「最後まで読んでください。そうすればきっとわかる」

 子供同士のケンカは、ケンカを吹っかけられた側がやりかえさずに我慢してしまうと、イジメになる。やりかえそうとする衝動よりも、衝動を抑え込む自制心のほうが強いから、イジメられっ子は一方的にイジメられる。
 そんなイジメられっ子が復讐に走るとしたら、自制心を振り切って凶行に及んでいるぶん、相手を傷つけながら自分も傷つき、相手を殺しながら自分も殺すほどの、壮絶な覚悟があるはず。
 まして大人になってから復讐するとなれば、人生を棒に振るリスクもある。復讐は犯罪だからだ。


 この作品は、イジメられっ子の復讐劇を描いた“ざまぁ小説”をこきおろす編集者の物語である。
 「主人公がイジメられるばかりの展開はつまらないし、“ざまぁ”になりそうな物語が本当に“ざまぁ”で終わるのもありきたりすぎる」と編集者は言うが、そういうものの見方は、売られたケンカなら買って当然、絶えざる戦いこそ世の本質、臆病者は死ぬまでボコボコにしてもいいサンドバッグ、と思っているイジメっ子の理屈。

 イジメっ子には、イジメられてもやりかえさず耐えるつらさ優しさが分からない。

 編集者にとっては、売り上げに繋がらなければ作家の想い入れなど何の価値もない。

 “ざまぁ小説”でストレス発散する読者にとっては、登場人物の人生も苦悩も死もエンタメにすぎない。

 みんな、自分だけは安全な神の視点にいるつもりだから、もがき苦しみ精一杯生きている他者の生涯の上澄みをすくい取って、「面白い」だの「つまらない」だの、「冒頭しか読まない」だの、ほんのひととき気分を紛らわすため、あるいは小銭を稼ぐために、自分の都合で容赦なく使い捨てのコンテンツ扱いできるのである。


 しかし人間は神ではない。本作の結末に溜飲が下がったという人もまた、“ざまぁ小説”でストレス発散するような大衆や、作中の編集者と同じ轍を踏んでいる。
 つまらない小説を叩くのはたやすい。だからこそ自制心を持ち、思いやりを忘れてはいけない。他人の背後を狙うなら、自分の背後にも気をつけたほうがいい。