第10話 懇談会②

「迷宮を、潰す……」

「ああ」離れた席にいる服部の小さな呟きに、アルヴァトは当然のごとく返した。さらに、眉ひとつ動かさず小皿の醤油しょうゆを一気にあおると、言葉を繋いだ。「迷宮は恐らくこちらの産物。僕が故郷の尻拭いをして、君たちは平穏を取り戻す。簡単な話だろう?」


 あまりにも唐突で、想定していなかった展開に、人々は思わず沈黙する。対して、少女姿の魔王は何事もなかったかのようにちまちまと食事を再開して、食器がぶつかる音を発していた。

 とても30人以上がいるとは思えない静まり返った一室に、秒針の刻む音が響く。そのような停滞した状況を打破するのは、彼らの中でも最も若いだろう栗毛の女性だ。彼女は席を立ち、瑞々みずみずしい手で髪を搔き上げると、アルヴァトに向かっていく。制止されようが全盛期真っ只中な肉体を揺らして堂々と歩き、アルヴァトの傍で止まった。

 


「魔王様、少し失礼しても?」


 栗毛の女性が問うと、アルヴァトは頷く。許可を得られれば、では、とひと息置いて、細い指で机の上にある紙ナプキンをつまむと――汚れた口を優しく拭った。


「まず、口に入れた物は飲み込んでから、次を食べましょう。でないと、今のようになってしまいますからね」


 アルヴァトの膨らんだ頬を突いて、彼女は言った。同時に周囲から悲鳴が上がるものの、気にせず続ける。


「それと、先ほどの茶色い液体ですが」

「茶色?」急いで嚥下したアルヴァトが首を傾げる。

「この小皿に入っていたものですよ。醤油と言いまして、実は飲み物ではないんです。この魚の切り身に付けるためのものなんですよ?」

「え」


 突如として開示された真実に、アルヴァトはぎょっとしてみせる。まるで天命を受けたかのような反応に口元を隠しつつ、塩辛くなかったか、と栗毛の女性は聞いた。


「通りで……」


 その真剣な呟きに、ついぞ耐えられなくなった彼女は――「くふっ」と噴き出した。


「あははは! ああ、駄目だ! おばあ様、この方可愛すぎるんですけど!」

「うわああ、やりやがった!」

「くそっ、これだから一条いちじょうの孫を連れてくるのは反対だったんだ!」


 腹を抱えて笑う栗毛の女性と、悠然ゆうぜんと茶をすする白衣の老婆に、頭を抱える老人たち。一応、彼女の行動は想定内だったらしく、嫌な予感が当たったと嘆く者までいた。もちろん、明智たちはすぐさま謝罪のために動くが、膝を突いたところで、全く気にしていないアルヴァトが切り出す。

 


「それで、どうなのだ? 迷宮を潰すのか、潰さないのか。君たち次第だぞ?」


 途端、僅かに緩んだ空気は一瞬で引き締まった。紫黒の瞳に見詰められた彼らがまたもや閉口すると、代わりに栗毛の女性が挙手する。それをアルヴァトは目で当てた。


「自己紹介が遅れてすみません。私、一条いちじょう千絵ちえと申します。普段は魔物の研究に勤しんでいる、ただの研究員です」そう名乗った彼女は先ほどとは打って変わって、真面目に語りかける。「僭越せんえつながら、何故彼らが迷っているのかを説明させていただきます」


 すると、明智が周りと一緒になって「ま、待ちなさい!」と焦って制止するものの、いつの間にか近くにいた白衣の老婆に頭を叩かれよろめく。


「いて! ……三縁みよりちゃん」

「止めないか、情けない。本当に、最近の年寄りは臆病で仕方がないんだから……ほら、黙って見てなさい。あんたたちが考えているより、魔王は寛大かんだいだと思うよ」


 一条三縁の孫、千絵は話す。

 

 

 およそ50年前、迷宮時代初期の頃。人類は、魔物の発生源たる迷宮を破壊せんと躍起やっきになっていた。二度と悪夢を引き起こさないために、自然、核爆弾、魔法と、ありとあらゆる手を尽くした。しかし、迷宮の破壊は叶わない。ひびを入れることはおろか、可能性すら見出せなかったのだ。ゆえに、諦めるしかなかった。

