シュプールライン!

吉野茉莉

第1話 計画前

 風を切る音。

 闇に駆ける機体。

 心地よい響き。

 そして、絶叫。

「ぎ、ぎ、銀ちゃん、止めよう? ねぇ止めよう?」

 翼は左右に揺れながら、機体はそれでも天を目指していく。

 小型車程度の大きさの機体に二人が乗り込んでいる。

「何言ってんだ、ここまで来て引き返せるか! それとも何だ? 自分で設計しておいて不安だっていうのか、テツ?」

 短く立てられた茶髪に、両耳に被せられた最新式のブレインフォン。ブレインフォンからは小気味の良いリズムが濁流のように垂れ流されている。それに身を任せ、リズムを取る少女がいた。前の運転席で操縦桿を握っているのが彼女だ。

 風岡銀花カザオカギンカ、一六歳。

「不安なのは、設計じゃなくて、銀ちゃんの操縦だよ!」

 さらりとした黒髪に時代遅れのメガネを改造したプラスオーバー(任意視力調節機能付き言語始動型極薄端末)が唯一の特徴の、一見すると普通の少年が音楽に負けじと後ろから声を張り上げて叫ぶ。彼の膝上にはタッチパネル型のマシンが置かれていた。

 水上鉄斗ミズカミテツト、十六歳、銀花の共犯者であり、恐らく今回最大の被害者になるであろう人物である。

「じゃ、大丈夫だろ」

 不敵な笑みを銀花がしたかと思うと、これ見よがしにくるりと三百六十度、機体が縦に旋回する。

 胃液が反転する気持ち悪さを彼は抑える。

「行くぞ!」

 後部に座る少年が白い溜息混じりでひとりごちる。

「……やるんじゃなかった」


 そう遠くない未来の世界。

 人間は愚かにも過去の教訓を生かせず、オゾン層は見事になくなりました。フロンガスの影響ではありませんでしたが、前々からそのことを見越していたという某日本企業の提案により、ある一つの試みがなされ、そして実行に到るまでになりました。

 風の谷計画、昔々に流行った漫画のタイトルから付けられた、いかにもセンスゼロのネーミングですが、これは日本なのでしょうがありません。

 上空一万メートル、厚さ十メートルの雲が人工的に作られました。

 雲と一口にいっても、水分のまとまりではありません。三センチ×四センチの菱形の偏光ガラスです。偏光レンズは紫外線だけを反射し、その他の波長の光をほぼ完全に透します。

 反射された紫外線は雲の外側で酸素の触媒となり、オゾンを作り出します。

 そうしてオゾン層が再構成されるまで百年、雲は浮き続けています。

 誰もがその企業に感謝をし、企業は世界中で権力を握るようになりました。

 しかし、一つ困ったことが起こったのです。

 中心は偏光ガラスですが、その端に光が反射、互いに作用をし、太陽からの光を遮ってしまいました。

 驚くことはありません、生活に必要なエネルギー、生態系に異常をもたらすほどではありませんでした。ただ、太陽は常に薄らと靄がかかったように見えるだけです。

 なので、大抵の人は文句も言わず、あと百年を待てばいいと思いました。

 風の谷計画から、二十二年、私たちが生まれ、おそらく太陽の光を見ることのないまま一生を過ごすことになるでしょう。


『事件』より一ヶ月ほど前の話、時は十二月上旬。

 鉄斗の家地下、通称工作室。

「うぃー」

「ああ、銀ちゃん、何?」

 レンズが真っ白になったプラスオーバーを外し、鉄斗が返す。寝ぐせもつかない柔らかな髪を揺らす。遠目に見れば女の子にしか見えない華奢な体つきで、細い指を駆使して作業をしていた。

「いや、別に用ってわけじゃないんだけどな」

 銀花の家は鉄斗の家の右隣にある。太陽に靄がかかる前からのご近所さんで、簡単にいうと幼馴染だ。だからって別にお互いに特別の感情があるってものでもない。

「お前の母さんが、またテツがこもってるって言ってたから」

 鉄斗の両親も銀花の両親もお互いとても仲が良く、同時期に生まれた二人に似たような名前を付けてよこした。すでにつけられてしまったのだから不平を言うこともできず、二人は適当な距離を保ちながら過ごしていた。

