第10話 信長喪主となり香を位牌に投げつける事件

 織田信広の名は、三郎五郎。三郎は信秀の三郎、五郎は守護代織田家嫡流に使われる仮名である。また「広」は織田家宗本家といわれる伊勢守の「通字」であり、信長

の三郎より「格上」である。

 長男信広を産んだ中根七郎左衛門の娘は、信秀の正室のように装い奥を仕切っている。土田御前の実家も、中根の家と家格は全く差はないが、土田御前が織田家を差配し、実質的に動かしているのにあまり関心がない。

 そして中根の息子の信広が城主となっても、当然のようにふるまっている。そして中根の娘は自身を正室、自分は側室として扱い腹立たしく思っていた。

 土田御前は、信広に織田家を相続させたくない。彼女は手塩にかけて育てた信長を織田家の屋台骨にして、弟の信行を当主にしようと企てていた。そして信広を三河に閉じ込め、分家させる計画を密かに進めていた。

 信長は、まだ若く問題も多かった。だが土田御前は、この方針を変えず信長の成長を根気よく待っていた。

 一方の信長はその期待に応えるのが重責になってしばしばストレスを発散で奇行に走るようになる。信長は、いつしか家中でウツケと評判となり、おおたわけと呼ばれるようになった。

 しかし信長は仕事を怠けていたのでは決してなく、彼は必死に勉強していた。そしてこの時期に信長が考えていた世の中の矛盾や不条理、不合理の理由や歴史、それに対する対応策や対策が後々信長の躍進に繋がっていく。

 その時点では全く意味がなく、この時の忍耐が後の歴史を大きく動かすことに信長も知るはずもないことだった。         その頃美濃では、道三と反道三の対立がますます激しくなっていた。

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マザコン信長太平記 @michiseason

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