永遠、秘めた想い

「おばあちゃん、元気?」

「まあ、今日も来てくれたのかい」

 私はその日も、大好きな祖母のお見舞いのため、病院に一人で来ていた。

 祖母はその年で九〇歳になった。それまでずっと元気だったのだけど、年末から風邪をこじらせて入院していた。検査をしたところ他にも悪いところが見つかったので、それからずっと入院していた。

 最初は母とお見舞いに来ていたけれど、母も毎日来れるわけではなかった。ので、学校帰りに病院に寄って帰るのが、当時の私の日課だった。

 祖母は寝ているときもあったが、元気なときもあった。学校や家で起こったことなどを祖母に話すと、喜んで聞いてくれたから、私は嬉しかった。

「おばあちゃんが子どものときはどうだったの?」

「私の子どものときかい? そうだねえ……」

 祖母は入院患者だから、以前ほど長くは話せなかった。だけど、私は祖母の話を聞くことも好きだったから、ときどきはそうやって質問して、話を引き出していた。

 幼い頃、祖母に聞いた多くの話の中で、特に好きだったのが、昔、この町にあったという屋敷と、そこに住む青年の話だった。


 その屋敷には柿の木があって、秋になると腕白な男の子たちが柿の実をこっそり盗んでいた。

『やめなよ。人様の家の物を盗るなんて』

 逞しい女の子だった当時の祖母は、男子たちに物怖じもせず、そう言って注意していたという。

『おい、うるさいのが来たぞ』

『ブスはほっとけ。見つかる前に逃げようぜ』

 男子たちが言うことを素直に聞くはずもない。逆にぶたれて、泣かされてしまうことさえあったそうだ。

『……うぅ、うわぁぁん』

『おやおや。子どもの声が聞こえると思ったら』

 トワダという長身の青年は、いつからかその屋敷の使用人として暮らしていたらしい。

 男子に泣かされた祖母に、青年は桃を差し出したという。

『柿はな、まだ少し早い。あの子たちは渋い思いをするよ』

 青年はにっこりと笑った。青年の灰色の瞳に見つめられ、祖母は自然と泣き止んでいた。


 だが、その屋敷はとうに壊され、住んでいた者がどこへ行ったか、知る者はいないようだった。

 そんなある日、私は学校の友人に、「公園でかっこいい男の人を見かけた」という噂を聞いた。その男性は、休日の昼間によく公園で本を読んでいるという。興味を持った私は、早速次の日曜に友達を誘って、その公園に行ってみた。

 友達二人と待ち合わせて公園に行くと、確かに若い男性がベンチに腰掛け、文庫本を読み耽っていた。男性は褐色がかった髪色で、座っていても絵になるような、すらっとした細身の体型だった。

「ねえ、本当に声かけるの……?」

「何言ってるの。あなたが言ったんでしょ」

「そうだよね」

 私は観念した。じゃんけんで負けた人が声を掛けよう。言い出しっぺは私だった。

「あの」

 少し離れたところから声を掛けると、男性は文庫本から目を離し、私の方を見た。

「やあ」

 男性は柔かい微笑を見せた。その笑顔は、緊張していた私の心をほぐしてくれた。

「ここで何をしてるんですか?」

「本を読んでいるよ」

 男性は、見ればわかるようなことを教えてくれた。

 友達二人は、こちらを見てクスクスと笑っていた。

「あの、私。友達と来てて、それでお兄さんに声掛けようって」

「ああ」

 私がしどろもどろになって話すと、男性はわかったと言うように頷いてくれた。

「なるほど。あの二人だね」

 男性が友人たちを見た。すると、薄情な友人たちは、走って公園から逃げ出してしまった。

「あ!」

 私は思わず声を発した。

「……行ってしまったね」

 男性は友人たちを見送ると、私に向き直った。

「行かなくていいのかい? 友達なんでしょう」

「あ、ええと」

 私はそう言われて、慌ててその場から立ち去ろうとしたが、寸前で思い直した。それよりは、男性ともう少し会話を続けたい気がした。

「お兄さんは、いつからここにいるんですか?」

 男性は目を丸くした。私がその場に留まったことに、驚きを示したようだった。

「それは、今日のことかな?」

 私は首を振った。

 男性はわかったというように頷いた。

「この町に来たのは、二週間ほど前だよ。実は、ずっと前にも住んでいたことがあるんだ」

 私はその時になってやっと、あることに気がついた。

「あの」

「? どうかしたかい」

「お名前、ひょっとしてトワダとかだったりしますか?」

 その男性は、見慣れない灰色の瞳をしていたのだ。祖母から聞いたあの青年と、血縁関係のある人かもしれない。私はそう思った。

「いや、違うよ」

 だが、男性は首を振った。

 私は、内心がっかりした。

「ひょっとしたら、昔そんな人もいたかもしれないけど。僕の名前は岸辺トワというんだ」

「トワ……」

 トワダではなく、トワ。子供心にも、当時の私には偶然とは思えなかった。

「あの、明日の午後、時間ありますか?」

 私はトワさんというその男性に訊ねた。

「? うん。空いてるけど」

 トワさんは、何ら疑いもなく頷いた。


 次の月曜日の午後、学校を終えた私は、公園でトワさんと待ち合わせてから病院に向かった。

 歩きながら、私は祖母から聞いたトワダさんの話をトワさんに話した。

「ああ、なるほど」

 トワさんは曖昧にそんな風に返事をした。なんだか、物思いに耽っているようにも見えた。

 病院に着くと、私はトワさんと一緒に受付で記帳をした。窓口の看護婦さんは、トワさんのことが気になったようで、記帳の間じっとトワさんを見ていた。

「おばあちゃん」

 幸い、その日も祖母は起きていた。祖母はすぐに、私の後に続いて病室に入って来たトワさんに気がついた。

「まあ、そんな。あなたは……!」

 祖母はとても驚いたようで、目に涙を浮かべていた。

「こんにちは」

 トワさんは丁寧に会釈をした。

 祖母はベッドから手を伸ばした。その手はトワさんに向けられていた。トワさんもそれに応えて、二人は手を握り合った。

 そんな二人の様子を見て、私はとても満足した。

「びっくりした? トワさんって言うんだって。トワダさんじゃなくて、トワさんだよ」

 祖母はただ頷くばかりで、相変わらず目に涙を湛えてトワさんを見ていた。思い返してみれば、この時の祖母はまるで少女のようだった。トワさんも、そんな祖母から目を逸らしたりはしなかった。

「みっちゃん、ちょっとあっちへ行っててもらえる?」

 ややあって、祖母は私にそう言った。

「えー」

 と言いながら、私はにやにやしていた。そうか、私はお邪魔虫なんだな。なんとなくそう察した私は、病室を後にして、適当に病院内を歩き回って時間を潰すことにした。

 だから、その間に祖母とトワさんがどんな話をしたのか、それは知らない。

 トワさんはそれから祖母が亡くなるまでにも、何度か祖母を見舞ってくれたようだ。

 その日の後、私はトワさんが持って来たらしい花や果物が、祖母のベッドの傍にあるのを見ることがあった。その中には美味しそうな桃もあった。

「あの人に会わせてくれてありがとう」

 その日以降、祖母は事ある度に私に礼を言った。

「そんなことより、トワさんと何を話したのか教えて」

 だがそう訊くと、祖母はただにっこりと微笑むばかりだった。

「さあ、何だったかしらねぇ」

 トワさんもトワさんで、祖母の墓参りに付き合ってくれることはあっても、その時のことを訊ねても、ただ笑顔を見せるだけなのだ。


(了)

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此岸人 卯月 幾哉 @uduki-ikuya

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