厚なものにしたいと考えていた。

 そんな気持ちの表れなのか、ソロキャンプから帰ってきた日の風呂の温度はいつも熱かった。二回目まではキャンプの残り香の影響だろうと思ってた。

 しかし、キャンプの後のあつ湯は刺激的ではあるが快適ではない。

 カルメンのようなファム・ファタルとのアヴァンチュールな恋愛は身を持ち崩してしまうのだ。

 これは本当に「あなたのこんしぇる湯」が孝史のために導きだした結果なのか?

 次のソロキャンプに行く車の中で、ふと浮かんだそんな疑問は、点けたばかりの種火のように燃え移るものを探していた。

 心の中で燃え広がる不安感は、とある可能性まで辿り着いた。

 しかし、もうすぐキャンプ場目前。準備は間に合わない。

 悩んだ孝史は一旦道の駅に車を停めた。スマートフォンのAIチャットサービスアプリを起動してみる。

 質問を書いてみたが、このような抽象的な質問には曖昧な回答しか出てこない。


 だったら、これを調べられるサービスはあるのか?


 AIチャットに質問してみたら、ほどなくサービス名の情報が返ってきた。

 教えてもらったサービス名を検索して、ホームページを開いた。そちらのAIチャットサービスに質問してみると、分析するためには毎日の湯温のデータがほしいとのこと。さっそくアプリでデータを出力し、グラフを作成して送った。

 気のせいだろう、単なる笑い話になるだろうと信じながらマシュマロを炙っていたころに、通知が来た。

 可能性は99パーセント以上。太い文字で強調されている。実に詳細なデータものっている。


「マジか…」


 自分にしか聞こえない声で呟き、夜空を見上げる。

 呆然としている様をあざ笑うかのように、星空がキラキラと孝史を照らしてくれる。普段心地よい星の光も今はウザい。

 今日はアルコールを飲んでいない。すぐに片付けられる調理しかしていない。

 火消し壺に炭を入れて、大急ぎで片付けを行った。一本電話を入れてから、まっすぐ帰ることにする。


「絵理沙」


 永遠に愛を誓うはずだった女性の名を呼んだ。

 彼女にも同じく「あなたのこんしぇる湯」のアプリを教えていた。しかし、ユーザー情報は個々に管理しているから、今まで気づけなかった。ユーザーでは消せない、温度管理の機械のデータが答えを導き出してくれた。

 身長176cm体重75kg。孝史よりも背の高い筋肉質な男と、絵理沙が火遊びで楽しむために適切な湯温はやや高めらしい。

 スマートフォンのカメラを起動させながら扉をあけると、愛しい婚約者は自分と全く違う体型の、全く知らない男とお楽しみ中だった。


「違うの!」


 彼女は叫んだ。


「愛しているのはタカちゃんだけ!」


 こういう時の言い訳って、本当に便所の落書き(比喩)みたいなことを言うんだな。

 そんなことを思いながら、先ほど呼んだ絵理沙の両親に元婚約者と筋肉質な男を連れて帰って貰った。


「……何でも分析できるんだな」


 孝史は「AI探偵サービス」ホームのページの画面を見て呟いた。

 三ヶ月分のデータはあったとはいえ、まさか湯温だけで、あんなに短時間で調べられるとは思っていなかった。自分と元婚約者以外の第三者が使っている可能性と、その第三者の性別とおおよその体型。そんなことを調べられるとは、最近の技術というのは本当に恐ろしい。


「AIだから格安! データがあれば分析可能! AIによる、客観的な分析で浮気調査をいたします!」


 ホームページには真っ赤でデカデカとした文字が躍っていた。

 不貞による婚約破棄のため、弁護士をいれた方がいいかもしれない。

 何でか、事務処理ばかりが頭に浮かぶ。

 思った通りに事が進みすぎ、物凄く興奮している気がする。手足の温度は上がっていて、胸と脳みそは冷えている。感情が置いてけぼりなのかもしれない。

 彼女との結婚が白紙になったショックはまだ来ない。多分明日になってやってくるのだろう。


「……AI弁護士とAIカウンセラーもいないのかな」


 これからやって来る面倒臭い作業と、傷心を誤魔化すがごとく淡々とした自分にうんざりしながら、孝史はため息をついた。

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あなたの側にこんしぇる湯 仁嶋サワコ(ニトウ) @nitosawa

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