「ってテツ、何やってんの?」

 訝しげな表情で銀花が鉄斗を見下ろす。

 淡い青白色の金属の山に埋もれて、鉄斗が小さな部品を並べている。

「修理、だよ」

 もはや原型を留めていないモノ達、何ができるかはともかく、修理というよりは組み立てだろう。

「で、何?」

「ハイフライヤー、の。近くの修理工場にジャンク扱いで置かれてたのを、おやっさんに譲ってもらった」

 そりゃ、まあジャンクだろうな、と銀花が呟く。

「またガラクタ引っ張ってきたのか、ゴミ捨てるのだってただじゃないんだぞ?」

「銀ちゃんがそれを言うとはね」

 鉄斗が色素の薄い頬で苦笑する。

 鉄斗にとって銀花が聞く類の曲は全てジャンクだからだ。

「飛べるのか、コレ?」

 銀花が一番大きな塊を指差した。

 直径二メートルほどのゴタゴタしたモノ、コックピットの一部らしい。

 ハイフライヤー(固体高分子型燃料電池式高度汎用飛行機)は戦闘用ではない飛行機の一種である。小さいが安定性があり、個人でも趣味や移動用途として幅広く親しまれている、高めの空飛ぶ車だ。

「イマントコはなんとも」

 溶解して別なものを作った方が絶対早い気がする、と尖った髪を掻きながら銀花は思ったものの、あえて口には出さなかった。それを無理して作るというのが、まあガラクタ好きの基本、というか天命なのだろう。

「OSもFP(飛行プログラム)も積んでないから、修理の後そこも作らないと」

 ガラクタ組みだけではなく、プログラムも鉄斗の趣味、ほとんどゼロから作り上げる感覚がいいようだ。

「つーかその前に、全部あるのかよ」

 一戸建ての地下室全てが鉄斗の工作室だ。だが、それだけでハイフライヤーの部品が揃うのか甚だ疑問だ。

「基本的なパーツは全部揃ってるはずだよ、確認したから。メーター類は他から流用するし、ギア類はチェックして追加、チップ(小規模制御演算子)は元があるから改良、プロペラント(基本推進力)は五万で買ってきた」

「ご、五万?」

 プロペラントは重要な部品だから結構な値段になる。五万で手に入れただけでも相当なお買い得品といってもいい。

「ほとんどイカれてるけどね、まあ修理できそうな具合だったし」

 やっぱり、壊れていた。

「完成したら、どうするよ?」

「あ、そうだなーおやっさんができたらそれなりの値段で引き取ってくれるって言ってたから」

 鉄斗は免許を持っていないから、乗り回すわけにもいかない。

 彼は作るのが目的であり、手段ではない。

「物好きなおっさんだな」

 修理工場にいる工場主は、六十過ぎで三度の飯より機械が好きで堪らない、機械親父である。笑いながらスパナを投げてくるのが特徴だ。鉄斗はそこで時折バイトをしながら機械の技術を学び、バイト代をこうして機械につぎ込んでいく。大型のモノはおやっさんから手に入れるから小さな循環だ。

 銀花も自分が乗っているバイクはおやっさんのジャンクを彼が修理改良したものだ。

「あとどれくらいでできる?」

「んーまーこのペースだと二週間、ってとこかな、OSとFPがその後だから、今年中には何とか」

「ふーん」

「乗せないよ」

「あ、先読み」

 面白いもの好きの銀花が見逃すはずがないのは必然である。

「大体銀ちゃんだって」

「はっはっは」

 大げさで奇妙な笑い声を上げながら、銀花が鉄斗の前に一枚のプレートを出す。

 目付きの悪い銀花の顔写真が左隅に貼ってある、金属製のプレート。

 右下に印刷されてある文字。

 普通飛行免許。

 要するに、ハイフライヤーの免許証である。

「ゲットだぜ」

「えー!」

 鉄斗が意味不明な叫び声を上げる。

 確かにハイフライヤーの免許は一六歳からで、遊覧飛行などの趣味で行うために免許を取る人はいる。バランサー(自動間隔補助システム)が近年しっかりしてきたこともあり、車と同様取得可能年齢が引き下げられたのだ。