 そして、気付くのだ。諦めてしまえば――意外にも迷宮は役に立つ。

 魔石はエネルギー源になる。魔物の素材は環境に優しく、強固であるし、一部は食料にもしてしまえる。なにより、それらはまるで泉のように湧くため、枯渇こかつの恐れがないのだ。


 

 つまるところ。


 

「――君たちは、迷宮に依存している?」

「はい」


 アルヴァトが達した結論に、千絵はハッキリと頷いた。だが、解せないこともある。


「それが、どうして沈黙に繋がる? そう言えばいいだけだろうに」


 怪訝けげんにするアルヴァトの疑問は、当然であった。

 生物というのは、大抵なにかしらに依存しているものだ。大気も大地も大海も、小さな池や川も、生物になくてはならない環境である。その並びに迷宮が加わったとして、問題があるのだろうか。少なくとも、彼女にとっては大したことではない。

 千絵は質問に返す。


「実は、壊してほしくもあるんです。『ここで断ったら、もう機会が訪れないかもしれない。また魔王が協力してくれるとも限らない』って。みんなチャンスを失うのに恐怖しているんです。だから、話を進めようとしない」

「……」

 

 本当か? とアルヴァトは問うように明智に視線を送るが、俯いていて話にならず。代わりに自席で腕を組んでいた服部が、深く息を吐いて言った。


「はぁ……情けないことに、事実だ」


 彼自身もそのことに恐怖していたのか、あるいは周囲の人々の意図を汲んだのかは定かではない。ただ、それを情けないと考えているのは間違いなかった。


 チリチリとした空気が漂う中、覚悟を決めた明智は叫ぶ。床に額を擦り付ける姿は、先ほどまでの穏やかで、経験豊富な老人は見受けられない。前代未聞の異常存在に振り回され、疲弊ひへいしたひとりの人間がそこにはいた。

 

「ア、アルヴァト様、どうか我々に時間をください! 1か月ほどあれば、必ずや各国との協議を経て、正式に回答いたします! ですので、どうか!」


 必死になって懇願する明智を見て、アルヴァトは目を細めた。


 

 思えば、最初から一切落ち着いてはいなかったのだろう。

 

 すでに到着時刻は決まっていたというのに、バタバタと配膳はいぜんさせる段取りの悪さ。マリアオルトの影響で知っていたからよかったものの、食事方法の説明をしようともしない不親切。怒らせたくない怪物に、本来口にしない物を食べさせ、恥をかかせてしまう不用心。 

 そこまで気が回らなかったと言うのは簡単だ。だが、要人を集め、護衛を素早く呼ぶ手腕がありながら。琴線に触れないよう言葉には注意していながら――何故最悪の事態におちいりかねない、あらゆる可能性を徹底的に排除しなかったのか?


 

 アルヴァトはセウォルの人形を無動作で霧散させる。

 

蛮勇ばんゆうは面倒極まりないが、やたら臆病というのもまた面倒だな」溜め息とともに呟き、続けて言い放った。「話を拗らせて、すまなかったな。さぁ、続きだ。好きに問え」

「め、迷宮の件は……」


 誰かがカラカラとした声で聞く。その件について意識を裂いていない者は、この場にひとりもいなかろう。

 アルヴァトの回答を待つ時間は、ほんの数秒にも、数十分にも感じられた。未来を左右する、重要な質問である。もし二度と検討しないと言うのであれば、迷宮は地球上に永劫残ることが確定するのだ。


 そして。


「君たちにはまだ早かった。この話はなしにしよう」

『っ!』


 誰も彼もが、びくりと肩を跳ねさせた。絶望したように目を見開き、拳を握り締める。

 

「もっとも、安心しろ。撤回するつもりはない。君たちの行動次第ではあるが……まぁ、マリアオルトの同族ならば、大丈夫だろう?」


 だが、彼らにとって幸いだったのは、飽くまで放置するだけに留まるということ。今後、再びチャンスが訪れるわけである。確実ではないにしても、その答えに、胸を撫で下ろすのであった。

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人間嫌いの魔王様!~目覚めると、そこは初恋の故郷でした~ 織田なすけ @bartholomew1722

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