【KAC20245】物言わぬ命の叙事詩

鐘古こよみ

【KAC20245「はなさないで」】+【三題噺 #55】「誕生」「花粉」「防災」

 ――はなさないで。


 誰かが言葉以外の何かでそう囁いた瞬間、私たちは誕生したのだと思う。


 ――そのひかりを、はなさないで。


 まだ、騒々しい海の中にいた。

 誰とも境のない存在だった私たちは、様々なものが溶け合い一体となった温かなスープの中で、揺らぐ水面の外から降り注ぐ明るい粒を全身に浴び続け、どうしてかその一端を掴み取ることに成功したようだ。


 光を捕まえた私たちは、ほどなく呼吸も覚えた。

 こんな単純で素晴らしい営みを、どうして今までやらずに過ごしてきたのか、今となってはちっとも理解できない。


 吸って、吐く。光を捕まえる。

 私たちが吐き出したものは、海の上に広がり続けた。

 吸って、吐く。光を捕まえる。

 同じことをするものが増えて、海の中は手狭になってきた。


 恐る恐る、海の上に出た。

 故郷を思わせる湿った場所で安息を得るものもいれば、もっと先へ進みたいという、勇敢なものたちもいる。


 私たちは残るものと残らないものに分かれて、乾いた場所でどう生きてゆけば良いのか、模索を続けた。

 生きる。

 これは、生きるということだ。


 吸って、吐く。光を捕まえる。

 目覚めた瞬間から続く、私たちの営み。

 吸って、吐く。光を捕まえる。

 からだが硬く、大きくなってきた。


 海と違ってどこにでも必要なものが揃っているわけではない。

 必要な物を探し、掴み、工夫して使わなければならない。

 

 根。生えよ生えよ。昏き場所をどこまでも巡り探ってゆけ。

 茎。伸びよ伸びよ。おまえに降り注ぐ温かな光を求めて。

 葉。広がれ広がれ。微睡みの時を超えた私たちを寿ぐのだ。


 大きく広がり森を生み出した私たちの中を、異なる歩みを進めてきた別の命が跋扈する。長い翅に大きな眼を持ち飛び交う異形なるもの。四つ足で私たちの根元や茎を這いまわり、開閉する大きな穴で違う命を捕食する奇怪なるもの。


