第4話 ささくれを抜く
明朝、スティングレイ邸宅前の門にて、積み荷を満載にした一台の馬車の前で押し問答が繰り広げられていた。
「そんな注文の話聞いていませんよ!」
「そんなこと言わないでください!仕事なんです!分かってくださいよ!」
「いくらなんでも多すぎます!2つで十分ですよ!」
「ダメですよ!仕事なんです!分かってくださいよ!」
業者の一人が包み紙に包まれた長い箱を手に押し通ろうとするも、二組いる門番の一人に阻まれ、もう一人の業者が何とか納得させようと口を回すが、片割れは知らない、通せないと言うばかりで、一向に話は進まない。
「とにかくスティングレイ様からは何の話も聞いてないんです!分かってくださいよ!」
門番は本当に何も知らないようだった。スティングレイ男爵であれ、ネペンテスであれ、パラライスであれ、仮に何か届くようであれば必ず話は通してあるはずなので、おそらく、というより、彼らにもこの注文が誰によりなされたものであるかは薄々の内に気がついている。
寧ろだからこそ、知らぬ存ぜぬで押し通ろうとしているのであろう。彼らは末端とはいえ、スティングレイ家への忠誠はかなり高い。故に、この注文がスティングレイ家のものであると、欠片ほども認めたくは無かったのだ。
それは、最早この家どころか貴族社会にすら抹消された者。スティングレイの名を剥奪されたにもかかわらず、この地に根を張る忌むべき邪悪。存在そのものが禁忌。目にするどころか口にすること事すら憚られる人の形をした肉。
幾度となく地下に封じ込め、あるいは秘密裏に無かった事にしようとしたか、最早わからぬほどに措置は執り行われた。しかしその試みは、すべて失敗に終わっている。
業者とてその事は重々承知である。本来ならば彼らは適当に話をして間違いだったという事にしてとっくに家路についていたはずだった。だがしかし、そうするにはあまりにも額が大きすぎるのだ。
この積み荷の一つ一つが目玉が飛び出る額の魔導書であったり、触れる事すら叶わぬ強力な呪具であったり、あるいは何の変哲もない薬草の束(これだけで1年は薬屋が困らなくなるほどの量)であったり、金額にしてみれば財政が傾くほどの桁の外れた注文量である。
何故こんな量の注文がまかり通ったのか?それこそはまさしくその禁忌が支払うだけの能力を有していると上が判断したためであった。
しかし末端はその事実を知らぬ。門番の方もしかりだ。故に、彼らは口論を続ける破目になったのである。
永遠に執り行われるかと思えた両者の問答は、館の方から聞こえた騒音により終わりを告げた。
全員が館から聞こえた音に口論を止め、一様に館の方へと顔を向けた。
騒音の出所は、使われていない2階の部屋から聞こえたようだった。それから2階の通路から何かが割れる音や男女問わない悲鳴が。それから音の出所は1階へと移り、どんどん音の出所は近づいてくる。
そして、スティングレイ邸のドアを内側から吹き飛ばしながらステッペン・スティングレイが鬼のような形相で、道にある物を全て吹き飛ばしながら肩を怒らせて近づいてきたのだった。
「あ…あぁ…」
門番の2人は恐れ戦きながら瞬時にその場から飛びのいた。一瞬遅れてステッペンが2人がいた場所の地面を踏み砕きながら業者の前に立ち、彼らを、正確に言えば業者の一人が持っている包み紙に包まれた長い箱を凝視した。
「寄越せ!!!!!!」
「アッ!?」
ステッペンは業者から箱をひったくるとその場で正座し、包み紙を破り捨てた。それから一拍子空け、深く息を吸い込んでから、厳かに箱のふたを開けた。
それは細長い奇妙な壺のようなものであった。下半分が壺のそれだが、上半分がガラスのシリンダーめいた形状となっており、その上に受け皿が、そして頂点部には蓋のような物がされていた。ガラスのシリンダー部分の真ん中あたりにホースが付けられていて、彼らにはいったいこれがどのような用途で用いられるのか全く推察が不可能であった。
「フーッ!フーッ!」
「あ…あの……」
「フーッ!?」
「ひぃ!?」
その用途不明の器具を血走った目で凝視しながら、早速使おうと手を伸ばしたステッペンだったのだが、おずおずと言った調子で話しかけてきた業者に、彼は眉間に血管を浮き立たせて睨みつけた。
心臓を鷲掴みにされたかのような悪寒が、業者の全身を包み込む。しかし、こればかりはどうしても先に聞いておかなければならぬと思い、意を決して口を開く。
「あ、あの、お、お代がですねぇ、その未払いというか…その、先にお代金をですね……」
しどろもどろになりつつも、どうにか口を開けた業者は汗をにじませた手をもみながら、決死の交渉へと打って出た!
「フーッ?……フーッ!」
訝るように首を傾げたステッペンは、それから得心したように頷くと、腰のホルスターから杖を引き抜き、器具を取り出した空箱とその蓋を2回ずつ叩いた。
叩かれた空箱とその蓋はたちまち眩い輝きを放つ黄金へと変化した。業者と遠巻きに見つめていた門番はその変化に目を丸くして呆気にとられた。
業者は魚めいて口をパクパクと開閉させながら、震える手でかつてはただの木箱であったそれを手に取ってみた。
「お、重い…!?」
ずっしりと重く、とても片手では持てないその重量に、業者は戦慄した。それは紛うことなく純金の重量であった。然り、純金である。一切の混じり気の無い黄金だけが放つ煌びやかな輝きに圧倒されてか、彼等は一歩後退った。
「ふーっ……」
要は済んだと言わんばかりにステッペンは彼らに背を向けると、それまで荒げていた鼻息を落ち着かせ、ゆっくりと、しかし勝手知ったるという所作で器具に手を伸ばした。
まず初めに壺の部分に杖を当てて水で満たし、次にシリンダー部分にホースがしっかりとはめ込まれている事をチェックした。そして問題ないことが確認できると、頂点部のへこみに、懐から取り出した黒紫色の謎めいたキューブ状の物体を砕いて注ぎ込み、蓋を被せた。そして炭を取り出し、専用の容器に入れ、杖で火を灯し、蓋をして器具の上に置いた。
それで準備は終わりのようで、ステッペンは背筋を伸ばして姿勢を正し、ホースを手に取った。
ホースの先端に口をつける前に彼は目を閉じ、深呼吸して、背後の喧騒や耳障りな世界の音を頭から締め出し、完全に己のみが浮かぶ自分の世界を作り上げた。
その姿はあたかも神像を前に跪き、祈りを捧げる敬虔な信徒のようにも見えなくもなかった。尤もこれから行う行為は敬虔からは程遠く、むしろ神に唾を吐くに等しいが。
ステッペンはしばしそのまま目を閉じ、そしてカッと目を見開き、ホースの先端を咥え、深々と吸い込んだ!
「………フゥ―…………」
深々と息を吐き、肺にたまった紫煙を恍惚と震えながら吐き出した。
彼が吸っているこれは、我々の世界では中近東で生まれた
この世界での水たばこはスティングレイ邸のある『カダス』から東へ600キロほど離れた大国『ツァン』で生まれた。また、ツァンはスティングレイ男爵家が従属する『アーカム大国』とは敵対関係にある国である。
当然その国と関わる事は愚か、密輸など本来は極刑ものの重罪である。だが金に目が眩んだ商会は危険を冒してツァンからいかにしてか水たばこを取り寄せ、そしてこの狂人へと与えたのであった。
「さあ運びなさい!ほれ運びなさい!」
「任してくださいよ!」
目を充血させ、口の端から泡を飛ばしながら業者たちは積み荷を降ろしてドアの壊れたスティングレイ邸へと次々に運び出していた。
「こ、これどうしよう…」
「我々は手を尽くした。全てあれが悪いと言えば、あの方とて無下にはするまい」
終わる事の無いバケツリレーめいた積み荷下ろしを茫然と眺めながら、2人の門番は忌々しそうに顔を顰めた。
そんな外界の喧騒など我関せずといった様子で、あらゆる人を巻き込んだ騒動の中心点である当の本人は、視界の端から迫り来るピンク色の像のパレードに、手を叩いて子供のようにはしゃいでいるのであった。
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