推し活をするのが下手すぎた話

名瀬口にぼし

第1話 推し活をするのが下手すぎた話

 先日、推しのアイドルがアイドルとしてのグループ活動を卒業するので、そのお別れのサイン会に行ってきました。


 サインする品は推しの思い出に関わっているものなら基本はなんでもOKという、あまり大人気のアイドルではないからこその太っ腹なサイン会です。

 基本はなんでもOKというテーマに、私は大喜利みたいな気持ちになってしまって、何にサインしてもらうかを事前に考えました。


 まず真っ先に思いついたのは推しにはまったきっかけの特撮ドラマのDVDなのですが、それじゃ面白くないしベタすぎると判断しました。

 ブロマイドも、CDも、ムック本も、あまりにも普通すぎます。

 基本はなんでもOKと言うからには、もっと違う何かを持っていくべきサイン会なのではないかと、私は悩みました。


 家の中を見回して目に止まったのが、以前とある小説投稿サイトの無料キャンペーンを利用して一冊だけオンデマンドで印刷した自作Web小説の文庫本でした。

 万が一何か巨大すぎる奇跡が起きて実写化されることになったのなら、推しがヒーロー役をやってくれないかな、と妄想したこともある作品です。


 私はこれが、推しにサインを書いてもらうべき思い出の品だと思いました。

 推しのサイン入りのDVDやCDはこの世にたくさんあっても、推しのサイン入りの自作の小説本はこの機会に書いてもらわない限りは存在しないのだと考え、実行を心に決めました。


 アイドルのサイン会に自作の小説本を持っていくなんて恥ずかしい、という気持ちも確かにありました。

 でも私は妙なところで度胸がある人間なので、本当に自作の小説本をサイン会の会場に持っていき、1回3000円の料金を払って列に並んでサインをしてもらいました。


 私の推しは、エヴァや遊戯王や頭文字Dが好きな素直なオタクであって、Web小説のようなニッチな界隈への理解があるオタクではありません。


 だからサイン会に自作の小説本を持ってきた私はよくわからないヤバい女だったと思うのですが、それでも笑顔でにこやかに対応してくれて、個人で一冊だけ注文して作った本という説明に「じゃあ貴重なものなんだね」と大切に扱ってくれた推しはやっぱりアイドルで、その美しい心にテンパったひとりよがりのオタクのトークしか返せなかった私はまあまあの黒歴史です。


 なぜ目を見て話せなかったのか。


 オンデマンド印刷が意外とリーズナブルなことより他に、言うべきことがあったんじゃないのか。


 私の話は意味が通じるものではなかったんじゃないだろうか。


 そもそもやはり思い出の品として、相手が見てもわからないものを持っていくのは間違っていたんじゃないか…。


 たくさん後悔することはありますが、それでも私の手元には推しのサイン入りの自作の小説本があります。

 私の行動と発言が黒歴史だったとしても、推しが残してくれたものは宝物です。

 だから私は、自分のしたことは忘れたい気持ち半分、推しの優しい声は忘れたくない気持ち半分で、本棚に自作の小説本をしまいました。


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