船が通る

尾八原ジュージ

船が通る

 母の実家はいわゆる物持ちである。白壁に囲まれた敷地は広い庭と二つの蔵を含み、いかにも「お屋敷」という言葉がよく似合う。山を背にした田舎町のことだから、海からは相当遠い。

 にも関わらず、毎年節分の夜には「船」が庭を通るという。


 船が通る前は忙しい。

「今夜は船が来らぁ」

 そう言って、広い庭にあるものをできるかぎり片付ける。ふだんは外で飼われている犬も、この日ばかりは家の中へ入れてやる。

 日があるうちに諸々の用事を済ませてしまう。夕方までに豆撒きを済ませ、早めの夕食を終えると、やがて皆がだんだんそわそわし始める。

 船が通るのだ。

 閉め切った雨戸の向こうで、ぼぅーっと大きな音がする。まるで巨大な船の汽笛のようだ。それから、何か重いものを引きずるような、ずううぅぅっ、ずううぅぅっ、という音が続く。

 この音は三十分ほどかけて、ゆっくりと庭を横切る。そしてまたぼぅーっと汽笛のような音が鳴る。

 一家は「船」と呼ぶなにものかが、庭を通り過ぎていったことを知って、胸を撫で下ろす。


 むかし、母の叔父にあたる人物が、その船が通るところを見たという。

 ずいぶん好奇心旺盛な人だったらしい。彼は木の雨戸にこっそり小さな穴を空け、そこに目を当てて外を覗いた――かと思うと突然立ち上がり、鬼気迫る表情になって駆け出した。

 そして、当時使われていた薪ストーブの上から薬缶を放りだし、熱された鉄の天板に勢いよく顔を押しつけた。部屋中に肉の焼けるにおいが漂った。

 酷いやけどを負った彼は、うわごとのように「船、船」と呻きながら死んだという。


 還暦を過ぎた母は、もう誰かの葬式以外で実家に帰ることはない、と断言する。

 今も実家に暮らす親戚の話では、船は今でも一年に一度、庭を通っていくらしい。

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