第60話 地位と役割

 あの初仕事の日からちょうど一月が経った。この仕事の契約の一月だ。

「さーて、今日のお仕事も終わりっと。兄弟、酒でも飲むか」

「だめだ」

 意外にも金髪の意見を却下したのは机に向かって何かを書き連ねていた茶髪だった。意外でもないか。いつも独走しがちな金髪を諫めるのが茶髪の役割だった。

「えー酒でも飲んで全部ぱーっと忘れようぜ?」

「そんな憂さ晴らしは虚しいだけだよ」

「お堅いねえ。オレみたいに、刹那的に生きたらいいのに」


 誰にでもどのコミュニティでも役割はある。

 マスターはマスターという役割があったし、おれには手足という役割があったし、アベルには頭脳という役割があった。その役割はおれらのように意識的に判別することもあるし、茶髪らのように無意識に役割を請け負っていることもある。ユートピアでは見られなかっただけで、きっと後者が多いのだろう。

 おれらは誰もが役割を持っている。それを相手によって仮面が如く使い分ける。それが人の中で生きるということなのだろう。だから、人は誰しも演者なのである。


 そして今のおれが欲しているものは地位だった。地位と富は相関し、地位は力となり得る。だからおれはマスターに逆らえなかったし、茶髪にも金髪にも逆らえないのだ。一対一で向き合った時の上下の下になるのだ。アベルが何よりも嫌っていた「負け」だ。言外に、無意識下にその勝敗は決まっている。


「なあ、おれが一等級になるにはどうしたらいいんだ」

 茶髪と金髪がやいのやいの話しているところに質問を投げかける。途端、二人は口を閉ざしておれの方を同時に見た。茶髪はいつも通り柔和な微笑みを口元に湛えている一方、金髪はぽかんと呆けた表情をしている。少し間抜け。でもその顔が「間抜けはお前だ」と訴えていて少し、いやかなり不本意だった。

「はあ? 一等級だって?」

 金髪が訊き返した意味がわからない。茶髪も表情こそ変わらないが、困惑が伝わってきた。

「お前さんは一等級を望んでいるのかい?」

 そうだ、とでもいうように頷く。頷くと、ぶはっと金髪が吹き出した。

「いーや、一等級は無理だって。雲の上の存在だからなあ。人間離れしないと無理無理、絶対無理」

「そんなに無理なのか?」

「少なくともオレはなれないし、なりたくもないね」

「なぜ?」

「やっぱり質問ばっかだな、兄弟。そういうのは肌で感じるもんよ。けどまあ誰も一等級になんかなりたくないって。なあ、おっさん?」

「はあ。不本意だが同意してしまうよ。あれは人がなれるものではない」

ため息混じりに茶髪は言ったけれど、てんで意味が分からなかった。

「じゃあつまり、一等級は人じゃないのか?」

 ぴりりと空気が凍る。肌、触覚が、この張り詰めた空気を嫌がっていた。

「……いいや人だよ。でも一等級にまつわる印象はお前さんが自分で判断することだ、少年。不必要に彼らの話をするべきではないよ」

 茶髪からも金髪からもこの話を終わらせたいという意思が漂っていた。空気が読めないとアベルからよく笑われていたおれでもわかる。

「わかった。じゃあ、昇給するためにはどうしたらいいんだ?」

 途端、空気が緩む。肌もぴりぴりしなくなった。茶髪は滲み出していた殺気を引っ込めて、代わりにペンにインクをつけて再び何かを書き始めた。おれの質問に答えたのはいつも通り金髪だった。

「さあな。班のリーダー、今回はこのおっさんが報告書を書くからそれを見て上層部が判断するんだろうよ」

 ずいっと茶髪を指さしていった。

「ほら見ろよ、今書いているのがその報告書だ」


 茶髪の頭上から覗き込むと、羊皮紙にびっちりと細かい字で何かが書いてある。目を凝らして読もうとするが、案の定茶髪に遮られてしまった。

「おや若者、その発言はいただけないね。四等級以下には見せてはならないのだから」

 茶髪が表情だけで微笑みながら言うのでおれはそっと目を逸らした。彼の言葉に逆らうと碌なことがない。彼の言葉はたいてい正論だったし、彼は上役だから従っておいて損はない。ユートピアと違って平等でないこの社会では、上に従うのが賢い生き方だ。アベルがそう言っていた。アベルの言葉はいつも正しい。

 しかし金髪は茶髪の言葉を肯わなかった。いつものことだ。自分と意見が異なった時、金髪はいつも茶髪に噛みついていた。そう、彼には意思があるのだ。意思のない人形よりはずっとマシだ。それが正しいかは別にしておいて。

「別にいいだろおっさん。どうせすぐに昇給するさ、誰が見てもこいつは五等級のタマじゃねーって。つーか、おっさんもこいつが昇給するように書いてるだろ」

「内容は極秘。三等級のお前さんにも言えないよ。それは知っているだろう?」

 この会話が面倒だと茶髪の顔に書いてある。一月の晩を共にして気付いたことだが、存外彼は表情が豊かだった。

「まあな。でも別に隠さなくてもいいんだろ、それ。だからおっさんもここで書いているんだろ?」

「……はあ」

 溜息を吐きながら、茶髪は首を振った。

「まあいいだろう。それより静かにしなさい」


 許可が出たなら見るしかない。ということでおれはすぐに見た。情報は出来る限り取り入れた方がいい。そうアベルは常々言っていた。

 

 茶髪の頭の上から覗きこむ。

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期間限定のアベル 淡青海月 @sin_zef

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