『知りたがりの知己くんと謎めいた知佳さん』

小田舵木

『知りたがりの知己くんと謎めいた知佳さん』

 世界には自分しか存在しないのではなかろうか?

 独我論どくがろんを突き進めていくと、こういう結論が出る。

 世界は。他人を含めて僕の脳内で展開されている―

 だが。こんな論は。他人の存在一つで崩壊する。

 他人の脳内にも。僕が味わっているのと相似した世界が広がっているのだから。

 

 ただまあ。

 眼の前の他人の中にどんな世界が広がっているのかを直接知ることは出来ない。

 僕の脳は他人の脳の中を伺い知ることは出来ない。

 出来るのはコミュニケート。間接的に知ることだけである。

 だからこそ。僕は他人に興味がある。

 一体、君はどんな世界を味わっていて、僕をどう捉えているんだい?

 

 僕は眼の前の君をじっと見つめる。

 さらりとした長髪、陶器のような肌、大きな水晶みたいな眼…

 彼女とは。友人の仲である。残念ながら、まだ恋人ではない。

 

「私をじっと見つめて。何が言いたいの?」

「別に。君が僕をどう捉えているのか気になっただけさ」

「…クラスメイトの知己ともきくん。よくいる量産型の中学生」

「そいつぁ。随分と詰らない見方をされているね、僕は」

「…デカルトみたいに。体の下に機械が隠れているんじゃないか、って言って欲しかった?」

「そうじゃないさ。僕は独我論者じゃない。もっと世俗的に見てどうなのかなって」

「言ったじゃない。何処にでもいる中学生。特別なトコロは何もない」

「あーあ。僕は君に魅力を感じているんだけどな」

「私は。君にそこまで興味を抱いていない」

「僕が詰らない男だからかい?イケメンじゃないからかい?」

「…と言うより。ティーンエイジャーのガキに興味を抱けない訳ね」

「ありがちな女子中学生。君も年頃の娘さんな訳だ」

「君が恋をするように。私だって恋をする」

「その相手が僕じゃないのが残念だよ」

「その相手になりたければ。もっと私にアピールする事ね」

「アピールねえ。僕には取り立てて誇れるモノはないね」

「裸一貫で私に挑もうとでも?」

「いやあ。僕の知的好奇心が君を知りたがっているもんでねえ」

「好奇心ね。なんともいやらしい」

「エロいことは言ってないだろ」

「知る…って性的なメタファー隠喩になるって知ってる?」

「…知らなんだ」

「聖書では。セックスの意で知るって言葉が使われる」

「そいつは初耳」

「とどのつまり。私に知的好奇心を刺激されるという事は。エロい事をしたいって意味になる…そういうトコロよ、君に惹かれないのは」

「しょうがないだろ、第二次性徴のまっただ中の僕たちは。多少性欲はある訳さ」

「それは理解してあげる。でも。それを女の子に言うデリカシーの無さは理解出来ない」

「人間。生物な訳だから。性欲があるのは当たり前の事なんだ。それを隠し立てするなんて。カッコつける馬鹿のやる事さ」

「カッコつけなさい。モテたければ」

「モテたいんじゃない、君に興味を持って貰いたいだけさ、知佳ちかさんや」

「知己くん。私は友人としては君に興味を持ってるけど。恋にまでは至らないと思うわよ」

「はたまた何で?」

「私は。君と友達になる過程で貴方の事を知り過ぎた…恋って言うのはね。謎解きみたいなモノなのよ。未知の異性を知りたいって衝動ね」

「なるほどね。僕の気持ちは恋な訳か、僕は知佳さんを知らなすぎる」

「別に隠し立てしてる訳じゃない。私は何時だって率直に君に語ってる」

「だが。君の心を僕の心が読み解かないだけ?」

「そう。君には性欲と恋心がある。だから眼が曇っている」

「…それを取り払う事は不可能に近いぜ」

「…そこは無理やり頑張んなさいよ」

「無理なもんは無理!僕は言い様もなく惹かれちまってる」

「言い様…あるじゃない」

「そりゃ、ある程度は言葉に出来る。でも、本質的なモノは語れない」

「湧き出る感情…私達は脳が完成していない…勘違いかもよ?」

「それでも。僕は君が好きだね」

「君は空気を創らずに告白するよね」

「好きなものは好きと言いたい性分でね」

「素直な事、でも。女は面倒な駆け引きが好きなの。プロセスを大事にする訳ね」

「結果は同じじゃないか。とどのつまり好き…それだけだよ?」

「もっと。段階を踏んで…色んな言葉で好きって伝えて…好きって言葉を修飾する…そういう面倒さを女の私は愛してる訳」

「至る結果までの段階を大事にする…次回までになんとか考えてみるかな…」

「そうしなさい、そうしなさい。じゃ、帰るわよ」

「んだな。もう17時近い」


 こうして。僕と知佳さんは下校する。

 これが。僕の最近の日常であり。

 縮まらない恋の過程でもある。

 

                  ◆

 

 発生学的には。

 男性器は女性器の原型が形成された後で創られる。

 つまり。僕はお母さんの胎内の中で。一度は女性だった訳だ。

 なのに。知佳さんの事が全く分からない。

 ああ、コイツは大問題である―

 

「…なんて思うんだけど。知佳さんはどう思う?」

「詰らない生物学的事実を示すのなら。女性ホルモンにあまり晒されてないのが問題じゃない?」

「そりゃ一理あるな。僕は女性ホルモンをしこたま浴びた訳じゃない」

「女性はね。女性ホルモンに支配されていると言っても良い。男性が男性ホルモンに支配されているように」

「僕には言いようのない性欲があり…知佳さんには生理がある」

「それと同列に語らないでよ。そもそも私にも性欲はあるわよ」

「…知佳さんに性欲ぅ?似合わないな」

「あのね。私も詰らない人類な訳」

「でも。性欲の内容は違う…のかな」

「じゃないかしら。私達の性欲は自己保存的。君たちのは―種蒔き的かな」

「自己保存的な性欲って何だよお」

「子孫を残したい。それが女の性欲。男の性欲は女を征服したいって衝動でしかない」

「僕は。知佳さんを征服したい訳じゃないぜ?」

「でも。いやらしい妄想をする時、貴方は私にまたがってるでしょ?」

「それを言わすなよ…まあそうだけど」

「私は。セックスをただのプロセスだと考える。私の性欲は出産まで込みな訳」

「いきなり話が重いぜ」

「でも。セックスの至るトコロはそこでしかない。近代になってからよ。セックスに出産が絡まなくなったのは」

「コンドームの発明…何年だったかな」

「正確なトコロは分からない。でも、1900年代には日本でも普及していた」

「それまでは。一発キメれば人生が決まっていたわけだ」

「そういう覚悟を持って。性欲を持ちなさいね。知己くん」

「いやあ。重たいです」

「それが。女を知るって言うことよ」

「僕の好奇心は。重たい話に耐えうるだろうか?」

「それを私に尋ねてどうする、耐えなさい。性欲を抱いているのなら」

「…知佳さんは子どもが欲しいのかい?」

「そりゃね。子どもを産むのは女にしか出来ない」

「男はそこに一枚噛むしか出来ない」

「とは言え。子育ては手伝える」

「僕たち中学生だぜ。子育てなんか想像もつかない。そも子育てされてる最中だ」

「…まあ、そういう訳で。性欲は仕舞っておきなさい」

「耐え難い時は?」

「自分でなんとかしなさいよ」

「自分でなんとかする時、君が思い浮かぶ」

「そういう話は心に仕舞っておきなさいよ」

「僕は率直なのがウリなのさ」

「率直は美徳だけど。空け透けに語る事がいつも正しいとは限らない」

「僕は。率直に語ることで。君に僕を示している訳さ」

「示されたトコロで。私が知己くんを君が理解して欲しいように理解するとは限らない」

「これがコミュニケートの難しさであり、醍醐味でもある」

「それっぽい事言って誤魔化ごまかさない」

「誤魔化したくもなるさ。こうも理解されず、理解できないとなると」

「理解って君は言うけど。そもそも男性と女性は脳の構造が違う」

「だから理解し合えない、と?」

「いや。だからこそ理解しようとコミュニケートを取る。それがいくら絶望的なやり取りでも」

「とどのつまり?」

「諦めるのは何時でも出来る。絶望する前に言葉を紡げってね」

「巧い言葉が紡げない時は?」

「何でも良いの、話題なんて。まずは話合うことから。じゃないと、一生距離は縮まらない」

「ん?知佳さんは僕と距離を縮めたいの?」

「…ま。一番近くに居る異性だから」

「釣れないなあ」

「ここで甘くしたトコロで。意味はないからね」


 ここで。最終下校時刻を告げるチャイムが鳴る。

 夕暮れに満たされた教室には僕と知佳さんの2人だけ。

 そこには確かな距離がある。

 だけど。それを詰める努力をするのが大事なのだ、と知佳さんは語った。

 

                  ◆

 

 僕と知佳さんの世界を重ねた時、多くの景色は一致するだろう。

 それが世界を共有していると言う事だから。

 でも。僕と知佳さんの世界には決定的な違いがある。

 それは僕の世界には僕型の穴が空いていて。知佳さんの世界には知佳さん型の穴が空いているという事だ。

 全く。だからこそ興味を抱いているのだが。

 知佳さんは全く僕に知佳さんの世界を見せてくれない。

 それは知佳さんに言わせれば、僕の眼が曇っているという事だが。

 これは不平等ではなかろうか?

 僕は彼女に率直に語っている。だが彼女は何時でも謎に包まれている―

 

「別に隠しているわけじゃない」浴衣姿の彼女は語る。

「らしいね。君から言わせれば」甚平姿の僕は応える。

「にしても。甚平、似合うね。知己くん」

「知佳さんの浴衣もキュートだ」

「お褒め頂きどうも…ねえ。知己くん、私は意地悪はしてない」

「でも。僕には全く君が見えてこない…かと思えば。祭りに誘ってくる。二人で」

「それは―私、友達居ないから」寂しそうに言う彼女。

「…知佳さん。いい意味でも悪い意味でも浮いてるからね」

「悪い意味で浮いてるってどういう事よ?」

「君は近寄りがたいんだよ」

「それなのに。知己くんはしつこい程絡んでくるじゃない」

「それは僕は君が好きだからね」

「そういうのは雰囲気を作ってから言いなさいよ」

「僕の性格的に無理だね、率直に語るが吉。吉野家の家訓だ」

「その家訓を創ったのは男の人ね」

「かもね。僕は爺ちゃんから聞いた」

「にしても。こうも人混みしてるとは」知佳さんは丸い目で人混みを眺める。

「ここは小さな街で。騒ぐ機会はそうないからね」

「こうして人ばかり見てると。寂しくならない?」

「どうして?僕は人混みの中に居ると孤独を忘れる」

「人がこんなに居るけど。みんな違う世界を生きているのよ?」

「それが自らの世界を持つって事じゃない?」

「私も。人を知りたいという欲求がない訳じゃない」

「僕にはそうは見えないけどね…だから。知佳さん、君はクラスで浮いているんだよ」

「私だって…人を知りたい。でも私が人を知ろうとすると。コミュニケートがうまくいかない」

「それは。知佳さん、君に率直さがないからさ」

「何時でも率直に語るのは危険じゃない?」

「…そりゃ場合によっては隠さないといけない事もある。でも。正直に語らないヤツを他人は信用しない」

「…うまくいかないモノね」

「僕を実験台にすると良い。知佳さん、君はどういう人なんだろう?」

「私?詰らない人間よ…例えば。りんご飴。アレ好きだな」

「…奢って欲しいのかい?」

「奢って欲しいかもね」

 

 僕はりんご飴の屋台でりんご飴を一つ買う。

 真っ赤な飴に包まれた果実。

 それは知佳さんを思わせる。

 薄い飴で。知佳さんは覆われているのだ。

 僕は。その飴を剥がそうと必死だったけど。

 今日。少し、飴を剥がせたような気がする。

 

 知佳さんは飴を受け取ると。

 丸い眼でそれを眺めて。少し微笑む。

 僕は始めて知佳さんの微笑みを見たが。

 それはいつもの謎めいた彼女ではなく。

 ただの14歳の少女だった。

 うん。これはギャップがあって良い。

 

 この後。

 僕と知佳さんは祭りをのんびりと眺めた。

 近所の大社。そこの参道に出店は広がって。

 僕と彼女はその人混みの世界を共有する。

 きっと。今は。僕と彼女の世界は一致している。

 

                  ◆

 

 季節は巡る。

 気がつけば、東北のこの地方では雪がチラつくようになった。

 一面、銀世界の季節がやってきたのだ。

 僕はマフラーとコートと手袋で重装備をしながら、街を歩く。

 その隣には彼女…知佳さんが居る。

 あの祭り以降。知佳さんは僕の側にべったりだ。

 あの祭りの何が知佳さんを変えたのかは分からない。

 だが。知佳さんは僕を知ろうとしている。

 それは中々にむず痒い状態ではある。

 なにせ。好きな女の子に僕の世界を探られているのだ。

 これは男子中学生垂涎すいえんのイベントだが―

 相手が知佳さんだ。何もかもを見透かされそうな。そんな気がして。

 僕は気が気じゃないのだ。

 僕は。改めて考えるとしょうもない人間であり。知佳さんには見合わないような気がしないでもない…

 

