枯井戸
小狸
短編
ある冬の日のことである。
描きたいものがなくなった。
ふと、そういう思いに駆られた。
私は、イラストレーターである。
――などと、胸を張って言えるような立場ではない。絵を描いて食べている訳ではないし、企業から都合良く案件が飛んで来るわけでもない。
一応美術大学を出て、一般企業に就職して、空いた時間にイラストを描いてはネット上にアップしている。親がデザイン系の仕事に就いていることもあって、そういう環境についてはおさがりを貰うことができた。ここまでの文から伝わっていると嬉しいのだが、絵を描くのにも色々種類がある。絵具、点描、油絵、水彩、鉛筆、水墨、等々あるけれど、私は、パソコンを使って絵を描いている。
本格的に絵を投稿し始めたのは高校生の頃だったけれど、果たして上達しているのかどうかは分からない。
私が書く絵は、主に一次創作の人物の絵である。
一次創作、といって、一体どれくらいの人に伝わるか分からないので(そして私は物書きではないので)、一応補足しておくと、まあ要するに、オリジナルの絵を描いている。
私が作ったキャラクターの絵を、私がしたい構図で、私がやりたい状況で描いている。
一時期(というか今でも)流行している四コマ漫画などにも挑戦してみようと思ったけれど、私は絵のデフォルメがあまり得意ではなく、また飽き性なので続かなかった。そういう意味では、イラストの投稿が高校から今、社会人に至るまで続いているのは、奇跡に近いかもしれない。
人物画――人が何かをしている絵である。
日常の中にある景色と共に、人を描くようにしている。私自身恋愛――過度な性的描写はあまり好きではないので、そういうものは描かない。
まあ、相当上手くなければ「バズる」ことはないだろうな、と思う。
世に
「ああ、これはあのキャラの絵だな」と分かる。分かるからこそ「いいね」を押す。「リツイート」(今は「リポスト」か?)をする。そうして「バズる」のである。
オリジナルのキャラと絵で魅せられる人は、ごくわずかである。
魅せられる、というのはこの場合やや狭義の意だ。
それができる人は、本当に漫画家やイラストレーターになっている。絵を描くことを
本当は描きたいものを描いてお金が貰えれば良いのだが、それは「魅せられる人」の中でも更に上澄みだろう。そのくらいの謙虚さと自己理解はできているつもりだ。
さて、そんな風に、そんな塩梅で、そんな調子で、中学高校と美術部を過ごし、人の絵を描き続けてきた私だったが、この度、描きたいものがなくなってしまった。
なくなった。
おいおいという話である。
いや、逆に今まで継続して描けていたことの方が不思議なのだが――何を描こうとしても、過去に描いたものと重複するように感じてしまうのだ。
これ、前にもやったじゃん、となる。
まあ、別にそれでも良いのだ。
フォロー、フォロワーの数も、絵描き界隈の中では別段多いわけでは無いし、自分の絵が飛びぬけて上手いとは思えない。そこそこは描けるが、底は見えている、という感じだ(上手い事を言おうとして失敗した)。自分の上限には、とっくに到達しているのだと思う。決して高くない上限。それに何より、描けなくなっても、死ぬ訳じゃない。生きていけない訳ではない。私にとって絵を描くことは、趣味なのだ。仕事ではない。それこそ、休日に遊園地に行くように、どこかおでかけするように、読書するように、私はこれまで絵を描いてきた。
しかしこれからも描き続けるか、と言われると、筆が止まってしまう。
前述の通り、描きたい絵がなくなってしまったのだ。
スランプ、とはまた違うように思う。スランプは、「描かねばならない時に描けなくなる」状況を表すものだと思っている。私は別に描く必要性に迫られているわけではないのだ。寧ろ休日の過ごし方としては、世間一般からすれば異端な方だろう。描きたいものを、何となく手癖で描き続けて、それを表現するツールが近くにあった。だから続いた。そう思う。
そのくせ別に「やりきった」感じがあるわけではない。