 だが銀花は誕生日から換算して半年ほどしか経っていない。

「何でそんなもの取ったのさ?」

 乗り物はその所有に対する税金が高まったこともあり、取得自体にはそれほど金額がかからなくなった。その分試験は相当厳しいはずだが、持ち前の運転感覚と気の強さを生かして銀花は車とバイクの免許を取っていた。

 だが、ハイフライヤーとなると話は多少変わる、取得したい人間が少ないため、試験はより厳しく、取得可能な場所も日本で十数か所しかない。

「何か面白そうだったから」

 ああ、と鉄斗は納得。

 銀花はそういう人間である。

「てなわけで、乗せろ」

「いや、まあそれは問題ないけど、機体申請しないといけないよ」

 反抗しても無駄なので、鉄斗は諦める。それに、彼は完成したものに興味はないのだ。

「その辺はテキジってことで」

 そう、と言いながら鉄斗がガチガチ部品を合わせていく、全体的な構造を決めているのだ。

 銀花が工作室を適当に一周してハイフライヤーの原型を眺める。

「なあ、これってどのくらいまで飛ぶんだ?」

 彼が、はぁ、と溜息を一つ零す。

「銀ちゃん、免許取って来たんでしょ? 何でそんなことも知らないのさ」

 むっとして銀花が返す。

「ハイフライヤーの飛行通常可能高度は二千メートル、最大可能高度は三千メートル、対低気圧装甲を用いたものは五千メートルまで航行可能だが、四千メートル以上は航空法に基づき緊急時以外は処罰の対象となる」

 彼女が教則本を棒読みするかのように読み上げる。

「作ったって同じだよ、それくらい分かるでしょ」

「でもさ、私のバイクは」

「あれは過去の過ち」

 鉄斗が言い切る。

 銀花のバイクは、鉄斗が嫌がるのも半ば強引に、実際には銀花の『出来ないの?』の一言にカチンと来たからだが、鉄斗特製の処理が色々と施してある。

 一つ、水素式バースト機能(パトカー逃げ切り用)であるとか。

 一つ、任意探知レーダー(覆面パトカー発見用)であるとか。

 細かい改造を挙げればきりがない。

 頭を掻く銀花。

「テツ、太陽見たことあるか?」

「タイヨー?」

「そ、タイヨー」

「そりゃあるに決まってるよ」

「テレビや衛星中継じゃないぞ、ナマの太陽」

 何言ってるの、の顔をしながら鉄斗がプラスオーバーを掛ける。

 キュイーンという小さな起動音が地下室に響く。

「ここから一番近い気象カメラ、上部映像、四ヶ所取得、赤外線で外部ディスプレイに転送、壁面外部ディスプレイ液化」

『音声情報確認、映像取得、転送開始、表示まで三秒』

 機械音が鉄斗の耳元、プラスオーバーのフレーム部分が告げる。

 二人の前の壁に掛けられた白いシートが透明になり、そして映像が映し出される。

 太陽がぼやけて見える。それでもその他に雲(実際の気象による雲)はなく、天気図上では快晴となっている。

 鉄斗が振り返り、銀花を、ほら、という顔で見る。

「見えるわけないでしょ、年中ああなんだから」

「見たいと思わないか?」

「見たいか見たくないかって言われればそりゃ見たいけどさぁ」

「じゃ、見よう」

 即決。

「そんなのどうや……」

 彼は、続きを言おうとして気付く。

 目の前には空を飛ぶ物体と、目を輝かせる銀花。

「これで、雲の上まで行けるかなぁ」

「ムリだよ、ムリ、制空権とか色々あるし、第一対流圏じゃなくてもう成層圏だよ、機体も持たない」

「持つように作れば?」

「何無茶言ってるの、そんなこと」

 ここで話が終わっておけば、彼はどんなに後悔せずに済んだか。

「出来ないのか?」

 銀花のこの言葉を聞かなければ。

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