「知佳さん」僕は傍らのダッフルコートの彼女に問う。

「何?知己くん?」

「僕は詰らない人間なんだ、君に見合わないかも知れない」

「…そんな事。前から知ってる」

「んじゃあ。君は僕の何を探っているんだい?」

「そうねえ。君が知らない知己くん。それを探している」

「いっその事。我々は付き合うべきではなかろうか?」僕は提案する。もう学年では噂になっちまっている。僕は女子にも男子にもからかわれ続けている。

「…それにはまだ早いかな」

「こんだけ付き纏っといてかい?」

「私は一分一秒でも長く君と居たい」

「まるで告白だ」

「立場が逆になったわね」

「どうだい?人を乞う気持ちは」

「何だか不思議。子どもに戻ったみたいな気分」

「僕たちはまだ子どもだろ?」

「昔は。12歳から元服してたもんよ」

「それは社会制度が違う時代の話だろ」

「そうだけど。第二次性徴を経てしまえば。子どもは創れる。つまり、生物学的には成熟済みなのよ、私達は」

「こういう時だけ大人扱いされるのは困ったもんだ」

「ま。そんな訳で。私は久々に子どもめいたワクワクがある訳」

「…そいつぁ良かった。んが。僕の知らない僕を示す為にはどうすべきかね」

「ただ。私の前で生きていてよ。勝手に私が君を見つけるから」

「…それは告白だぜ。知佳さんよ」

「…言われてみればそうかも知れない」

「とりあえず。手でも握ってみるかい?」

「やってみますか」


 僕と知佳さんは手を繋ぐ。

 手袋越しの彼女の手は汗ばんでいて。

 僕は意外に思う。彼女はクールなはずなのだ。

 なのに。緊張して手が汗ばんでいる?

 僕は彼女の知らない彼女を知ったような―気がした。

 

                  ◆

 

 あの初めて手を繋いだ日から。何年が過ぎただろう。

 僕は相変わらず生きていて。彼女も相変わらず生きている。

 それを何故知っているのかって?

 それは彼女が僕の家に転がりこんでいるからである。

 

 僕たちは。高校進学を機に離れた。僕の成績が最悪だったのだ。

 それから。大学を経て…社会人になって。

 社会人になった時、僕は東京に出ていた。彼女は地元で就職していた。

 だが。同窓会の時に再会した。

 僕は同窓会に出た彼女を意外に思った。彼女はクラスでは浮いていた。要するに中学にいい思い出はない。同窓会に出る理由はないはずなのだ。

 

「知己…くん?」うっすらと化粧をした彼女は。あの時と変わっていなかった。

「よ、知佳さん」僕は。大学進学と共に見た目を変えている。髪を染めたりした訳だ。

「久しぶりね」ジョッキ片手に彼女は僕の側に座って。

「高校1年の時に別れたからね。7年ぶりくらいか」

「元気にしてた?」

「ま、昔と変わらないよ。中身は」

「知りたがりの知己くん」

「謎めいた知佳さん」

「…もう。そこまで謎はないけどね」

「そうかい?君も変わらないよ」

「とは言え。23にもなると。かつての透明感はない」

「我々も世俗にまみれた訳だ」

「汚れなければ。世間には交われない」

「ガキのままじゃ世間は渡れない」

「全くね」

 

 僕は。彼女としばらく話し込んで。

 煙草を吸うために中座する。

 それに彼女は着いてくる。

 

「煙草、吸うのかい?」

「いいや。この会に来た目的は果たしてしまったから」

「なんだい?7年ぶりに元カレの顔を見に来ただけかい。君らしいっちゃ君らしい」

「それ以外に。中学にマトモな思い出ないから」

「…君は。結局、僕と付き合っても、他の女子なんかとはつるまなかった」

「どうしても。君以外とはコミュニケートがうまくいかなかった」

「君が近寄りがたすぎるからだ」

「今は。仕事の関係上。そういう事はないけどね」

「高校卒業して、即就職だったよな」

「そうそう。家にお金なかったから」

「奨学金狙えただろうに」

「奨学金なんて。結局は借金じゃない」

「それはそうだ」

「ねえ…この会。抜けない?」

「別にいいけど」

 

