あなたの側にこんしぇる湯

仁嶋サワコ(ニトウ)

前編

 會津孝史。三十二歳男性。独身。職業WEBエンジニア。基本的にリモートワークで、隔週に一回くらい会議で現地に行く。身長168cm。体重67kg。趣味はソロキャンプ。先月、先々月は優先する用事があったため行けなかったが、一ヶ月に一回程度楽しんでいる。料理も好きだ。オイル系のパスタには自信がある。

 ちなみに去年までハマってたのはサバゲー。これは卒業した。

 起床は七時半、就寝は二十四時半。好きな食べ物はイカの塩辛とハモンセラーノ。嫌いな食べ物は特になし。

 今は、半年後に結婚する彼女と半同棲中。キャンプに行く週末を除いて、彼女は大体木曜夜から月曜日の朝まで一緒にいる。

 彼女は三十一歳。職業はWEBデザイナー。あちらもリモートワークだが、仕事に集中できる場所を確立してからだと、籍を入れるまでは半同棲にしている。ご飯を食べる時の笑顔が可愛い。

 そんなことを、ホームページのマイページの自由記入欄に入力したのは、十二日前。

 最近のAI技術は凄い。 

 こんな、つまらない短編小説の自己紹介みたいな下手くそな文をつらつらと書くだけで、この内容を定型化して分析し、ビッグデータに蓄積することができるらしい。

 そして、スマホに接続した手のひらサイズの測定器で、手のひらと首筋とふくらはぎをそれぞれ測る。

 その結果、得られるのが、孝史の今の状況だ。


「ああ、今日も適温だ!」


 春を告げる女神ペルセポネの微笑みのように、優しく柔らかく包みこんでくれるような感動がそこにあった。



 一人で入るには少し大きめの浴槽で、孝史は手足をできる限り伸ばした。

 汗を冷やしながら顧客説明の手伝いをしに客先へ向かう羽目になった、今日のような寒暖差の激しい季節には、この40度のお湯が快適だ。これが41度だとたちまち汗がふき出しすぎてしまうし、39度だと寒い。

 適切な環境での入浴は、生活の質を向上させる。

 しかし、人は身体的な性別、体格、生活様式、育ってきた環境、現在の環境まで千差万別だ。全ての人に最適な唯一の風呂の環境なんて当然あるわけがない。

 そのため、孝史その他ユーザーが入力することで蓄えられていくビッグデータには様々な体質、環境の人が選んできた入浴情報が蓄えられていく。どのようなタイプの人がどのような風呂を好むのか、どのような気持ちの時にその風呂の環境を選んだのか。その風呂に入ってどんな気持ちになったのか等さまざまだ。

 ビッグデータはその人にとっていかに快適な風呂生活を手に入れることが出来るか、それを提案、実現するための判断材料の一つとなる。より詳細な結論を導き出すためには測定器が必要不可欠だ。

 風呂に入る人間の今を測定して、ビッグデータと紐づけ、より快適な風呂環境を作成するのだった。

 そんな、某有名ガス会社が提供する「あなたのこんしぇる湯」サービスが始まって早二年。エンジニアとしても、リフレッシュを望む社会人としても興味を抱いてはいたが、持ち家向けの設備しかなく、賃貸で暮らす独身男性には縁遠いサービスだと思っていた。

 しかし、ついに待望の賃貸向けサービスも開始した。専用機器を外付けすることで可能になったのだ。

 二十代後半の時は、銭湯スタンプラリーを制覇した程度には風呂好きの孝史は、自身の賃貸マンションで導入可能と知るやいなや、真っ先に申し込むことにした。

 これを申し込んだのは本当に大正解だ。

 このサービスを利用することになってから二週間も経っていない。それでも、今までの風呂上がりと全く違うことが実感できる。

 身体の軽さと寝付きの良さが全く違うのだ。

 もちろん、このAI分析はただ一人暮らしする独身男性のためだけのサービスとしては終わらない。半同棲する彼女と入る時の温度も分析できるのだ。体感温度の違う男女の差分を分析し、二人が穏やかな夜を過ごす際も、激しい夜を過ごす際もその時に適切な湯温を提供してくれるのだ。

 サービス導入時の彼女との夜は最高だった。

 物珍しさではしゃぐ彼女、その愛らしさを見つめる孝史。

 瞬間、気持ちが湧き上がり、安定からか若干マンネリ化していたはずの二人の心に火が点き、物凄く盛り上がった。

 ここ三ヶ月の間では一番成功したと言っても過言ではない。

 あの時の高ぶりはあの湯温があってだと思う。ちょうどよく動悸が高まり、孝史も活躍することができた。

 そろそろもう一戦いきたいところだが、残念ながら、彼女は仕事が忙しいらしく、再戦については生ぬるい回答しかもらえていない。

 それについては不満だが、今週末は三ヶ月ぶりのソロキャンプの日だ。彼女には「私の仕事のことは気にしないでいいから、楽しんできてね」と優しい言葉をかけてもらっている。

 お礼の気持ちもあり、不在の時でも、孝史の家で「あなたのこんしぇる湯」を使うことは問題ないとは伝えている。仕事が忙しいにも関わらず、ふんわりとあたたかい笑顔を見せてくれる彼女には少しでも元気になって欲しいと願っている。

 彼女のことは生涯で一番愛する女性だと信じている。やりたい。でもやれない。

 そんな寂しい独り寝を慰めるために適切な温度もある。

 孝史は防水ケースに入ったスマートフォンに話しかけた。

 スピーカーから流れる音楽が変わり、風呂の電気が暗くなる。

 穏やかな雰囲気の中で浸かる湯は最適だ。

 ビッグデータと測定器とAI分析ありがとう。

 孝史は感謝した。


 久々のソロキャンプは楽しかった。車でキャンプ場に行き、森の匂いを感じながらちぎりパンを焼き、砂肝のアヒージョを作る。

 やや曇っているが、それでも感じられる月の光の下で頂くビールは最高だった。持ってきたハモンセラーノの薄切りと、ちぎりパン、砂肝のアヒージョのコントラストは最高だ。

 残り火であぶったエイヒレも、ビールで流し込むには最適だった。

 また、キャンプそのものではないが、キャンプ場へ行く前に昼間から入った公衆浴場も良かった。

 普段自分の身体と心に限りなく寄り添った負担のない温度の湯に浸かっているせいか、攻撃を思わせるような43度のあつ湯との出会いは、実に刺激的なものだった。

 まるで、妖艶な美女に火をつけられたかのような高揚感だ。

 翌日も早くから開いていることを確認したため朝湯をして帰宅した。

 優しいだけの生活では、人は満足できないようだ。たまの浮気は刺激的だ。

 あのあつ湯もクセになってしまうかもしれない。

 そんなことを思って入った本日の自宅の風呂は、思い出が身体に染み付いていたのか、キャンプに出る前よりもやや攻撃性を感じる熱さになっていた。

 スマートフォンにフラメンコを希望してみる。

 赤いドレスの似合うスペイン生まれの仮初の恋人に愛を囁かれ、強く抱き締められる。そんな空想を思い浮かべながら、孝史はその刺激を楽しんだ。

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