どちらかというと、虚無感に近い。
枯れた井戸のように――湿った地面に月光が差して、底が見えている。
水は、一向に涌く気配を見せない。
ただ、趣味の一つがなくなったという、それだけの話なのだ。
なのに、それだけなのに、どうしてか私は、こうしてわざわざ、不得意な文章を連ねて、自分の思いを綴っている。
どうして、なのだろう。
分からない。
ひょっとしたら、私は――岐路に立っているのか。
絵を描くことを続けるか、辞めるか。
いや、だから別に、そんな深刻な話ではないのだ。生計が立たなくなるとか、そういうこともない。少しお休みして、また描き始めたら、描きたい欲みたいなものが湧いて来るかもしれない。
でも――ああ、うん。
今、何となく、分かった。
多分、ここが分水嶺だ。
ここで一度選んだら、選ぶ前には戻れない。
今までの私ではいられない。どうしようもない、不可逆。
どくん――と。
心臓が脈打つのが聞こえた気がした。
決めよう。
私は、どうしたいのか。
パソコンを起動し、『絵』という簡素なフォルダを見た。
ここには、私が高校時代から認めた絵のデータが全て入っている。
ここからいくつかの手順を踏めば、このデータ群を削除することは容易い。
『ゴミ箱』に入れ、そこから『取り除く』処理を行えば、私の絵は――完全に削除される。
私の絵。
私の――半生。
絵を描くことは好きだった。
でも、一度として、仕事にしようとは思ったことはなかった。
絵を描くことが好きな自分でいたいから。
いつか、絵を描くことが嫌いになってしまうんじゃないかと、怖かったから。
イラストレーターで収入を得ていく。
サラリーマンとして仕事を経験してみてよく分かったけれど、社会は、正直あまり良いものであるとは言えない。成果を出せて嬉しい、努力が報われて幸せ、給料が上がってハッピー。そんな反面、辛い事、苦しい事、しんどい事、逃げたい事、そっちの負の感情の方が多いことは、間違いのない事実である。楽な仕事なんてない。皆どこかで、辛く、苦しく、しんどく、逃げたい――そんな思いを抱えて生きている。
今が、その時なんじゃないのか。
絵を描くことが好きなまま、絵を描くことを辞められる、唯一の時間なんじゃないか。
それでも私は、絵を描き続けるのか。
私は――。
*
私は、友達に相談した。
流石である。
「君は、基本的に考え過ぎなの」
という言葉から始まる叱咤激励の数々を受けて、ひえぇと思いながら、その話を聞いた。
結局私は、絵を削除しなかった。
できなかった。
友達に言われて、『絵』のデータを見返したのだ。
高校時代から、年別月別に分けてフォルダに入っている、今は自分で見るのも恥ずかしくなるような私のイラストの数々を見て――こんな表現をすると誤解を招くことを承知の上で言うが――。
私のキャラ。私の登場人物。私の想像の上の生き物たち。私の景色。私の情景。私の風景。それらが、私の好きな位置で、私の好きな構図で、私の脳髄をさながら反映するかのように、そこに並んでいる。それは見る人にとっては、唾棄するほどに下手くそで、評価に値しないものだ。世間に公表できない、失敗作だってたくさんある。
でも――違った。
「君の絵は、どこに
友達はそう言った。
一瞬、また詩的なことを言いだしたぞと思ったけれど、よくよく考えてみて、はっとした。
私が描いた絵は、私の中で、ちゃんと生きていたのだ。
それを実感してしまった。
「……もう私が何か言う必要はあるまい?」
感謝の意を述べて、私は電話を切った。
ふう――と。
どこか肩の荷が降りたような気がした。
未だ描きたいものは見つかっていない。
絵を描くのは、当分休むことになるだろう。
けれど。
しかし。
でも。
またいつか、井戸の水が湧くことを願って。
この絵たちを、残しておこうと思った。
《Kaleidoyouth》 stays in her memory.
枯井戸 小狸 @segen_gen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます