求められるもの

県 裕樹

俺は……

 ぶらりとやって来た……そんな雰囲気ではない。

 と云って、必要に迫られてやって来た……という感じでもない。

 男は、ただ虚ろな目を路上に向けながら、歩いている。

 思い詰めた様子でも無ければ、お気楽に散歩を楽しんでいる風でもない。

 傍から見た彼を、一言で表現するなら……何の変哲もない、只の通行人である。

 しかし、男はブツブツと何かを呟いている。妄言? いや、違う。時々『そうじゃない!』と、否定を示す一言が混じるのだ。ただの妄言に、自分でツッコミを入れる者は、恐らく居はしないだろう。

「……城かぁ。そう言えば此処、歴史上でも結構有名な土地なんだよな。しかし、俺は今……時代モノを書いている訳じゃない」

 小高い丘の上から、白亜の壁と甍の灰色が特徴的な、立派な建物が見える。旧跡――小田原城の天守閣だ。

「海でも見れば、何かアイディアが浮かぶかと思ったんだけどなぁ……そう簡単には行かないか。あーあ、読者が何を求めているかが分かるセンサーでもあればなぁ。この稼業も楽だろうに」

 男が、自嘲気味に呟く。そう、彼はいま売り出し中の、新人小説家だった。デビュー作がそこそこ売れて、知名度も上がり始めた処で、いよいよ次の作品を……と身構えた時、彼は『何を書けば良いんだ?』と、考えに詰まってしまったのである。

「……あ、ダメだな。そんな便利なモンがあったら、皆で食い合いになって共倒れになっちゃうね」

 これまた、自嘲気味に……今度は苦笑いを交えて呟く。

 作者として何を書くべきか、読者が求めているのはどのようなモノなのか……それがパッと閃き、原稿用紙に書き連ねていく。それがスラスラと出来るなら、誰も苦労はしやしない。

 無論、ベストセラー作家と呼ばれる者たちが、それを容易に行っているかと問えば、恐らく答えは『否』であろう。売れ線の作家には、そのレベルに応じた悩みが必ずある筈だ。それは分かっているのだが……

「流行を追うのは好きじゃない、と言って大衆のニーズを無視すれば爪弾き。作家は、一体何を追い掛ければ良いんだろうねぇ」

 それは、同じ道を志す者……いや、営業マンも事務員も、工事現場で働く労働者も、みな等しく『良い仕事をするには、どうすれば良いのだろう』という事を常に考えている筈だ。悩んでいるのは、自分一人だけではないのだ。

「一つ所に留まっても、仕方がないよね。このまま散策を続けますか……」

 城下町をサッと眺め、駅前繁華街を抜けると、直ぐに市街地へと出た。

「此処をまっすぐ行くと、酒匂川に出るのか。そこも取材しておきたいけど……その前に、腹が減ったなぁ」

 時計の針に目を落とすと、17時を少し過ぎた処。夕食を摂るには些か早い時刻だが、腹の虫は『早く、早く』と訴えている。ふと見ると、交差点の向こうに小さな店が見える。小料理屋だろうか、横開きの扉に白い暖簾。その店は、男の好みにピタリと嵌まっていた。

「らっしゃぇーい!」

 暖簾を潜ると、威勢の良い男性の声が彼を迎えた。恐らく店主だろう。

 カウンター席の他には、4人掛けのテーブル席が3つ。規模は大きくないが、良い雰囲気の店内だ。

「大将、中生とソーセージマヨチー焼きね!」

「こっちはトマトコンビーフチーズ焼き、お願いします!」

 常連客のオーダーだろうか、聞き慣れぬメニューの名が耳に届く。それが、男の好奇心を強く揺さぶった。

「ご主人、此処は創作料理のお店なんですか?」

「そんな大層なモンじゃないです、フツーの居酒屋ですよ……はい、砂肝から揚げおまちぃ!」

 カウンターの向こうで、男の質問に応えながらも、その手は止まる事無く見事な手さばきで料理を仕上げていく。その立ち居振る舞いは実に颯爽としていて、それが益々男を楽しませていた。

「ところで、ご注文は?」

「あ、えーと……取り敢えず生中、それと……さっきのあの人が頼んでた、ソーセージマヨチーズ焼きと云うのを」

「はい、ご注文入りましたぁー!」

 ニッコリと笑顔を向けると、店主は厨房の奥へと消えた。と云っても、カウンターの向こうがそのまま厨房になっているのだ。その姿は直ぐに目で追えるようになっている。見ると、店主は実に楽しそうに鍋やフライパンに語り掛けるように、調理をしている。時々『もうねー、ガッツンガッツンいっちゃうよ!』と云う声も聞こえて来る。無論、それは客にはほぼ聞こえない程の、小さな声ではあったが。恐らくは店主の癖なのであろう。

「楽しそうに、お仕事をなさるのですね?」

「そりゃー、自分で楽しめなきゃ仕事なんかやってられないでしょ。メニュー考えるのも楽しいし、此処だけの話……賄い飯のアイディアを練るのが面白くて。たまーに、その中からウケが良い奴をメニューに加えたりもするんですよ」

 その言葉は、男の胸に深く突き刺さった。

 確かに、自分で楽しめなくては、仕事なぞ只の苦痛でしかない。が、自分はどうだ。義務感の方が先に立ち、ちっとも仕事を楽しんでいないではないか。

(そう言えば、デビュー前はもっと自由な発想で、色々書いていたよな。けど、プロに成って、客の目を気にするようになってから……俺はおかしくなり始めたのかも知れない)

 そう考えている間に、男が注文した生ビールと『ソーセージマヨチーズ焼き』が運ばれてきた。それは旨そうに湯気を立て、良い香りを醸し出している。男はまず生ビールで喉を潤した後、その皿に手を付けた。

「旨い!」

 男が感嘆の声を上げると、隣の席に腰掛けていた客が声を掛けて来た。

「そりゃーそうさ、大将の料理が不味い訳ねぇよ。日々研究を重ねて、頑張ってんだ。俺ぁもう大ファンでね、ずっと通ってるのさ」

「はは……そりゃぁ褒め過ぎですよぉ」

 店主は謙遜の笑いを此方に向けた。


***


 ビールを2回ほどお代わりし、常連客の勧めで旨いつまみを堪能した男は『そろそろ締めに行きたいんだけど』と店主に申し出た。

「なら、アレがいいぜ! 大将、アレを勧めてみなよ」

「あー、そうですねぇ。お客さん、チャーハンはお好きで?」

「大好物ですが……もしかして、あるんですか!?」

 その回答を聞き、店主は『ハイ、ご注文入りましたー!』と言いつつフライパンを取り出し、飯を丼に計り始めた。

「驚いたなぁ、チャーハンまで出て来るなんて」

「アンタ、この店に来たらチャーハン、中でもアレを喰わなきゃ始まらねぇぜ!」

 常連客が、ドヤ顔でそのメニューを勧めて来る。どんなものが出て来るのだろう……男は相変わらず楽しそうに調理する店主を、カウンター越しに眺めていた。

「ヘイお待ちぃ! 元祖『小田原チャーハン』一丁上がりです!」

「お、『小田原チャーハン』!?」

 ご当地メニューも色々あるし、男もそれなりに各地を歩いて名物と言われるモノは食べてきたつもりだった。が、店主がニコニコと笑顔で勧めて来る『小田原チャーハン』なるモノは初めてであった。

「ま、論ずるよりも、先ずは食べてみてくださいな」

「は、はい! これは……和風チャーハン? ……ん? これは蒲鉾か?」

 ご名答! と、店主はニヤリと笑みを浮かべる。が、このチャーハンの秘密は此処だけに留まらなかった。

「……!! 微かな酸味……梅干しだ! コイツが、チャーハンの油をスッキリと中和させて、爽やかな後味を作っているんだ!」

 男は、初めて味わうその料理を、ガツガツと食い散らかすのではなく、一口ずつ味わいながらゆっくりと口に運んだ。そして最後の一口を口に納めると、本当に感激した! と云う感じの笑顔を店主に向けた。

「ご主人、これは小田原の名物で?」

「いンや! これは私のオリジナルなんですよ。だから『元祖・小田原チャーハン』なんです」

 何と! と、男は驚嘆の声を上げた。

「何ね? 小田原ラーメンとか、小田原オデンとか、小田原丼ってのはあるんですがね? 小田原『チャーハン』ってのは無いんですよ。なら、私が作っちゃおうと思いましてね」

 店主は、小田原の名産である蒲鉾と、梅干しを上手く使って、地元をPR出来る献立を作ってみようとまず考えた、と語った。それならば、誰もやった事の無いモノを作ってやろうという悪戯心から、このレシピを思い付いたそうなのだ。

 何という、自由奔放で豊かな想像力だ……と、男はすっかり感心していた。いや、『小田原チャーハン』だけではない。これまでに味わったつまみの殆どは、店主のオリジナルだ。しかも、それが最初は賄い食であったと云うのだから、更に驚きだった。

「ご主人、ご馳走様でした! この味、一生忘れません!」

「な、ど、どうしたんです? お褒め頂くのは嬉しいけど、そこまで感激して……」

「僕は、常識と云う殻に閉じこもって、そこから外に出る努力をしなかった。けど、ご主人の料理には枠が無い。これは見習うべき事です!」

 何だ何だ? と、店主は最後まで不思議そうな顔をしていた。が、男は晴れ晴れとした表情で店の暖簾を潜り、振り返った。


 そこには『まねき屋』という看板が掲げられていた。男は思った、この店の名は生涯忘れまい、と……


<了>

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求められるもの 県 裕樹 @yuuki_agata

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