どうして人を殺してはいけないのか?

蟹場たらば

人を殺すことに関する意識調査

○Aさん(二十二歳・男性・大学生)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「ええ、もちろん」


――なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?

「うーん、やっぱり悲しむ人がいるからじゃないですか。家族とか友達とか」


――悲しむ人がいない人は殺してもいいということですか?

「それはほら、殺される本人が悲しいから」


――では、死にたがっている人なら殺してもいいということですか?

「ええと…… ああ、そうだ。外国には安楽死を認めている国もありますよね? だから、そういうことなんじゃないですか」


――反対に諸外国と違って、日本には死刑制度がありますが、死刑で人が殺されることについてはどう思いますか?

「確かに犯人も自分が死んだら悲しいと感じるかもしれません。でもそれ以上に、犯人が生きていると、被害者の家族や友達が悲しい思いをしますから」


――あなたの考えでは、場合によっては人を殺してもいいということになりそうですが?

「それはまぁ、そうですね。そうなりますかね」



○Bさん(三十歳・男性・会社員)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「はい、そう思います」


――なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?

「自分が殺されたくないからです」


――自分が殺されたくない人は、他人を殺してはいけないのですか?

「他人に自分を殺させない。その代わりに、自分も他人を殺さない。そういうことです」


――自分は殺されてもいいという人は、他人を殺してもいいということですか?

「ああ、それじゃあ言い直しますよ。多くの人は殺されたくないからです」


――多数派の殺されたくないという意見に、少数派も従わなくてはいけないということですか?

「例外みたいな意見をいちいち考慮してたらキリがありませんから」


――殺されたくないと思っている人が、死刑で殺されていることについてはどう思いますか?

「懲役刑だと、出所後にまた人を殺すかもしれないので仕方ないですね。正当防衛みたいなものです」


――再犯を防ぐなら終身刑でもいいのではありませんか?

「将来殺人犯になりかねない人物に、『他人を殺したら自分も殺される』という恐怖を植えつけておけば、事件を起こす可能性が下がるでしょう。見せしめとして死刑が必要なんです」


――あなたの考えでは、場合によっては人を殺してもいいということになりそうですが?

「だから、そういうのは例外ですよ」



○Cさん(十七歳・女性・高校生)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「そうですね」


――なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?

「社会の秩序を乱す行為だからです」


――なぜ社会の秩序を乱してはいけないのですか?

「社会の中で生きていると、貧しい時は補助金を出してもらえるとか、物を盗まれた時は犯人を捕まえてもらえるとか、社会のルールによって守ってもらえるというメリットがあります。

 そのメリットを享受する以上は、税金を納めるとか、他人の物を盗まないとか、反対に自分も社会のルールを守らなくてはいけないでしょう」


――その場合、『社会に守ってもらわなくても構わないから人を殺したい』と考える人も現れるのではありませんか?

「そういう人は今いる社会を出ていくべきだと思います。たとえば無政府状態の国に行けば、ルールを守らなくても罰せられることはありません。

 もっとも、反対にルールが守ってくれるということもありませんから、人を殺すと報復として遺族に殺されてしまうことは容易に予想がつきます。それどころか、人を殺す前に誰かに殺されてしまう可能性すらありえるでしょう」


――秩序のある社会でも、死刑制度というルールによって人が殺されることがありますが、その点についてはどうお考えですか?

「社会の秩序を乱すから殺人は許されないということは、言い換えれば社会の秩序を保つためなら殺人も許容されるということです。その観点に立つと、死刑制度には凶悪犯罪を抑止する効果があると考えられますから、問題ないということになるでしょう。

 このことは当然、死刑制度以外についても言えます。たとえば、安楽死や正当防衛、戦争、革命、中絶なども、社会的に認められた殺人だということになるでしょう」


――死刑や戦争などには反対する声も多いのではないでしょうか?

「それらが本当に秩序のためになっているかについては確かに議論の余地があるでしょう。たとえば先程の死刑の抑止力の話に関しても、外国では廃止の前後で殺人事件の発生率に特に変化はなかったというデータがあるそうですから。

 しかし事実はどうあれ、死刑や戦争が許容されている国では、国民はそれが秩序を保つために必要なものだ認識していることは間違いないはずです」


――あなたの考えでは、場合によっては人を殺してもいいということになりそうですが?

「そうですね。ですから、厳密に言うと『人を殺してはいけない』ではなく、『社会の構成員ならば、その社会の秩序を乱してはいけない』ということになるでしょう」



○Dさん(五十四歳・男性・大学教授)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「そんなことは当然でしょう」


――なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?

「ダメなものはダメだからです」


――もう少し具体的に説明していただけますか?

「ですから、ダメなものはダメなんですよ。こんなものは理屈じゃないんだ。人を殺すのは絶対にダメなことなんです」


――日本には死刑制度がありますが、死刑で人が殺されることについてはどう思いますか?

「もちろんダメですよ。人権蹂躙も甚だしい。すぐにでも廃止すべきです。恥ずべき制度ですよ、あれは。

 戦争も殺人ですから当然ダメです。この点については、自衛隊しか持たない日本はまだマシな方ですけどね」


――正当防衛や安楽死で人が殺されることについてはどうお考えですか?

「正当防衛は自分の身を守ろうとした結果、運悪く相手を殺してしまっているだけでしょう。殺意はないわけですから、殺人ではなく事故に近いものと考えるべきだと思います。

 安楽死も殺される人間が自ら希望したことですからね。自殺幇助の一種だと考えるべきでしょう」


――事故や自殺幇助なら人を殺しても構わないということですか?

「いいことだとは思いませんよ。なくせるならなくした方がいい。しかし、殺人のように絶対に許されないというほどのものではありません」


――なぜ殺人だけは絶対に許されないのでしょうか?

「だから、ダメなものはダメなんです」



○Eさん(三十三歳・女性・経営者)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「まぁ、そうですね」


――なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?

「それは本当にあなたの聞きたい質問ですか?」


――ええ、そうですよ。

「嘘をつかないでよ」


――どうして嘘だとお考えになるのですか?

「暴行、窃盗、放火、詐欺、強姦…… やってはいけないとされていることは、他にもいくらでもあるわよね? それなら、『なぜ殺人や暴行や窃盗をしてはいけないのしょうか?』とでも聞けばよかったでしょう。

 なのに、どうして殺人だけを例に挙げたわけ? 何か別の意図があるんじゃないの?」


――別の意図というのは具体的にどんなものですか?

「『なぜ殺人や暴行や窃盗をしてはいけないのしょうか?』って聞かれたら、どんなに頭のぼんやりした人だって『人間は社会の中で生きているから、社会のルールを守らなくてはいけない』くらいのことは言えるでしょ。

 逆に言うと、殺人に限定されてしまうと、話題のショッキングさもあって、答えに詰まってしまう人が一定数出るでしょうね」


――つまり、どういうことでしょう?

「あなたは質問の答えを聞きたいんじゃなくて、相手が返答に困る姿を見たいだけなんじゃないの?」



○Fさん(四十一歳・男性・無職)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「まあ、そうですね」


――なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?

「命は尊いものですから」


――尊いというのは具体的にはどういう意味ですか?

「人間が持っているものの中で最も大切なものだということです。たとえば窃盗や詐欺で奪ってしまった金銭は、同額以上の金銭を支払えば償うことができるでしょう。でも、殺人で奪ってしまった命はどうやっても償えません」


――暴行で障害を負わせてしまったり、監禁で何年も社会から引き離してしまったりした場合も、金銭では賠償できないのではないでしょうか?

「確かにそうです。どれだけの額を積んでも、暴行や監禁の被害者の苦痛を完全に埋め合わせることは不可能でしょう。

 でも、殺人の被害者は金を受け取ることさえできないのだから、ほんの少しの埋め合わせすら不可能だということになります。健康や時間も取り返しのつかないものではありますが、命ほどではないんです。それはあなたも自覚してるでしょう?」


――どういうことでしょうか?

「あなたは『なぜ殺人や暴行や監禁をしてはいけないのか?』ではなく、『なぜ殺人をしてはいけないのか?』と質問してきましたよね? そんな風に殺人を特別扱いするような疑問が思い浮かぶこと自体、あなたが命を最も大切なものだと考えている証拠なんじゃないですか?」



○Gさん(六十二歳・未回答・弁護士)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「はい、そう思います」


――なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?

「それは本当にあなたの聞きたい質問ですか?」


――ええ、そうですよ。

「では、逆にお尋ねしますけれど、あなたは人を殺したいんですか?」


――いいえ、そんなことはありません。

「そうですよね。死刑執行にかかわった刑務官には特別な手当が出ます。自分の命が懸かっているはずの兵士が、発砲するのを躊躇うことがあるそうです。たとえ法律による処罰がなかったとしても、殺人という行為自体が大きなストレスになるんですね。これは群れを作って生きてきた人間の本能のようなものでしょう」


――しかし、実際には戦争や殺人事件が起こっていますよね?

「それは領土の拡大や憎悪の発散といった利益が、殺人のストレスを上回ることがあるからです。目的のために、仕方なく殺人という手段を取っているに過ぎないわけですね。やらずに済むのなら、強いてやりたがる人はいないでしょう」


――快楽殺人のように、殺すこと自体が目的になっている例もありますよね?

「そういう人たちだって、自分が殺されるのは嫌でしょう。それなら他の人の殺されたくないという気持ちも理解できるはずです」


――その場合、他人を殺してもストレスを感じないし、自分が殺されるのも構わないという人は、人を殺してもいいと考えるようになるのではありませんか?

「それはそうかもしれません。ですが、そんな怪物のような人間がはたしているでしょうか?」


――殺人犯の中には自傷癖や自殺願望のある人間も少なくないと聞きますが?

「同じように、殺人犯は劣悪な環境で育ったという話もよく聞きますね。生い立ちのせいで情緒や道徳心が歪んだりしないかぎり、他人の命も自分の命もどうでもいいと考えるような人間はいないと私は信じています」



○Hさん(四十八歳・女性・教師)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「別にいいと思いますよ」


――いいんですか?

「『いい』というのは少し違いますね。正確には、『あなたが人を殺したくなっても、それを止めることはできない』と言うべきでしょうか。受け持ってる子供たちにはこんなこと口が裂けても言えませんけど」


――なぜ殺人を止めることができないのでしょうか?

「目の見えない人に色を伝えることはできません。味覚のない人に味を伝えることもできません。同じように、罪悪感や共感能力などを持たない人には、殺人がいけないことだと伝えることはできないんです」


――もう少し具体的に説明していただけますか?

「たとえば、『人を殺すと罪の意識に一生悩まされる』とか、『殺人は大きなストレスになる』とか言いますよね? しかし、そのような言葉は、他人を傷つけることを何とも思わない人には通じないでしょう。

 また、『人を殺すと死刑になってしまう』とか、『あなたが殺されたくないように他の人も殺されたくないと思っている』とかいう言葉も、自分が殺されても何も思わないという人には通じないはずです」


――そんな人間が実在するのでしょうか?

「視覚や味覚と同じで、感情も肉体の機能ですからね。感情が環境のせいで歪んでしまったり、生まれつき欠落してしまっている人間がいる可能性は否定できないでしょう」


――仮にいたとしても、ごく少数の例外ではありませんか?

「それでも、いるかもしれない以上は、考えなくてはいけない問題のはずです」


――そうして考えた結果が、殺人を止めることはできないという結論なのですか?

「恥ずかしながら、おっしゃる通りです。『みんなはそうなんだからやめてほしい』くらいしか、私に言えることはありません。他に何かいい方法があったら教えてください」



○Iさん(二十五歳・男性・フリーター)の場合


――あなたは人を殺してはいけないと思いますか?

「そりゃそうだろ」


――なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?

「家族とか友達が悲しむから」


――悲しむ人がいない人は殺してもいいということですか?

「そういうやつだって、急にいなくなったら会社の人とかが困るだろ」


――働いていない人は殺してもいいということですか?

「んなこと言ってねえだろ」


――では、どうして働いていない人を殺してはいけないのですか?

「買い物とかするだけでも、ケーザイカツドー?とかなんとかで社会の役に立ってんだろ? だからだよ」


――社会を離れて、無人島で自給自足して暮らしているような人は殺してもいいということですか?

「だから、そんなこと言ってねえって」


――では、どうして無人島で暮らしている人を殺してはいけないのですか?

「しつけーなー。ダメなもんなダメなんだよ。あんただってそれくらい分かってんだろ?」


――もう少し具体的に説明していただけますか?

「テメーぶっ殺すぞ」




(了)

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