油すましどんの思い出
蟹場たらば
祖母の思い出
栖本村河内と下浦との境に草隅越と言ふところがある。或る時、一人の老婆が孫の手を引きながら
――濱田隆一『天草島民俗誌』
◇◇◇
まだ幼かった時分、私は熊本県の津々町というところに住んでいた。
津々町は、ありていに言えば田舎の町である。周囲を山々に囲まれ、コンビニではなく個人商店が営まれ、民家よりも田んぼや畑の数の方が多い、そういう場所だった。もっとも、車ですぐに都市部へ行けることから、子供の頃の私には地元が田舎だという意識はあまりなかったが。
そんな風に、よく言えば自然豊かな土地で育ったからか、当時の私は家の中よりも外で遊ぶことの方が多かった。木の棒を振り回しながら山を探検したり、田んぼや用水路で水生昆虫を捕ったり、神社で鬼ごっこやだるまさんがころんだをしたり…… 誕生日プレゼントに携帯ゲーム機を買ってもらった時も、何故か野外に持ち出してプレイをした、という記憶さえあるほどである。
ただ自然豊かがゆえに、外遊びをするのにかえって不都合が生じることもあった。民家や街灯が少ないせいで、日が沈むとすぐに一帯が真っ暗になってしまうのだ。そのため、親からは早く帰ってくるようにきつく言われていた。
とはいえ、何かに夢中になると、つい時間を忘れてしまうのが子供というものではないだろうか。私もその例に漏れず、毎日のように帰るのが遅くなって、それが原因でいつもいつも母からお説教を喰らったものだった。
それどころか、あまりに遅くなった時には、祖母が懐中電灯を持って、迎えにきてくれるようなことさえあった。
今思えば、孫に甘かったということなのだろう。母と違って、祖母は私を叱るようなことは決してなかった。ただ「もう帰るよ」と言って、一緒に帰路に着くだけだったのである。
また、祖母の手前怒りづらかったようで、二人で帰ってきた日は母は何も言わなかった。だから、祖母が迎えにきてくれるまで、わざと帰宅時間を遅らせるような姑息な真似をしたこともあった。
けれど、そんなことを何度も繰り返す内に、祖母の心配や不安は限界までつのってしまったらしい。ある日の帰り道で、私はとうとう注意を受けることになったのだった。
「早く帰ってこないとダメだよ。このあたりは妖怪が出るから」
いくら幼かったとはいえ、その頃の私はもうサンタクロースの正体が父だということを知っていた。戦隊ヒーローやアニメのキャラクターが実在しないということも理解していた。だから、妖怪についても架空の存在だと認識していて、たとえ祖母の言葉でも信じることができなかった。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、それとも実際に「嘘だぁ」と口に出したのか。祖母は私に対して、「おばあちゃんが子供の頃の話なんだけどね」と詳しい話を語りだしたのだった。
その日は何か用事があって、隣町まで出かけたらしい。今の私たちと同じように、当時の祖母は曾々祖母(祖母の祖母、ひいひいおばあちゃん)と一緒に、津々町へと戻る峠道を歩いていたという。
その道すがら、曾々祖母はふと思い出したように、祖母にこんなことを言ったそうだ。
『ここにゃ昔、油瓶下げたとん出よらいたちゅぞ(ここには昔、油入りの瓶を持った妖怪が出たって言われているよ)』
すると、その瞬間のことだった。
『今もー出るーぞー』
そう叫びながら、蓑を羽織った小男が、祖母たちの前に現れたのだそうである。
「油すましどんって言うんだけどね」
そう付け加えて、それでどうやら話は終わったらしい。祖母はきょろきょろと周囲を見回し始めた。
「今日は出ないねえ」
最初は、しつけのために作り話をしたのだと思った。私が早く帰ってくるように脅そうとしたのだ、と。
だが、よく考えてみるとそれはおかしい。脅しにしてはあまりにも中途半端過ぎるだろう。
祖母の話では、単に油瓶を持った妖怪が出るというだけである。本気で怖がらせたいのなら、出会うと油瓶で殴られてしまうとか、油をかけられて焼き殺されてしまうとか、もっと残忍さを強調した方が効果的に違いない。それに呼び方も『油すまし』ではなく、『油すましどん(≒油すましさん)』とどこか親しみがこもっていた。
