閑話 1 鹿児島新平の苦難











「もしもし?! ちょっと藤堂さん話が違うじゃないっすかぁ!」


『おう新平、随分と声が荒れてるじゃねぇか、どうした?』


「どうしたじゃないっすよっ! すげぇ簡単な仕事だって、すぐ終わるから残りは旅行だと思って楽しめって……うぅ」



 喫茶店で間抜けにも腰を抜かしてしまった夜、鹿児島新平は宿泊先のホテルの一室で上司である五郎へと電話をかけていた。

 濃密な数時間を体験し、何かよくわからない力に目覚めてしまった鹿児島は、自身の突拍子もない状況に未だ混乱しており、どうにか説明しようにも語彙力がどこかへと飛んで行ってしまってる。

 電話口の五郎は、鹿児島のあからさまに動揺した声を聞きながら、どうにもニヤニヤが止まらないであろう声色で、さも優しそうに問いかける。


『フッ、ほら何があったか言ってみ? 』


「あ、今絶対笑った! 笑い事じゃないんですって……俺、見えるようになっちまったんですからぁぁっ」


『へぇ……マジか』


「マジっす! 今だって……ヒィッ」


 鹿児島の座るベッドのすぐ隣に、変な生き物がちょこんと座っていた。

 デフォルメされた一つ目の小人のようなものが鹿児島を見上げており、なぜかこちらを凝視したまま動かない。

 鹿児島がビビり散らかしているのが面白いのか、小さな怪異は口を耳元まで裂けさせながら小さな笑い声をあげている。


 あの後、幽心からは鹿児島が吊るされた男に同調されそうになっていたことを説明された。

 男と目が合った瞬間に感じた思考が真っ白になっていく感覚、あれは恐怖だけではなく目を通じて同調されていたようで、あのまま目を合わせ続けていたら自我が塗り潰されて廃人になり、鹿児島新平として存在し続けられなくなっていたかもしれないということだった。

 そうなる前に幽心が目を遮る形で最悪の状態は免れたものの、一時同調されたことによってほんの少しだけ在り方が変質し、怪異から若干仲間扱いされるようになってしまった。

 ちなみに幽心は怪異たちから死神の如く畏怖の対象とみなされており、その気配を感じ取ると小物は一切近づかず彼を恐れて身を隠してしまうらしい。

 今回のようなケースは稀で、本来であれば建物内をふらつくだけで浮遊霊などは一斉に居なくなるため、簡単な仕事というのもあながち間違いではなかったようだ。


「なんでもっと早く助けてくれなかったのか聞いたら、『僕にとっても不測の事態だったので』って笑いながら言ったんっすよ? 信じられます?」


『あー……』


 この場の光景がありありと目に浮かび、五郎は何とも言えずに苦笑する。


 幽心は、元々あまり人という存在に興味を抱いていない。

 そんな彼が、遅いとはいえ鹿児島を助けたことに驚いているくらいだ。


 彼は自身が生きているということさえもどこか曖昧にとらえていて、常に死者が見える世界に触れていることもあり、その思考は一般的な感覚からは随分とかけ離れている。

 幼い頃に交通事故で両親を失い、五郎と出会うまでの数年間で父方の親族に随分な思いをさせられたことで人間不信、いや生者不振に陥っている節もあり、どんなに愛想よくされても、ふとした時に見えるこちらを求める欲が気持ち悪いのだと言った。

 家族として見てもらえなくとも普通に接してもらえるだけでよかったのに、引き取った者たちは見目が良く、両親の遺産を手にした幽心を邪な手で触れようとする。

 そういう者が辿る道は、大抵不幸だ。


 幽心は。五郎には見えない何かに。

 それは幽心を守るためなら周囲を不幸にしてもかまわないようで、彼に手を出そうとした人間は軒並み酷いことになる。

 怪我や病気で済むならいい。ひどい時には消息不明になり、二度と幽心の前に姿を現すことはない。

 まさに神隠しの如く、一切の痕跡を残さずに消えてしまった者もいるくらいだ。閉鎖的な片田舎でそんなことが起きれば、当然あっという間に噂は巡る。

 周囲は彼を呪われた子だと言って恐れ近寄らず、引き取り先はこれ以上共に居られないと拒んだ。


 そんな時、五郎の母であり、幽心の母の姉である春香が幽心を引き取りに行ったのである。

 裏稼業らしく豪奢な着物を纏い、横にはいかにもなスーツを着た地獄の門番の如き夫を連れて乗り込み、幽心を連れ去り同然に藤堂家へと迎え入れた。

 養子としてではなく、あくまで後見として彼を迎えたのは、藤堂の家柄がかなり物騒なことと、いつでも藤堂家から離れられるようにとの配慮である。


 五郎は突然降って湧いたような従弟に驚き、そしてその表情の乏しさと顔面偏差値の違いに度肝を抜かれた。

 あまりの造形美に周囲がとち狂うのもさもありなんと思いつつも、五郎は彼に無理強いすることなく気さくに話しかけ、警戒心剥き出しな彼をあちこち連れ回った。

 その間にも色々とおかしな現象は続き、全く見えない五郎でさえ背筋が凍り付くような体験もしたが、それでも腫れ物として扱うでもなく、かといって執着されるわけでもない関係に、幽心もいつしか毒気が抜かれたように落ち着いて、藤堂家を出て一人暮らしを始めてからもそれなりに仲がいい。

