第6話 高度は10

 息を吐く間もなく、すぐそこに雲が登場する。

 キラキラと不自然な光沢を放っている。

 高度は10

 雲の真下。

『警告が入りました』

 最後は文面による警告だ。

『雲付近を飛行中の全機体に完全警告、直ちに認証コードを提示しなさい。ここから先は第二例特殊許可が必要。許可を所持していない場合は速やかに退去し、航空局保安課、自衛隊第一特別情報課に許可を申請しなさい。これより上空は衛星電子砲の射程範囲内に入る。繰り返す、雲付近の……』

 文面をそのままの抑揚でプラスオーバーが音声化する。

「発信箇所を特定、ディスプレイに表示」

 何度も繰り返される音声を遮り、鉄斗が命令する。

 一瞬のラグの後、プラスオーバーから返信があった。

『表示、完了しました』

「オーケイ」

 左のレンズに光る点が一つ、更新時のサブ保護プログラムの位置を特定する。警告情報を流しているのはこの辺りではただ一つ、あそこのみ。

「銀ちゃん、左のボタンであれをロックして!」

 情報を銀花正面下の電子パネルに同時表示し、巧妙に雲の中に溶け込む直径二十センチのボール上の金属球、データ発信元を指定する。

「おう!」

 銀花が操縦桿左の赤いボタンを親指で押す。

 ピピっと電子音が小さく鳴り、正面耐圧ガラス、中心に金属球を捉える。

「いったぞ!」

 銀花が鉄斗に合図する。

「ヨグソトース、起動準備」

『音声情報を確認、ヨグソトースを待機します』

「よし、離して!」

「あいよ!」

 銀花が掛け声に従って指を離す。

 機体真下の射出機から発射されたのは、握り拳大のゴムボール。

 こちらのボールが向こうのボールに当たり、破裂、中から粘性のある液体が漏れ出し金属球にまとわりつく。液体は気圧の影響を受けて凝固、完全に金属球を包んだ。

「ヨグソトース、オン」

『ヨグソトース起動開始、解析を始めます』

 液体に封じ込められている小さなデータ集合体が内部に入り込み、データを収集、解析を開始する。

『解析、終了しました』

 一秒ほどでその作業も終わる。

「ヨグソトース、門を開けろ」

 鉄斗が言う。

 ツツ、ツツ、奇妙な音がする。

 保護プログラムからの通信だ。

『認証コードを確認、第二例特殊許可を承認、衛星電子砲標的解除、通行を許可します』

 内部からの物理的強制ハッキング。

 これをやらないと雲から出た瞬間に電子砲が降り注ぐことになる。

「聞いた?」

「もちろん!」

 銀花が嬉しそうに返す。

「我が前に立ちはだかるものはなし、そういうことだろ?」

 用意してきたようなどこかの革命家が言いそうなセリフを自慢気に彼女が言う。それに、鉄斗が呼応した。

「その通り!」

「行くぞ!」

 上空には、薄明かりの雲。

 日の出間近。


「突っ込むぞ!」

 その声と同時に雲の中へ。

 パリパリとガラスが砕け散る音がする。

 雲に突入した証拠だ。

 太陽は、すぐそこ。

 機内は警報ランプ、装甲がガラスにより磨耗しすぎていることを告げる。

 そして、雲を越える。

「来た!」

 機体は雲を抜け、殻を破る雛のように勢い良く飛び出す。

 光が射し込む。より一層強力な光が二人に降り注いだ。

 二人の前に現れたのは、コレでもかというくらい大きな太陽。

 図鑑や映像で見るのとは桁外れの、正真正銘ホンモノの太陽。

 由緒正しき、初日の出だ。

「すごいな、こりゃ」

「うん」

 二人は、その光景に見惚れていた。

 太陽は目に良くないだとか、見続けると目が痛むだとか、そんな学校で習っただけのネガティブな知識は二人には何の意味もなかった。

 全ての命を司る太陽が、世界で二人の前だけに姿を見せているのだ。

 自然とフットペダルは加速の方向へ。

 加速の衝撃でさえ、鉄斗は文句も言わない。

 銀花の無言の指示によって音楽は消えていた。風が当たる音だけが、薄く不規則に届いているだけだ。呼吸も忘れて、ただ、光に魅入られている。

 太陽に向かって一直線。

 光を追い続ける二人。

 届かない、永遠の光へ。

 距離は変わらないとどれだけ知っていても、けれど向かわずにはいられない。

 太陽という、存在者への畏敬。

 言葉をなくして、目の前の光景を焼き付けていた。

「どうする? このまま遊覧飛行と行くか?」

 銀花が陽気に聞く。

「いや、それが」

 急に失速を始める機体、プロペラの回転数が下がっていく。

 申し訳なさそうに鉄斗が応える。

「燃料電池、成層圏、つまりここではほとんど機動力がないんだ、余剰電力もバッテリーもさっきまでで使い果たしちゃったし」

「マジかよ!」

 鳴り響くエラー音。

『燃料系がU(使用不能)になっています、状況を確認し、直ちに起動をして下さい』

「で、もう限界」

 鉄斗の言葉と同時に機体は垂直落下する。

 もう一度雲の下へ。

 僅か三分ほどの太陽見物。

 二人の顔に後悔の表情はなく、ただ、満足感だけがあった。

 たとえ、雲の下に大量のHFFPが待機していようと。


 それから、銀花が無謀運転でハイフライヤーの免許失効、連動により、半年間の他種車両免許、つまり車とバイクの免許の停止、罰金十万円、鉄斗はハイフライヤー違法改造で罰金十万の処分を受けた。

 簡単に雲の上に行けるということが広がってしまって、皆が挑戦して雲がメチャメチャになってしまうことを面倒がった企業と、防衛ラインをいとも簡単に破ってしまったことを世界に知らせたくない政府の裏のやり取りが相まって、その他は『なし』が決定した。

 もちろん、何をしたのかは誰にも口外しない、という条件を二人に突きつけて。

 よって鉄斗はおやっさんのところでバイトに精を出し、銀花は寒い中自転車で通学となった。



 再び鉄斗の工作室。

 机に向かい、キーボードを忙しく動かしている鉄斗。

「何やってるんだ?」

「ああ、これ? 三並列処理の演算子」

「で、それで何ができるんだ?」

「うまく組めばバランサーの性能が飛躍的にアップする」

「へぇ、てことは」

 二人が顔を合わせ、苦笑いする。

「今度は雲の下でね」

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シュプールライン! 吉野茉莉 @stalemate

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