藍衣
大人しい、空気ばっかり読んでる子。
長いこと紗世の印象はそれ。
もう三年にもなると付き合うメンバーも固定して、何かヘマをしない限り外されることはない。部活が終わる時期には、「今日は塾」と言えば面倒な付き合いも免除されるようになった。
自分では上手くやってると思っていた。
「藍衣って最近イラついてない?」
「分かる」
「機嫌悪いの勝手だけど、うちらで発散すんなって思う」
「言葉にトゲあり過ぎ」
トイレで自分の悪口を聞くまでは。
声で誰かは分かった。どうという相手とも思わない、つるむことでしか発言できない奴ら。
ただ、まさか自分が標的になってるとはっていう驚きはあって、一応身を潜めていた。三人とも化粧ポーチでもかき混ぜてるらしい。悪口の合間にカチャカチャ音を立てるのに夢中でなかなか出ていかない。顔なんて変りゃしないのに。
もうこのまま出ていって、啖呵切ってもいいかも。
手慰みのインスタは最高につまらなくて、指の運動にしかならなくなったときだった。
「あ、紗世お疲れー」
「うんお疲れさま」
さよ? あぁ、紗世か。
目立たないけど目立つ子。
まず学校一スカートが長い。どんなに暑い日でも絶対に長ズボン、プールはNG。何か事情があるらしいことはみんな察するくらいには徹底していて、しかも誰も理由を知らない本人も話さない。
グループの揉め事も静かに笑って全部受け流す、誰とでも話すけど深くは付き合わない。本音がどこにあるのか分からない、空気ばっかり読む。ある意味、得体のしれなさがあった。
「ねー明日ひま? また髪染めてほしい」
「あ、あたしもー日曜イベント行くからしてほしー」
「いいよ」
髪染める? そんなこともしてんだ、すげー。
要領のいい奴らにうまく使われてることへの賞賛と侮辱が湧いた。
バタン、と隣の個室に入ったらしく、衣擦れの音がする。三人もようやくお絵描きが終わったらしい、トイレのドア音のあと静かになった。
はぁ、メンドくさ。
ここまで待った自分にも嫌気がさす。スマホをポケットにしまって、個室を出る。
それで手を洗ってハンカチを出したら、自分のじゃない弟のノリのを持ってきてたことに気づいた。誰にも見られなくて良かった。ついでに今日は洗濯の当番だったことを思い出す。塾は六時くらいまでにしないと、朝までノリの服が乾かないかも。それに明日は弁当とか言ってたような……。
新幹線の黄緑のハンカチで手を拭きながら少しぼんやりしていたらしい。紗世が個室から出てきてしまった。内心「げ」と思う。
「あ、藍衣。お疲れ」
「お疲れー」
トイレの古い蛍光灯のせいか、紗世はひどい顔色だった。よく言えば美白、そうでなきゃ血色不良。痩せていて、全体的に細い。スカートの真っ直ぐ落ちるプリーツがその細さを強調する。
「それ、弟の? ノリ君だっけ」
「うん。よく覚えてるね、名前」
「え、あ……うん。へへ」
紗世はいつもこうだ。笑って誤魔化す。正直、好きじゃない。
「新幹線、可愛い」
そう言う紗世のハンカチは、タオル地でちょっとしたレースがついてる可愛いやつだった。一枚七百円はする、高そうな。
イライラした。
「紗世、顔色悪いよ」
「え」
「なんか食いなよ」
自分としては痛烈な嫌味のつもりだった。
「あー、お昼買うの忘れて紅茶だったから……」
「は?」
「購買でなんか甘いの買うね。ありがとう」
そのままなんとなく二人でトイレを出ると、紗世は本当に購買の方向に歩いていった。芸人がネタでやるみたいなスカート丈で。
家に帰ってハンカチを干すとき、不意に紗世を思い出した。
「あ、ねえちゃんそれ僕のじゃん」
「うん間違った」
「ダッセ。それもうカッコ悪いからやるよ」
「いらねぇわ」
くたびれた綿のハンカチ。紗世は本当に「可愛い」と思ったんだろうか。お世辞だろうな、すごく紗世っぽい。
それから何となく紗世のことが気になって、一緒にいるときは話すことが増えた。攻撃的なタイプじゃないから、それなりに仲良くなっていく感じが、ゲームの攻略してるみたいで少しハマっていった。
紗世は思ったより賢くて、色んなことを覚えているみたいだった。普通の子なら忘れてしまうような出来事も、セリフも。そのうち、紗世が黙って笑ってる間はすごい勢いで脳みそが回ってるんだなと思うようになる。
そして同時に、私は『トゲがある』タイプだと自覚する。思ったことをそのまま言っていた、それがキャラだと驕っていた。
紗世は浮かぶ百通りあるたった一つのセリフを選んでから口に出してる、そんな風に思うようになった。
だからたまに出る、本音の咄嗟の言葉を拾うと、レアアイテムを見つけたような気持ちで嬉しい。
紗世のそういう言葉は単純で簡単な、でも絶対マイナスじゃない響きをしていたから。
夏休み直前。最高気温が記録を塗り替えた翌日、紗世は学校を休んだ。熱中症で倒れたと聞いて、正直感想は「やっぱりな」。
ちゃんと食べてないのは見え見えだった。クラスの一部
インスタも既読にならない。無視してるのか、それとも見れないくらいなのか。
担任の多田に聞いても、入院して家にはいるらしいことしか分からない。
「ねえちゃん、腹へった。米もうない」
「待って、今炊く」
クラスの女子は薄情で判断が早い。紗世の入ってたグループは動かなくなって、新しい招待が送られてきた。
イライラする。
勢いで紗世にチャットしてしまった。
『だいじょぶ?』
送ってから後悔した。私はそんなキャラじゃない。それにきっと紗世は返事をしない——何も話さないし、今は全部投げ出したくなってるのかも、そんな気がしていた。
「早くぅ、ねえちゃんん」
「うるさいなぁ。冷蔵庫になんかないの」
「にいちゃんが帰りに買い物してくるって。なんもない」
「あ、じゃあ牛乳ないってLINEして」
ふと、紗世に『牛乳買ってきて』と送ったらどうなるだろう。
あの誰も傷つけないつもりの笑顔が驚きに変わって、なんて返そうか困る姿を想像してひとりニヤけた。
「なーねえちゃんインスタばっかやめろよ」
「待ってってば!」
「もう待てないー。米計ってやるから早く」
勝手にしな、と言いかけ、
「……うん、ノリありがとう」
と、紗世の真似をしてみる。
「何それキモチワル!」案の定ノリがどん引いて、計量カップを持って逃げた。
私は可笑しくて、ノリに同情する。結構、声の感じが似てたんだけどな。
紗世は見た目より強い、きっと私よりずっと。だって、空気を読むことはできても軋轢を生まないように接することなんて私にはできない。しようとも、思わない。
「そっか」
さっき入ったばかりの新しいグループも、元のグループもミュートにした。
「ノリ、お待たせ。げっ、米こぼれすぎじゃん! もったいな!」
「だから早くって言ったじゃん!」
「人のせいにしない!」
シャツを腕まくりして米を研ぐ。嫌いじゃない小気味いい音が手の中で鳴る。
もし一度でも本音っぽい返事が返ってきたら、紗世に会いにいこう。強引にでも。
不健康な顔色で曖昧な笑みを浮かべる胸の内にを知りたい。それに——。
さらさらと透明な水の底で米が舞っては沈む。
彼女の発する、柔らかくて優しい言葉を独り占めしたい、なんて思った。
かぎろひ拾遺集 micco @micco-s
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