敬老の日だってさ五木さん!

 九月十三日、敬老の日の午後。オサムは自分の部屋で宿題を終えた後、なんとなく窓の外を眺めていた。今日は土曜日で学校は休み。街のあちこちでは、おじいちゃんやおばあちゃんと過ごす家族の姿が見えている。

「今日は敬老の日かぁ……」

 オサムは小さくつぶやいた。その声を聞いて、押し入れから五木さんが顔を出す。

「どうしたの? なんだか寂しそうな声ね」

「あ、五木さん」

 オサムは振り返ると、少し寂しげな表情を浮かべた。

「今日、敬老の日なんだって」

「敬老の日?」

 五木さんは首をかしげた。切れ上がった目が疑問の色を浮かべている。

「おじいちゃんやおばあちゃんに感謝する日だよ。でも僕の……」

 オサムの声が小さくなった。五木さんはすぐに理解した。

「お婆ちゃんのことね」

「うん……去年まではこの日、お婆ちゃんのところに行って一緒におはぎを食べたりしてたんだ」

 オサムの目に涙が浮かんできた。五木さんは優しくオサムの隣に座る。

「お婆ちゃん、どんな方だったの? 詳しく聞かせて」

「とっても優しい人だった。僕が昆虫を捕まえて持って行くと、お母さんは『汚い』って言うけど、お婆ちゃんは一緒に図鑑で調べてくれて……」

 オサムは思い出を語り始めた。五木さんは猫のような目を優しく細めて聞いている。

「それから、おはぎを作るのがとても上手で、いつも『オサム君の分も作っておいたよ』って言ってくれたんだ」

「素敵なお婆ちゃまね」

「夏には一緒に畑仕事もした。お婆ちゃんが『オサム君は働き者だね』って褒めてくれて……でも実際はあまり役に立ってなかったと思うんだけど」

 オサムは苦笑いを浮かべた。五木さんはつつましい胸を静かに上下させながら、じっと聞いている。

「お婆ちゃんに感謝を伝えたいんだけど……もう会えないから」

 オサムの声に寂しさがにじんだ。五木さんは少し考えてから口を開いた。

「ねぇ、オサム君。お婆ちゃまに気持ちを伝える方法があるのよ」

「え?」

「そう。この前教えたでしょ? あっちの世界のお婆ちゃまは、いつでもオサム君のことを見守ってるって」

 オサムは以前のお盆の夜のことを思い出した。五木さんがお婆ちゃんと交信してくれた時のことを。

「だから、お婆ちゃまに向かって素直な気持ちを伝えればいいのよ」

「でも、届くのかな?」

「大丈夫よ。愛する人への気持ちは、きっと届くわ」

 五木さんの言葉に、オサムは少し元気になった。

「じゃあ、お婆ちゃんに感謝の気持ちを伝えてみる」

「私も一緒にいるわ」

 五木さんはオサムの手を優しく握った。温かい手のひらが、オサムの心を落ち着かせる。

「それじゃあ……」

 オサムは窓の方を向いて、空を見上げた。雲の隙間から午後の陽射しが差し込んでいる。

「お婆ちゃん、聞こえる?」

 オサムは小さな声で話しかけ始めた。

「今日は敬老の日だから、お婆ちゃんに感謝を伝えたいんだ」

 五木さんは黙ってオサムの隣で見守っている。三日月のような目尻が、やさしく下がっていた。

「お婆ちゃん、いつも僕のことを大切にしてくれて、ありがとうございました」

 オサムの声が少し震えた。

「僕が虫を捕まえて持って行った時、嫌な顔一つしないで一緒に図鑑を見てくれて……本当に嬉しかったよ」

 五木さんは静かにオサムの背中をさすってあげた。可憐な胸が、そっと寄り添うように近づく。

「それから、おはぎもとても美味しかった。お婆ちゃんが作ってくれるおはぎを食べると、なんだかとても幸せな気持ちになったんだ」

「きっとお婆ちゃまも嬉しく思ってるわ」

 五木さんが小声で励ましてくれる。

「夏休みにお婆ちゃんの家でお手伝いした時も、僕が何をしても『ありがとう、オサム君』って言ってくれたね」

 オサムは涙声になってきた。

「お婆ちゃんがいてくれたから、僕は昆虫が好きになれたし、優しい心を学べたと思う」

 そっと涙を拭きながら、オサムは続けた。

「今は五木さんという大切な人もできたよ。お婆ちゃんなら、きっと五木さんのことも好きになってくれると思う」

 五木さんの琥珀色のきらめきを宿した瞳に、優しい光が宿った。

「お婆ちゃん、今まで本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました」

 オサムは深々と頭を下げた。その時、窓から涼しい風が吹き込んできて、二人の髪を優しく揺らした。

「あら、風が……」

 五木さんが空を見上げた。雲がゆっくりと動いて、太陽の光がより強く差し込んでくる。

「お婆ちゃんからの返事かな?」

「きっとそうよ。『どういたしまして、オサム君。元気で過ごしなさい』って言ってるのよ」

 五木さんの言葉に、オサムは笑顔になった。

「ねぇ、五木さんも何か言ってもらえる?」

「私が?」

「うん。お婆ちゃんに会ったことはないけど、僕のことを大切に育ててくれた人だから」

 オサムの頼みに、五木さんは少し考えてから立ち上がった。視線を斜めに跳ね上げて空を見上げる。

「オサムくんのお婆ちゃま、こんにちは。私は五木と申します」

 五木さんは丁寧にお辞儀をした。

「オサムくんからいつもお婆ちゃまのお話を聞いています。とても優しくて、素敵な方だったのですね」

 気配だけを残す膨らみが、敬意を込めて静かに上下している。

「私は今、オサムくんと一緒に過ごさせていただいています。お婆ちゃまがオサムくんに教えてくださった優しさを、私も大切にしていきたいと思います」

 オサムは五木さんの言葉を聞いて、胸が温かくなった。

「そして……オサムくんをこんなに優しい子に育ててくださって、ありがとうございました。私もオサムくんを大切にすることをお約束いたします」

 五木さんが頭を下げると、また風が吹いてきた。今度は少し暖かい風だった。

「お婆ちゃん、喜んでくれてるかな」

「きっと喜んでるわ。お婆ちゃまは今頃、あっちの世界でニコニコしながら私たちを見てるのよ」

 二人は並んで空を見上げた。雲の形が、なんとなくお婆ちゃんが手を振っているように見える。

「ねぇ、五木さん」

「何?」

「今度お墓参りに行く時、一緒に来てもらえる?」

「え? でも私……」

 五木さんは少し戸惑った。外に出ることは、難しい。

「大丈夫だよ。僕がちゃんと守るから」

 オサムの真剣な表情に、五木さんは微笑んだ。

「そうね。お婆ちゃまにもちゃんとお会いしたいわ」

「やった! 今度、おはぎも持って行こうね」

「いいわね。私も作り方を覚えてみるわ」

「本当? 五木さんのおはぎ、きっと美味しいよ」

 二人の会話を聞いているかのように、また優しい風が吹いてきた。部屋の中に、穏やかな時間が流れている。

「お婆ちゃん、これからも僕たちを見守っていてね」

 オサムは最後にもう一度、空に向かって手を振った。

「そして、あっちの世界で元気にしててね」

 夕日が部屋をオレンジ色に染め始めた。敬老の日の午後、オサムと五木さんは亡くなったお婆ちゃんへの感謝を心を込めて伝えることができた。

「五木さん、ありがとう。一人じゃきっとこんな風に話せなかった」

「どういたしまして。私も、オサムくんの大切な人のことを知ることができて嬉しかったわ」

 五木さんはいたずらっぽい艶のある瞳を優しく細めた。

「これからも、二人でお婆ちゃんのことを忘れずにいようね」

「うん。そして、お婆ちゃんが教えてくれた優しさを大切にしよう」

 二人の約束を聞いているかのように、夕日がより一層温かく部屋を照らした。

 敬老の日の夕方、オサムと五木さんの心には、お婆ちゃんへの感謝と愛情が満ちていた。そしてその気持ちは、きっと天国のお婆ちゃんにも届いているのだろう。

 窓の外では、夕風に揺れる木々が、まるでお婆ちゃんが優しく手を振っているかのように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつの間にやら五木さん!? 居候ゴキブリ娘が勝手に家に住みつきました 野々村鴉蚣 @akou_nonomura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画