 未だ心の傷は癒えず、人と距離を置く彼が興信所などという人と関わる仕事を選ぶとは思っていなかったが、相手を手玉に取ることを覚えてからは表情に出ないなりに楽しくやっているようだ。


 今回の依頼は五郎が思っていた以上に危ないものであったが、その分幽心にとっても五郎にとっても面白いことになった。

 五郎と同じく見えないはずの鹿児島が、幽心と同じ目線で世界を見れるようになった。

 それは鹿児島にとって不幸なのかもしれないが、五郎にとっては都合がいい。

 一般的な感覚を持つ【見える人】が幽心の側に少しでも増えれば、死者を羨む幽心が、引き止めることが出来るかもしれない。


『まぁ、そっちにはあと一週間いるだろ? その間は幽心に付き合ってやってくれや。もちろんその分の給料も出すからよぉ』


「嫌っすよ! 帰りてぇ……真奈美とユイカに会いてぇよぉ……」


 ベソをかきながら妻と子供の名前を言い始めた鹿児島に、五郎はまぁまぁとなんとか宥めすかす。


『お前には貧乏くじ引かせちまったみたいで気が引けるけどよ、どのみち幽心には色々聞いといた方が良いと思うぜ? 見えるのが一時的なものならいいが、聞いた感じだとそうでもなさそうだしなぁ……』


「このままじゃ日常生活をまともに送れる気がしねぇっす。割とマジで」


『だったら余計に幽心と一緒に居た方が良い。ある程度奴らとの付き合い方を教えてもらえよ』


「やっぱりそれしかないっすかね……わかりました」


『わりぃな。幽心を頼む。あと、そっちの物件情報をいくつか送るから、そっちも目ぇ通しておいてくれ』


 そう言って通話が切れると、鹿児島はスマホを放り出してベッドへと寝転がる。

 その拍子に一つ目の小人が勢いよく投げ出されて消えていったが、反応する気力もなく何も見なかったことにして目を閉じる。

 明日になれば見えなくなっているはずだと信じ、シャツがよれるのも気にせずそのまま眠りについた。









「あ、おはようございます。よく眠れましたか? 」


「……夢じゃなかった。帰りたい」


「まだ見えるんですねぇ」


 翌日、ホテルのロビー。鹿児島が皮張りのソファーに座りながら死んだような目をしていたので声をかけてみたものの、幽心の問いに返ってきた答えは呟きほどのか細いもので、その目が追いかけているものを幽心も見てみると、ありえないほど大きいムカデのようなものが天井に張り付いている。他にもロビーの真ん中には首が変な方向に曲がった女性がぼんやりと立っていたり、その足元には鹿児島が昨日見た小人のようなものが走り回っていた。

 もちろんそれらは幽心たち以外には見えてはおらず、誰もがいつも通りの日常を謳歌し、すぐ隣に日常を脅かす化け物がいるなどと露ほどにも思っていない。


「なんか、幽霊だけじゃない……変なのもいる」


 放心したように呟く鹿児島は、昨日に引き続き語彙力がどこかへと旅立ってしまっている状態だ。


「怪異の中には妖なんて呼ばれるものもいますよ。彼らは目を合わせると寄ってくるので気を付けてくださいね」


 そう言って幽心が何かをすると、途端に怪異たちは逃げ惑い何処かへと消えていく。


「五郎からも言われてますし、しばらくは僕と一緒に行動しましょう」


「しばらくって、どれくらいだよ」


「うーん、そうですねぇ。様子を見つつ一週間。それ以降は五郎と相談して、場合によっては新平さんに興信所のお手伝いをしてもらいつつという感じでしょうか? 」


「……わかった」



 とりあえず、鹿児島自身にはどうしようもできないことだけはわかった。

 今の状態のまま家族と会ったら、何か良からぬことが起こるかもしれない。

 妻と子供に何かあれば、自分は自分で居られなくなってしまう。

 この状態がいったいいつまで続くかもわからないのなら、目の前の男に教えを乞うしかないのだ。


「下見しなきゃならない物件があるんですよね? 今から行ってみますか? 」


 鹿児島は諦めたように深いため息を吐くと、幽心の言葉に頷き椅子から立ち上がり、彼の後について歩き出す。



 結局一週間が過ぎても鹿児島の視界が元に戻ることは無く、それを聞いた五郎から送り出されるようにして、鹿児島は幽心の興信所の手伝いをすることになるのだった。






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道下幽心の心霊奇譚 @yanan2929

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