第11話(了)
依然言葉を失ったまま呆然とする鹿児島に、幽心はフッと瞳の温度を和らげると、水滴がついたグラスを手に取り残りを飲み干した。
「とにかく、呪術の核になっていた彼があのアパートから去ったことで場の乱れも整いましたし、これで霊障も落ち着くかと。依頼も完了して一件落着、ですね」
「……そう、だな」
絞りだすように言葉を返す鹿児島に、幽心は苦笑にも似た笑みを浮かべて立ち上がる。
幽心も、今日初めて会った人間に自分のことを理解できるとは思っていない。それが今まで霊と関わりの無かった人間であったのなら猶更だ。
どうしても生身の人間よりも、幽霊贔屓になりがちな自分は、世間一般的に見れば随分と浮いていることくらいはわかっていた。
見えないことが当たり前なものが、当たり前のように見える。そんな世界が一つズレているかのような感覚は、おそらく見える人にしか理解できない感覚なのだろうから。
独自の感性を持つだろう幽心に対して否定の一言もないのは、理解が追いついていないこと以外にも、彼自身の人生経験によるものだろうことがわかる。
黒い手の存在や、幽心の持つだろう力について、あれだけ巻き込まれたのだから、聞きたいことなど山ほどあるだろう。
けれども、彼は深く追求してこない。無意識に引き際を弁えているような行動をとる彼に、幽心は久方ぶりにいち個人としての関心を覚えた。
幽心に近づく人間を勝手に選別し始めてしまうような、そんな過保護な五郎が紹介するだけのことはある。
そんなことをつらつらと考えていた幽心は、ふと何かを思い出したかのようにして小さく声をあげた。
そして、今度は何とも気まずそうな表情を浮かべながら未だ座りっぱなしの鹿児島を見る。
「そういえば、ですね。伝え忘れてました」
「? なんだよ」
「その……たぶん、なんですけどね? 」
「なんなんだよ。はっきり言えって」
言葉を濁す幽心に、鹿児島は嫌な予感がしつつも急かすようにして言葉の先を促す。
「新平さん、見える人になっちゃったかもしれません」
「……なんだって? 」
見える人、見える人とはつまりなんだ?
そんな言葉が鹿児島の脳内を駆け回る。文脈を辿り、結論が出るまでそうはかからなかったが、否定したい気持ちで次の言葉が出てこない。
幽心は相変わらず気まずそうな顔をしながら、その視線を店内の奥へと向ける。
自然と鹿児島の視線もそれに担いゆっくりとその先を辿ると、カウンターに座っていた少女が顔を上げ、こちらを見つめていた。
いや、はたして見つめていたのだろうか。
彼女の顔には、なにもなかった。
表情ではなく、顔のパーツそのものが、ない。
「うわぁっっ!! 」
ガタンッ
鹿児島が派手な音を立てながら、椅子ごと後ろにひっくり返る。
後に残ったのは、ひっくり返った痛みでのたうつ鹿児島と、それを見てあららと笑う美麗な男、そして怪訝そうに眉を顰めた店主だけ。
怪異はどこにでも、どんな場所にでも存在する。
人に感情がある限り、思うことを止めない限り、見えないだけで存在し続ける。
互いに相容れない存在でありながら、未練を持つ死者は目隠しされている生者に生前の思いをぶつけるように霊障を起こして、時には呪いをも撒き散らす。
彼らが見える幽心は、そんな彼らを否定しない。
苦しんでいるのなら、少しばかり手助けをして黄泉に送るだけ。それが生者にとってどんな結末になるとしても。
死者の呼び声を聞ける自分が、あの御方を感じるためにできる唯一のことだから。
「あぁ、あの御方の元に行けるなんて羨ましい」
代わってほしいくらいです、幽心は誰に聞かれることなくそう言うと、うっそりと妖艶な笑みを浮かべた。
【第一章 吊るされた男 了】
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