第8話 呪い

「とんでもない子だね」

「そうなのです。僕の自慢です」

「違う。アレと友達でいられる君のことだよ」

「えへへ~」


 テテは僕の頭をゴシゴシと雑に撫でつけると、悔しそうに嘆息した。


「せっかくキマッた退散できたのに、ものの数時間で再登場。ダサいよねぇ」

「何ようですか?」


「いやね、せっかく天使とバトるよう仕向けたつもりなのに。君ってばすーぐ気づいちゃうんだから焦るよね。『天使になるためには、必ずしも天使を殺す必要は無い』っていう裏ルールにさ」

「ニヤニヤ」


「憎たらしさが溢れているよ……。そーさ、実は天使の物語にバトルはいらないの。でも君には、楽な道を歩んで欲しくないのが本音」

「どうして?」


「素質があるから。みだれには大天使になれるポテンシャルがある」


 うぅむ。僕はみだれにさしたる興味は無い。だがテテはなぜ再登場してまで、僕に助言を伝える必要があったのだろう。


「わからないな。結局テテはなにをしにきたの? 僕に何をしてほしいの?」


「えー、それ聞いちゃう? まぁいいや、みだれなら多分言っても大丈夫。あのね、あのね。私には夢があるのです。そのために生きているといっても過言ではない。私はね、みだれ──」


 戦慄する。僕の心に悪感情はない。だというのに悪寒が頚椎をゾゾッとなぞるのだ。


 感情由来ではない。これは生物としての反射にほかならず。

 命の危機を感じるほどの、芳醇な死線だった。


「世界中の人間を不幸にしたい」


 ゾ ゾ ゾ。

 何が天使か。

 やめてくれ。

 その表情は駄悪そのものだ。

 その笑みは、僕の知らない憎しみの黒色だ。


 テテ、君って奴は──。


「世界中の人間を不幸にしたい」

「不幸のどん底にたたき落としてやりたい」

「生きる意味を喪失し、自らの内臓をえぐりだしてみてくれ」

「それでも死にきれず、毎晩リストカットをしてくれ」

「夜と恋人になって、粘菌のはえたセックスをすればいいんだ」

「絶望としとねを交わし、鬱屈の病魔を孕めばいいんだ」

「渇望を醸せ。幸せになりたいって叫べ。そしてせいぜい、私にすがれば?」

「一人ずつ丁寧に触れてあげますよ」

「時間をかけて、心逝くまで幸せに沈めてあげましょう」

「十年待ちの行列を作るんだ。最後尾の立て札は頑丈にしなくちゃね。首を吊っても折れないくらいに」

「SNSのトレンドをおしゃれにしてみようか。ハッシュタグ、『通勤ラッシュを止めてみた』なんてね」

「法律を改定しよう。階段の全部を13段に整える。三島由紀夫と太宰治を義務教育に指定し。公園の遊具には断頭台をしつらえ、役所ではアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所体験コーナーを紹介させていただきます。全国津々浦々に素敵なスーサイドスポットを設けるのだ!」

「オランダとルクセンブルクとベルギーへの渡航は無料! 練炭と睡眠薬と青酸カリを半額セール!」

「ノストラダムスと素敵な週末を過ごし、無知なソクラテスに遺書を書かせて!」

「世界地図を平らに叩く!」

「そんで、そんで! 他にもいろいろ!」

「私はね、みだれ」

「世界中の人間を不幸にしたい」

「世界中の人間を自殺させたい」


——だって私は天使だから。


 テテ、もちろんその可能性は考えた。考えついた上で、思考から排除したんだ。

 だってそんなの、僕でもわかる、あまりにもイカれている。


「私はね、いつも一人だけを残すんだ」


 人が増えたとしても。減ったとしても。幸せの絶対量は代わらないという。


 では仮にだ。

 世界中の人間が死んで。

 たった一人だけが残った星なれば。


「その一人を、幸せにしてあげたい」

 

 理論上、全地球百億人分の幸せが、たった一人に集約されることになる。

 

「人生に満足し、悶え、蕩け、恍惚したその──」


 幸せタッチ。触れた人間が人生に満足すると、頭がはじける。

 つまり。


 テテは自分が幸せにした人間の『表情』を、みることができない呪いに架されている。

 誰かの幸せのために、無辜の家族を爆破してしまうほどのお人好しがテテであれば。


「一度でいい。しんそこ幸せな面を、眺めてみたい」

 それがテテの夢で、生きる目的。あるいは、死なない理由。


「ご清聴ありがとうございました。いかがでしたか?」


 あぁ、だから僕はテテに憧れたんだ。

「とっっっても、素敵な夢じゃんか!」

 

 天使は他者を幸せにする存在。

 彼女の夢は、いたって正当な目的であり。

 はなはだ人間性を度外視していた。

 気色の悪い羽毛がよく似合う。


「あはっ。普通ひくのに! だから私はみだれのことが好きなのさ!」


 ハグされてしまった。嬉しい……。


「みだれ君! 私の夢を、どうか手伝ってはくれないかな!」


──多くの人を、不幸にしてみてはくれないかな?

 だから天使になれと言いう。何度も再登場して、恩着せがましく導いて。


「いやです!!」


「ほほう、どうして?」

「テテの一人が、僕じゃなきゃいやです」


「あはっ。君は私に選ばれたいと?」

「はい!」


「傲慢だなぁ、強欲だなぁ」

「テテが言ったんだ。天使になるためには、天使を堕とさなければいけないと」


「うん。つまり君は」

「テテを口説き堕としてみせるよ」


「とんだプロポーズもあったもんだぜ。せいぜい頑張りたまえ、少年。いつもお空から見守っているよん」


 抱きついたまま、よしよしされた。

 僕はきっと、この日のために産まれてきたのだ。

 幸せ。幸せ~。幸せ!!


「みだれ、私は君を好いているから、特別にヒントをあげよう。今から都会に向かうようだけれど。したら神戸は元町の、『オーシャンノベル』という店にいけばよろしい」

「そこには何があるの?」


「天使の主がいる」

「主?」

「助言は終わりだぜ。さ、チューしてやるから近こうよれ」


 彼女はおでこに頑張れって感じのキスをした。テテの姿はもうどこにもなく。

 けれど今もどこかで、ニヤニヤ見下ろされている気がしてならなかった。


 あぁどうしよう。はやる心臓が、ちっとも落ち着いてくれない。

 だからといって、止めてしまうには幸せがすぎて。

 走り出すことだけが、高鳴りを放つすべだった。


 走る。走る。

 僕は努力の人。僕はクラスで1番のランナーだ。

 なので思いのほか早く、自宅に着いた。

 そして早々、思い知る。ランちゃんを一人放置することの、に。


「おっと?」

 びっくらぽん。


 眼前、サイレン、黒煙、騒然。

 

 十年間過ごした大切な我が家が。

 思い出の詰まった花咲家が。


 燃えていた。


 家族の死体ごと、ぼうぼうと赤黒く、燃えていた。


 とても綺麗だなと思った。

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みだれの心に天使はいない 海の字 @Umino777

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