オマケ「推し」文化の歴史についての考察
私は「推し」という言葉が持つ独特の重さが苦手で、以前は使用を避けていました。
しかし「推し」は本来は「好き」よりももっと軽い言葉だったのでは、ということに気づきはじめた最近は、気軽に使うようになりました。
まず最初に「推し」という言葉を広めたのはAKB商法と結びついたアイドル文化ですが、その時点での「推し」文化はマニア的な知識のあるファンにならなくても、何となく気になるくらいの気分でCDを一枚買って投票して応援すれば、それは「推し」たことになるのだという、軽い気持ちで参加できるものであったはずです。
熱狂的なファンがCDを何十枚も買うケースがあったとしても、本来のAKB商法は時間と気力を使わなくても少しだけ金を出してCDを買えば応援できる、というシステムだったと思われます。
このように元々は「推し」という言葉はハードルが低いから使いやすいものだったのを、妙に重い意味を持たせはじめたのは多分、2010年代の2.5次元若手俳優舞台界隈にいた人たちだと思います。
AKBが広めたカタログ的「推し」文化の変質がおそらくここで始まって、女性アイドルの男性ファンが中心に使っていた「推し」という言葉が、どんどん女性のものになっていきました。
あの頃の若手俳優ファンは、アイドル的な売り方を嫌がる人もいましたし、アイドルではない一人の俳優を応援する自分という自意識が強く、言説が独特なところがあった気がします。
そういう人たちの気質が、特別な絶対としての推しという使い方を作っていったのではないでしょうか。
女性アイドル界隈では推しは推しであって、その意味を深く考えることはおそらくあまりなかったはずです。アイドルとファンの関係が、まず最初にありますから。
しかし若手俳優界隈にはアイドルのファン文化の規範が存在しなかったので、彼女たちは「推し」とは何かを自問自答して意味を変えていくことになりました。
ジャニヲタが使う「担当」や「自担」とも、ヅカヲタが使う「贔屓」とも違う、AKB商法的な意味から剥離した新しい言葉としての「推し」の開始点は、そこにあります。
とある武将隊が公営ホストと揶揄されていたあの時代、ファン活動をする男性は危険性もあるお客さんとして企業に管理されていた一方、ある種の「推し」がいる女性は今より自由で危ない世界にいました。
健全と狂気が紙一重で隣り合わせな怖い場所が、当時は問題視されずに存在していました。
そうした過去の状況を踏まえると、自分はファン以上に特別な存在かもと錯覚させられる地下アイドルファンのヤバさとは別の、自分は特別ではなくても推しは自分にとって絶対的に特別な存在だから推さなくてはいけないという方向にこじらせる「推し」文化のヤバさは、やはり2.5次元若手俳優舞台界隈が育んだものに違いないと思います。
そして多分そこには、特撮作品や2.5次元舞台の原作からやって来た腐女子が持ち込んだ文化の影響もあります。
推しカプを見守る壁になりたいとか、そういうことを言い出す腐女子のメンタルが、現代の「推し」文化に与えた影響は決して少なくはないでしょう。
推し活をするのが下手すぎた話 名瀬口にぼし @poemin
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