列をなす者たち
湾多珠巳
The people, who would just follow another going ahead.
「わー、真っ白だね」
助手席に滑りこむなり、娘が歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。モールでちょっと長居しすぎたらしい。あるいは冷え込み方が予想外だったのか、夕刻の三時間ほどの間に、駐車場のわが車はフロントウインドウ全体が凍結してしまっていた。
ワイパーを何回か試してみる。ぎこちない作動音と共に氷が中途半端にはがれ、却って見づらくなった。融けきるまで暖機運転で待つのがベストかも知れないが、あまり遅いと妻がうるさい。それに、こういう時はこういう時で、それなりの運転法があるものだ。構わず私はアクセルを踏み、著しく視界不良なまま、出口へと向かった。ちょうどいいタイミングで信号が変わり、同じ駐車場からの似たような自家用車が前後に何台も連なった。
「大丈夫なの? 危なくない?」
依然、曇りガラスのようなウィンドウを見て、娘が言った。若い頃の妻とそっくりな感じの声に、私は軽く微笑んでみせた。
「いつも通ってる道路だよ。目をつぶっても運転できるぐらいだ」
そこはガードレールもきちんと整備されている四車線道路だった。他車との車間や信号だけに気を遣っていれば、まず事故ることは考えられない。心配の種と言えば二輪車ぐらいだが、それとて日が暮れてライトを点灯している分、却って把握しやすいはずだ。
サイドウィンドウ越しに道路脇の立て看板を目で追った娘が、小首を傾げて尋ねた。
「あれ、トウケツチュウイって読むんでしょ? 道路が氷になるんでしょ? 滑ったりしないの?」
小四のうちからあまり難しい漢字を知っているのは問題だな、と、その時だけ、私は娘の出来のよさを疎ましく思った。
「ああ……急ブレーキを踏まなければいいんだよ。お父さんの運転を信じなさい」
「でも、十キロオーバーしてるし」
これも母親そっくりの少しばかりトゲのある声音で、娘が指摘した。どうやら私が娘にとって絶対的信頼の対象であった時代は、すでに過去となっていたらしい。
「シャカンも詰めてるし、安全運転ギムイハンってお母さんが言いそう――」
「車間を空けない方がいいんだよ、こういう時は!」
苛立ちを抑えきれなくなって、私は遮った。仕方がない。現実の道路マナーというものを教えてやる。
「中途半端に間を空けたら、他の自動車が割り込んできたり、歩行者が無理に横断しようと飛び出したりするだろう? こんな凍ったガラスじゃ、よく見えないじゃないか。間を詰めて前の車のランプに食らいついた方が、運転しやすいし、余計な危険を避けられる」
「それって、ヘリクツって言うんじゃ――」
「屁理屈じゃない。ドライバーの知恵だ。他の自動車もみんなそうしてるじゃないか」
娘は前後左右を見回した。夕闇の中で、赤と白のライトの連なりが、いつもより詰まり気味の長い車列を作っている。追い越し車線も同様だ。どれもこれも、駐車場からつるんできた車の群れだった。
「どうしてみんなこんなに詰めたがるの?」
「そりゃ、うちと同じように、みんな窓が凍って見にくいからだろ」
「それはつまり、みんながお父さんと同じことを考えてるってわけ?」
「正しい判断は、常に一つなんだよ」
いささか誇らしげに私は言った。だが、娘はますます考え深そうに、
「要するに、みーんな揃って、よく見えてないのを車間詰めてごまかしてるってことだよね?」
「まあ……そうと言えなくもない、かな」
「で、今、みんながスピード違反してるのは、単に一番先頭の車がスピード違反してるから?」
「理論上はそうなるね」
「その自動車は、どうして前もよく見えないのに、危ない運転してるの?」
あまりにも純粋な理論の組み立てに、私はつい失笑した。
「おいおい。別にこの道路を走ってるみんながみんな、窓ガラスを凍らせているわけじゃないぞ。ちゃんと前が見えている車もあるさ。だから、みんなそういう自動車にくっついて、少しでも安心しようとしてるんじゃないか」
「そうなんだけど」
娘はなおも小賢しそうな口振りで、
「もしも、先頭の車が何も考えてなくて、前もろくに見えてないまま、凍った道路をバンバン飛ばしてるだけだとしたら? そして、そのことに後ろの車がまるで気づいていないとしたら?」
そこはかとなく疑念混じりの目で、娘がこちらをじっと見る。不安を訴えかけているようでいて、響きの裏に勝ち誇ったようなあざけりまで感じられる。ここまで妻に似てきているとは。これは早々に父親の権威を回復せねばなるまい。
私は本気で言い返すべく、意を決して口を開いた。……が、そこで唐突に気がついた。この場で有効な反論など何一つないことに。
前方からすさまじいクラッシュ音が轟いたのは、その直後だった。
<了>
列をなす者たち 湾多珠巳 @wonder_tamami
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