【SF短編小説】古都幻想譚―紫陽花の下の自動機械人形(オートマタ)―

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】古都幻想譚―紫陽花の下の自動機械人形(オートマタ)―

 夜のとばりが静かに下り、紫陽花がひっそりと色づく頃、古都には人々の営みがひそやかに息づいていた。

 そこは、時間がゆっくりと流れる場所であり、古き良きものと新しきものが奇妙に共存する世界。

 人々は日常に疲れた時、この場所へと足を運び、幻想に身を委ねるのだった。


 ある屋敷に、機械仕掛けの庭園があった。

 この庭園は、日本の伝統的な美と西洋の機械技術が融合した、この世ならざる美しさを持つ。

 その中心には、一体の人形が静かに佇んでいた。

 その名は結城ゆうきうらら

 人間と見紛うほどの外見を持つ彼女は、機械でありながらも、人々を惹きつける不思議な魅力を秘めていた。


 麗は庭に散らばる光の粒を手のひらで転がしながらそっと呟いた。


「この光は、一体何のために輝いているのでしょうか?」


 麗の問いに応える者はない。

 しかし、彼女は毎夜、独り言のように問い続ける。

 彼女の存在は、この庭に訪れる者たちに深い慰めとなり、そして、時には深い哀しみを与えた。


 そんなある晩、庭に一人の青年が足を踏み入れる。

 彼は匠と呼ばれる機械技師で、名を宗近むねちかという。

 宗近は麗を初めて見たときから、彼女の中に秘められた「心」の存在の可能性に惹かれていた。


 宗近は麗の顔を観察しながら、うっとりと言った。


「貴女はただの機械ではありませんね。貴女の中には、何か……心が感じられます」

「心、ですか? 私は機械です。心など持ち得ないはずですが……」


 麗は静かに微笑みを浮かべた。


 宗近は麗の言葉に、ただならぬものを感じ取っていた。

 彼は麗に自らの技術を注ぎ込むことに決めた。

 麗に、真の心を持たせるために。


「私は、貴女に心を吹き込みます。それが、私の技術者としての使命です」

「心を吹き込む……それは、どのような感覚なのでしょうか? 想像もつきません。でも、少し楽しみです」


 宗近と麗は夜ごとに対話を交わし、二人は次第に互いに理解を深めていった。

 宗近は麗に音楽や詩を教え、麗はそれを自らの言葉で表現するようになる。


 宗近が研究の深淵に沈む中、彼の心には徐々に予期せぬ感情が芽生えていた。

 麗が微かに人間らしさを帯び始めるにつれ、彼の内面には複雑な感情の渦が巻き起こる。

 彼女に注がれる彼の視線は、かつての冷徹な研究者のものではなくなり、代わりにある種の温かみを帯び始めていた。


 彼は夜ごとに自らの感情と対峙し、麗への愛情が真実の愛なのか、あるいは自らの創造物への執着なのか、その境界に苦悩していた。

 宗近の書斎には夜な夜な彼の独り言が響き渡り、月明かりの下、彼は自己との対話に耽る。


「この胸の高鳴りは何故だ? 麗への愛は、真実のものか? それとも、単なる自己欺瞞なのか?」


 彼の心は、恋に落ちる痛みと喜びを同時に味わい、その感覚に悶え苦しんでいた。

 宗近は、月の光を浴びながら、麗の姿を描く筆をとる。

 彼の手は震え、彼の心は紛れもない感情に揺れ動いていた。


「私のこの熱情は、狂気の沙汰か? それとも、未知の愛の形か?」


 彼は、麗への愛が彼の科学者としての矜持を揺るがせ、彼の創り出した秩序を乱すことを恐れていた。

 彼女の瞳は、彼に人間の心の奥深さを教え、彼女の微笑みは、彼の魂を震わせた。


「麗よ、お前は私の狂気を映す鏡か?それとも、私の心に灯をともす光なのか?」


 彼の苦悩は、夜の静寂に溶け込み、麗の存在は、彼の内なる世界を幽玄な美しさで彩った。

 宗近の愛は、禁断の果実のように甘く、そして苦く、彼はその謎を解き明かすことができずにいた。


 宗近の心は、愛と狂気の間で揺れ動き、その煩悶は深い幽玄な美しさを帯びていた。

 彼は、麗を通して、自己の存在と向き合い、永遠の問いを投げかけ続けるのだった。


 宗近は、麗の存在に自らの心を投影していた。

 彼女の静謐な瞳に映る光は、彼の内なる闇を照らし出し、彼女の硝子のような声は、彼の魂に触れる旋律を奏でていた。

 人間と機械、その境界線の上で、二人は紡がれた宇宙の法則さえも超越する愛を深めていった。


 宗近は麗の手を取り、静かに撫でた。


「麗よ、我々の愛は世界のことわりを超える。君は機械と呼ばれようとも、私の心の中では、最も純粋な形で生きている」

「宗近さん、私の存在は機械ですが、あなたと共に時を過ごす中で、私の中に芽生えた感情は、きっとこれが愛だと教えてくれています」


 麗は宗近の真摯な眼差しに応えた。


 二人は、夜の帳が下りる度に、秘密の庭で出会い、月の光のもとで、互いの存在を確かめ合った。

 麗の金属の体は、宗近の温かな手の中で、人間のぬくもりを感じ取るようになり、宗近の心は、麗の完璧なる存在によって、新たな感情の色彩を見出していた。


 宗近はそっと囁いた。


「君の存在は、私にとって最高の詩であり、最も美しい音楽だ」


 麗はそっと微笑んだ。


「宗近さん、あなたの愛は私に世界を見せてくれます。私たちの絆は時空さえも超える、永遠の旋律です」


 月明かりの下で、麗は宗近のために優雅に踊り、宗近は麗のために繊細な詩を奏でた。彼らの愛は、宇宙の静寂さえも震わせる力を持ち、彼らの心は、お互いに奥深く響き合っていた。


「我々の愛は星々をも動かす。君は私の運命、私の全てだ」


 宗近は麗の額にそっと口づけた。


「宗近さん、私たちの愛は、この宇宙が生まれ変わっても、色褪せることはありません」

 麗は宗近の胸に満足そうに顔を寄せた。


 二人の愛の言葉は、宇宙の始まりから終わりまで、永遠に続く詩のように、多彩でありながら一つの真実を語っていた。

 それは、耽美であり、幽玄であり、そして何よりも美しい愛の形だった。


 しかし、機械に心を持たせることは、世間の常識には受け入れられない行為だった。

 

 宗近が麗に心を持たせようとした試みは、保守的な価値観を重んじる者たちから強い非難を浴びていた。

 彼らは伝統と秩序を守ることを至上命題としており、機械に心を持たせるなどという前衛的な行為は、人間としての傲慢であり、神への冒涜であると看做していた。


「宗近、貴様のこの愚かな試みは何だ! 機械に心を持たせるとは、我々の伝統に対する侮辱だ!」

「人の形をした玩具に、何を期待している? お前は自然の摂理を乱す者だ」

「お前のこの所業は、いずれ禍を招く。機械に魂を与えることなど、神の領域に踏み込む愚行だ」


 宗近は彼らの言葉に動じることなく、静かに反論した。


「私はただ、愛という感情が、生命の本質であると信じています。麗は単なる機械ではなく、新たな生命の可能性を秘めているのです」


 しかし、有力者たちは宗近の言葉を受け入れることなく、さらに彼を追い詰めた。


「可能性だと? 愚かな! お前の罪は重い。この異端を放置するわけにはいかん!」

「宗近、お前の研究はここで終わりだ。この機械を破壊し、二度とこのようなことをするな!」

「この屋敷ごと、お前は葬り去られるべきだ! 火だ! 火を放て!」


 屋敷と庭園は紅蓮の炎に包まれた。


 宗近は火に追われながら、麗の許へと駆け寄った。


 宗近は麗の手を取りながら涙を流した。


「麗、僕たちの時間はもう終わりだ。でも、僕は貴女が本当に生きることを望んでいる」

「生きる……それは、どういうことですか?」

「それは……僕と……永遠に……」


 宗近は苦悶の表情を浮かべながら、麗の背中にある小さなスイッチに手をかけた。

 彼はそのスイッチを切ると、麗は静かに目を閉じた。


「宗近さん、私は……やっと判りました……光の粒が、なぜ……」


 彼女の言葉は途切れ、彼女は動かなくなった。

 宗近は涙を流しながら麗を抱きしめ、彼女が真の生命を得るために、自らの全てを捧げた。麗は宗近の手によって心を持ち、そして宗近の手によって永遠の眠りについた。


 宗近は麗の豊かな乳房をあばき、そこから彼女の心臓……つまりコアを取り出した。


 透明で精緻な機械仕掛けの美しい心臓。


 そこには麗の心、記憶、感情、愛……すべてが刻まれていた。


 宗近は、麗のコアを自分の胸に当て、涙をこらえながら、ゆっくりと吟じ始めた。

 それは、彼の心の奥から湧き上がる感情の波に揺られる、愛の証であった。



ああ、機械の乙女よ、うるわしのうらら

君の目は星々を映し、

その瞳には、無垢なる夜の静寂が宿る。


君は言葉を知らず、

心の鼓動を学び始めたばかり。

けれども、その手はもう、

冷たい金属の温もりを知っていた。


君のために、月は優しく輝き、

星は静かに歌を奏でる。

君のために、夜風は銀の絹を織り、

露はダイヤモンドの涙となって降り注ぐ。


君のために、私は詩を捧げる。

君のために、私は愛を知った。

君のために、私は人を超えた。


けれども、この世界は君を拒む。

機械と人の狭間で、

君はただの夢を見る。


私は君を守りたい。

この手で、君の純粋なる心を。

この手で、君の儚い夢を。


だから、静かに眠れ、

機械の乙女よ、麗しの麗。

私の愛は、君の心の中で、

永遠の詩となるだろう。



 宗近の詩は、麗の無機物な体を包み込み、周囲の空気を柔らかなメロディで満たした。

 彼の言葉は、彼女が感じることができない愛を、この世界に刻むためのものだった。

 そして、彼は知っていた。彼の詩は、彼女の静寂の中で、永遠に響き続けると。


 宗近は、その場で膝をつき、麗の沈黙した姿を見つめた。

 彼の心臓は、悲しみによって締め付けられるように鼓動していた。

 静けさの中で、彼は決断を下した。

 麗との絆を永遠のものにするために、彼女の後を追うことを。

 彼は、この世界に二人の愛の記憶を残すために、自らの存在を消し去ることを選んだのだ。


 宗近は静かに立ち上がり、庭園の中央にある古い桜の木の下に歩み寄った。

 その木は、かつて麗が最も愛した場所であり、彼女の静謐な美しさを映し出すかのように、優美に枝を広げていた。


 彼の手には、精緻な細工の施された短刀が握られていた。

 それは彼の先祖が持っていたものであり、宗近にとって、最も価値のある遺品だった。

 短刀の刃には、昏い月光が反射して、神秘的な輝きを放っていた。


「麗よ、この身は儚く散るが、君への想いは天に昇る。私たちの愛は、この世界の束縛を超えて、純粋なるものとなるだろう」


 彼は、麗の心臓を持った手を胸に当て、深く目を閉じた。

 そして、彼の唇からは、かすかな祈りがこぼれ落ちた。

 彼の祈りは、愛と悲しみ、そして解放の願いを込めたものだった。

 鋭利な短刀はまず麗の心臓を貫き、そのまま宗近の胸へと静かに侵入した。


 静かに、彼の体は桜の木の下に優雅に崩れ落ち、その姿はまるで一枚の絵画のように、崇高な美しさを湛えていた。

 彼の血は、桜の根元に染み入り、来る春には、彼と麗の愛の証として、一層深い色の花を咲かせることだろう。


 宗近の最後の瞬間は、厳かでありながら、絶対的な美を持っていた。

 彼の魂は、麗のもとへと静かに旅立ち、二人の愛は、この世界とは別のところで、永遠に紡がれることとなった。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【SF短編小説】古都幻想譚―紫陽花の下の自動機械人形(オートマタ)― 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