 私たちは命の素となる小さな粒を放出して、繁栄を喜んだ。

 喜び過ぎたのかもしれない。

 いい時というのは、長く続かないものだ。


 ほどなく私たちは死滅した。一部のものだけがなんとか生き残った。

 特に、命の素を硬い外皮に包んで眠らせることを覚えたものたちは、次の目覚めの後に次々と数を増やした。


 四つ足の奇怪なるものたちも、生き残った一部がその数を増し、かつての私たちのように、体を硬く大きくしていった。私たちを食べることを覚えたものもいた。

 私たちは逃げる。より大きく高く。

 奇怪なるものは追う。より大きく高く。

 その奇怪なるものを食べる別の奇怪なるものが現われ、追い追われの狂騒が始まった。私たちは倒され踏みつぶされ、食べ尽くされてゆく。


 これではいけない。

 そう、私たちの中の誰かが思ったのかもしれない。

 最初の一歩を踏み出す勇気あるものは、どこからともなく現れる。

 ある時私たちは、新たな目覚めを迎えた。


 花。開け開け。芳しきその香で世界の全てを誘いながら。


 虫が、鳥が、獣が、そして毛のない二つ足の生き物までもが、私たちを求めた。

 求めるものには与えた。そうすることで、新たな場所でまた花開くのだ。


 かつて地上に君臨していた、あの巨大化した奇怪なるものたちは、いつの間にか死に絶えていた。その昔、私たちの大半が辿った運命をなぞるように。


 海から陸に上がったばかりの、希望に満ち溢れていたあの頃。

 あの大繁栄は虚しい幻だったのか。


 そうではなかった。

 毛のない二つ足の生き物たちは、やがて土中から大昔の私たちの死骸を掘り起こし、そこから光の粒に似た力を次々と取り出してみせた。

 命なき動くものが大量に作られるようになり、黒い煙を吐きながら、瞬く間に地上を占拠した。

 空から降り注ぐあの温かな光の粒が、遮られてしまうほどに。


 吸って、吐く。光を捕まえる。

 私たちは変わらぬ生命の営みを続けた。

 吸って、吐く。光を捕まえる。

 形を変え、手段を変え、時には生きる場所を変えさえする。

 それでも、決して手放さないものがある。


 私たちの死骸を大分掘り起こした後になって、毛のない二つ足の生き物たちは、滞りがちになった光の粒がいかに温かく大切であるかを、思い出したようだ。


 形を変え、手段を変え、時には生きる場所を変えさえして、新たな工夫を始めた。かつて私たちが歩み続けた道筋を、恐る恐るなぞるように。


 まだほんの短い、新たな取り組みに過ぎない。

 私たちはその様相を眺めながら、粛々と私たちの道をゆく。

 最近では二つ足の生き物によって、その道を変えられることも増えた。


「くしゅん」


 草地を歩く二つ足の娘がくしゃみをし、その父親らしき男が私を見上げた。

 私は今、ヒノキと呼ばれている。

 

「ありゃ、花粉症かなあ」

「えー、とうとうなっちゃった? 嫌だあ」


 花粉なんてなくなればいいのに、と娘が零す。

 昔ながらのやり方で命の材料を風に乗せながら、私は少し寂しくなる。


「最近は、花粉が少ない杉やヒノキの開発も進んでいるんだよ」

「でも、たくさん生えてたら意味なくない?」


「たくさん生えているのは、木材として使おうと思って、人間がわざと植えたからなんだよ。計画が狂って、結局使わず放っておかれているから、花粉ばかりが異様に飛ぶようになってしまった。まあ大きな目で見れば、自業自得さ」

「それって昔の人の責任でしょ? あたしには関係ないじゃん」


 まあねと笑って、父親は娘をなだめるように続ける。


「今は花粉に苦しめられているかもしれないが、花粉に命を救われることも、将来的にはあるかもしれない」

「またパパったら、大げさなこと言って……」


「本当だよ。実は花粉は、防災に役立つんだ。放射性炭素年代測定法ってあるだろ」

「は?」


「土の中に埋まった葉っぱの化石なんかを調べて、それが埋まっていた地層の年代を調べる方法さ。ただ、調べたい地層から必ずそういう、調べやすい試料が出てくるとは限らなくって、不確定な要素が大きかった。そこに登場したのが花粉」


「パパ、あたし興味ないけど?」


「花粉はほとんどの堆積物に含まれ、しかも頑丈で壊れにくい。前々から注目されてはいたが、微量しか採れず不純物を取り除くのが難しいという技術的なハードルの高さがあった。ところがセルソーターという機器を活用することにより、静電気を使って目的の物質だけを取り出すことが可能になり……」


「ちょっと難しい話やめて。それが防災とどう関係あんのよ」


「つまり活断層中に含まれる花粉を調べることにより、その地層がいつ形成されどのような気候変動を経てきたのか今後の断層活動を予測する手がかりとなり、ひいては地震や火山噴火の災害を事前予測し未然に防ぐための手段として……」


「駄目だこれ早口になってきた」


 通り過ぎる親子を見送りながら、私は悠久の道のりに思いを馳せる。


 志半ばで倒れ、汚泥の中に埋もれた、惨めな私たちの死骸。

 それが人間の手によって見いだされ、新たな道を歩んだように、今は嫌われている命の材料も、再び見いだされる時が来るのかもしれない。


 吸って、吐く。光を捕まえる。


 ――もうはなしていいよ。


 誰かがそう囁く瞬間まで、私たちはきっと、その営みを続けるのだろう。

 ほんの僅かな儚い時を、毛のない二つ足の生き物と共にして。


<了>

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