だから、今日はたまたま出なかっただけで、おばあちゃんは本当に妖怪に遭ったんだ、と当時の私はそう信じた。
大人になった今なら、話に信憑性を持たせるために、祖母があえて中途半端な嘘をついたという風に深読みすることもできる。けれど、子供の頃の私は、そこまで考えが回らなかった。それで、その日以来、私は早く家に帰るようになったのだった。
もっとも、油すましどんの怖さよりも、外遊びの楽しさが上回ったせいで、結局帰宅時間は徐々に遅れていくことになったのだが……
そんな調子で、両親や祖母が手を焼くような子供だった私だが、その内に早く帰ってくるよう注意されることもなくなっていった。中学生になったことで、部活や塾で帰宅が遅くなるのが当たり前になったからである。
大学進学を機に東京で一人暮らしを始めると、もう私の帰宅時間の遅れを気にする人間は完全にいなくなっていた。むしろ、夜遅くどころか、朝になってから帰ってくる方が、充実していると周囲に見なされるくらいだった。
再び帰宅時間の遅れに文句を言われるようになったのは、社会人になって数年が経ってからのことだった。「残業するならせめて連絡してよ」と、妻に小言を言われるようになったのだ。
また両親たちも、私がいつ帰ってくるのか、まったく気にしていないというわけではなかった。「盆や正月くらいは顔を見せるように」と、しばしば電話でせっついてきたのである。私の息子が生まれてからは――つまり両親に孫ができてからは、ますます小うるさくなっていた。
その日も、そうした里帰りの最中のことだった。
都会育ちなのに、いや都会育ちだからこそ、自然が面白く感じられるのかもしれない。外へ遊びに出かけた息子は、夕方になってもなかなか帰ってこなかった。
自分の子供の頃を思い出して、遊びたいなら存分に遊ばせてやればいいと私は考えた。だが、妻は違ったらしい。彼女の剣幕に負けて、私はしぶしぶ息子を迎えに行くことにした。
案の定、妻の心配は杞憂で済んだ。特に事件や事故に巻き込まれることもなく、息子はのんきに神社で遊んでいたのだ。なんでもアリジゴクを掘り返していたそうである。
息子を連れて、家までの道のりを歩く。民家も街灯も少ないので、スマートフォンのライトで行先を照らす。
すると、その情景に、私は再び自分の子供の頃を思い出していた。私も帰りが遅くなった時、こんな風に祖母に迎えにきてもらったことがあったではないか。
だから、祖母がしてくれたのと同じように、私ものめり込む性格の息子に妖怪の話を語って聞かせた。「暗くなる前に帰ってこないといけない」と。「このあたりには油瓶を持った妖怪が出るから」と。「ひいおばあちゃんは実際に遭ったこともある」と……
けれど、そんな風に噂話をしたところで、やはり油すましどんが私の前に現れることはなかった。
説明のあと、私はさらに、あの時の祖母にならって周囲を見回してみた。だが、それでも油すましどんの姿を見つけるどころか、声を聞くことさえできなかった。
これで二十年前も、今回も、実物とは出会えなかったことになるが、しかし大人の私が真剣になっていたからだろう。作り話をしているわけではないと、息子は信じてくれたようだった。
「油すましどん、もういなくなっちゃった?」
「……そうかもなぁ」
息子の解釈に、私は思わず頷いていた。
油すましどんは空想の産物で始めから存在しなかった、というわけではない。ただ、現代ではもういなくなってしまったのだ。
祖母から話を聞いた当時は思いもよらなかったが、今ならばそんな考え方にも納得することができる。
虫取りをした田んぼは、管理する人間がいなくなって野原に変わった。
六年通った小学校は、少子化が進んだことで廃校になった。
遅くなると迎えに来てくれた祖母は、肺の病気にかかって死んだ。
変わらないままで済むものなんてひとつもない。
(了)
油すましどんの思い出 蟹場たらば @kanibataraba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます