男装の麗人は憑依し、そして語る

 僕はみやびさんとかざりさんとともにキャンパスの外に出た。

 男装の麗人のみやびさんとメイド服にコートを羽織ったかざりさんと一緒に歩くと女装の僕は目立たない。

 僕はこうしてときどき女の子の格好をしたまま街を歩く。

 トイレに行く時だけが面倒だが、大学近くなら小さな店のトイレなど男女兼用の個室トイレの位置を把握している。

 みやびさんたちと一緒の時は女子トイレに入ったこともある。

「良いじゃん、ミケは女の子なんだからさ」とかざりさんは何の違和感も覚えないようだ。

 そして僕たちはチョコレートを買いに雑貨屋に入った。バレンタインデーが近いから手作りチョココーナーが拡張されていた。そしてそこに群がるようにいる女性たち。

 大学が近いから学生が多かったが、高校生や会社員らしき人もいる。

 こういう時、男はチョコレートを買いづらい。でもディスプレイされた綺麗なチョコたちを見ていると食べたくなってくる。

「おいしそう」かざりさんは今にもよだれをたらしそうだ。

「買ってやろうか」男装の麗人みやびさんがかざりさんに言った。

「ありがとう、ワタル」

 かざりさんが言うとみやびさんが頷いた。

「君にも買ってやるよ、ミケ」

 店に入った瞬間にみやびさんは憑依したらしい。以前演じたワタルという美男子になりきっている。

 みやびさんはときどき憑依型の演技をするがそれを街中でもやるのだ。

 チョコレートや手作りツールを見ていた女性たちが顔を上げワタルを見た。そして目の保養をしている。

 みやびさんの男装は決して男に見紛みまがうものではないが、それがまた女性の気を引く。

 歌劇団のスターを見るような目を向ける女性たちが一気に増えた。

「板チョコ買って帰ろうかな」かざりさんが言う。

「僕のために作ってくれるのかい?」ワタルが言った。

 芝居がかっていても美しく、さまになっているから女性たちはうっとりと見ていた。

「もちろん」とかざりさんは答えた。

「ふつうの板チョコを溶かして型にはめるんですね?」僕は何気なく、独り言のように言った。

「そうだよ。それが良いんじゃない」

 スーパーなどで見かける定番の板チョコがたくさん積まれていた。五枚セットになっているのもある。

「もっといろんな種類のチョコがあるのかと思いました」

「手作り用のチョコは限られている。何でも良いと言うわけではない」

 あれ? 口調が変わったぞ。これはひょっとして。

「とおっしゃると? 博士」かざりさんが訊いた。

 みやびさんに博士が憑依した。この「博士」も以前みやびさんが演じた役だ。

「手作り用として推奨されるのは植物油脂が入っていないシンプルなチョコレートに限られるのだ」

 そこにいた女性たちが聞き耳をたてている。どのような高説が語られるのだろう。

「チョコレートの原料はカカオからとられるカカオマスとココアバターだ。これに砂糖が加わる。さらにミルクチョコレートには粉乳が入っている。しかしそれだけだと味や食感が今一つなので、香料と乳化剤が入っているのだ。油分を馴染ませる乳化剤として使われるのが大豆由来のレシチンだ。チョコレートのアレルギー物質として大豆と書かれているのはそういうことだ」

 なるほど確かにアレルギー物質に大豆と乳の表記がある

「以上六つの材料でチョコレートはできるのだが、日本のチョコレートはそれ以外に植物油脂が使われている。なぜだかわかるかな?」

「安く作れるからですか?」僕は訊いた。何にせよコストを抑えることは大事だ。

「一言で言うとそうだ。カカオからとれるカカオマスとココアバターでチョコレートだけを作っていくとカカオマスの方が余ってココアバターが足りなくなる。余ったカカオマスを棄てるなんていうもったいないことができるはずもない。君ならどうする?」

「何か他のものでココアバターの代替品にならないかと考えますね」

「実は答えは二つある」

「二つ?」

「余ったカカオマスを別の用途に使えないかという考え方だ。一部の菓子メーカーはこれでココアパウダーを作ることにした。ココアにして売るわけだ。別のメーカーは植物油脂でココアバターの代わりにしている。その方がコストがかからないからね。しかしこの植物油脂、胡散臭いと警告する学者もいる。何が使われているか記載されていない。もしそれがトランス脂肪酸なら虚血性心疾患のリスクを高める。最近はトランス脂肪酸フリーのパーム油が使われることが多いが、このパーム油の酸化防止のために用いられるBHAという物質がラットで発がん性が出たという報告もある。そういうこともあり、ベルギーなどヨーロッパの一部の国ではチョコレートに植物油脂は使っていない。そんな国の人が日本の植物油脂が入ったチョコを見て紛い物だと言うのは頷ける。この店は良心的だ。手作り用のチョコとして植物油脂が入っていないのを並べているからな」

 僕たちよりも聞き耳をたてていた女性たちが頷き、みやびさんをうっとりと見ていた。

「僕に作ってくれるかい?」みやびさんはワタルに戻っていた。

 僕は小さいころから女の子の格好をして、お人形を部屋に並べる嗜好を持っているが、男の子が好きなわけではない。かといって女の子とは友だちにしかなれない。

 どうも僕は異性でも同性でも恋愛感情を覚えない人間のようだ。しかしそれでもワタルになっているみやびさんなら恋することができるかもしれないと思うようになっていた。

 そのみやびさんが僕に顔を寄せた。

 僕とみやびさんは身長が百六十五センチでほぼ同じだったから、鼻と鼻がくっつきそうになった。

「挑戦します」僕は顔が赤くなっていた。

「もちろんあたしにも作ってくれるよね?」かざりさんが言った。

「わかりました」と答えるしかない。先輩の言うことは絶対だ。

 なぜか僕だけがチョコを作ることになり、その材料はみやびさんが買ってくれた。

 かざりさんは「今食べる分」とか言って植物油脂がたっぷり入ってそうなチョコレート菓子を買い込んでいた。話を聞いていなかったのかよ。

 僕たちは袋いっぱいのチョコレートと手作りチョコ作成キットを買って店を出た。

 これから忙しくなるぞ。

 なるのかな?

 作るのは誰だ?

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劇団サークルと恵方巻とチョコレート はくすや @hakusuya

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