 僕と知佳さんは。同窓会を体調不良と言って抜けた。

 そして、適当な居酒屋で呑み。大人だからホテルに行って。

 中学生の頃の夢を叶えちまった。

 

 そして。僕は翌日には東京に帰った。

 休暇の残りが少なかったから。

 とりあえず。久々の帰省は妙な記憶が残る結果となった。

 中学生の頃の僕が聞いたら卒倒するだろう。

 

 あれから。

 数カ月後。仕事をしていた僕の携帯にメッセージが入る。

 知佳さんからだ。

「今、上野駅にいるんだけど」

「…分かった。迎えに行く」

 

 かくして。

 僕は知佳さんを上野で拾う。

 大きな鞄を下げてきた彼女はまさしくお登りさんである。

「何しに?」僕は訊く。

「…君に会いに」

「何かしでかしたっけ?」

「そうじゃなくて。ただ、私が会いたくなっただけ」

「君は。中学生の時にその素直さを見せるべきだったね…んで?ホテルは?」

「取ってない」

「無茶する」

「東京には一杯ホテルあるでしょ」

「予約しないとあっという間に埋まるっての」

 

 こうして。彼女は僕の家に居座った。

 これは中々不思議な事態である。

 僕の1Kのアパートに彼女が収まっているのだ。

 付き合っていた頃さえ。家に上げた事はなかったのに。

 

 彼女は。

 一週間が過ぎると帰って行った。

 しかし。僕の家に忘れ物をしていった。

 これは。僕に届けろということなのか?はたまたまた来るということなのか?

 そんな風に一ヶ月悩んでいる内に。

 彼女はまた来る。今度は仕事を辞めてきたらしい。

 そして。物件が見つかるまで泊めてくれと言う。

 …いつの間にこんなに積極的というか…厚かましくなったのだろう?

 僕が居なかった7年間で何が起こったというのか。

 …ま。僕も僕でそれを受け入れてしまったのだが。

 

 これは少し問題を起こした。

 何せ。僕には彼女が居たからだ。知佳さんとは別に。

 最初の東京訪問は誤魔化せたが―もう一度は無理だった。

 何せ、抜き打ち訪問されて。知佳さんが僕のベッドで寛いでいたからだ。

 

 いやあ。あの場は辛かった。

 まあ、その辺を整理してなかった僕が悪いんだけど。

 結局。家に残ったのは僕と知佳さん。

「やっちゃった」

「やっちゃったね」

「…知佳さん、僕はこれでフリーだ」

「それは有り難い」

「…君、居座るつもりだろ」

「そりゃ。意外といい物件ないからね。仕事の方が先に決まった」

「仕事が出来たのは良いことだ…いい加減、ネカフェにでも行き給え」

「やましい事はなくなったじゃない」

「ああ、まっ更になったよ。お陰様でね」

「整理しないで。私とセックスした君が悪い」

「仰る通り」

 

                  ◆

 

 それからそれから。

 僕と知佳さんは。

 結局のトコロ、同居を続けた。

 3年にもなる。気がつけば二人で2LDKのマンションに引っ越しており。

 そろそろ結婚も視野に入って来る頃である。

 

「僕は―君を知れただろうか」僕は晩酌の席で言う。

「何を今さら。プライベートまで共にしてる」

「でも。一緒に過ごそうが。埋まらない部分もあるじゃない?」

「家事の流儀とかね。案外意見が合わない、知己くんと」

「何故。僕の家に居座る?」

「…上京してから。ずっと君の側にいるからねえ」

「それは君が押しかけたんだろう、知佳さん」

「だって。君しか頼れる人は居なかった」

「と、言うより。僕を狙って来たんだろう、君は」

「そうね」

「君は。中学生の頃から比べると。随分分かりやすくなった」

「…女は複雑に見えて。単純なモノらしい。私も最近知ったけど」

「そういう素直さを別れる時に見せないから、こういうややこしい事態になる」

「…ごめんね」

「いや。もう良いけどね」

 

 僕と知佳さんは。結婚するんだろうな。もしかしなくても。

 でも。まだ。僕は彼女を知らない。

 それは彼女が他人だから。

 どんなに近くに居ようが、どんなに愛し合おうが。

 人と人、男と女には埋めがたい距離がある。

 だが。それを知ろうとするのが。

 恋であり愛であるのだろう。

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『知りたがりの知己くんと謎めいた知佳さん』 小田舵木 @odakajiki

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