第4話 作ってよ。
「なぁ、これってどういうこと」
あの後、ゼミ棟でチョコを渡したまでは良かった。
白南風さんは、私からの『とにかくすっごいチョコ』にそれはそれは感激してくれて、「マジでマチコさんからのチョコをあてにして甘いものを徹底的に断ってた」と一つ一つ噛みしめるようにして食べていた。それだけ我慢したのだから、もっとがっつくものかと思っていたけど、「一気に食べたらもったいない」などと言って、それはそれは大切にゆっくり食べたのだった。その姿がちょっと可愛らしくて、懐は正直ちょっと寒くなったけど奮発して良かった、なんて思ったものである。
それで、白南風さんはまだこの後も作業が残っているということで、邪魔にならないようにと早々にそこを出た。せっかくのバレンタインだし夕飯を一緒に、ということで、ちょっとだけ豪華な夕食を作って彼の帰宅を待ち、『いまからそっち行く』のメッセージを見てスープを温め直して。
それで。
部屋に入るや否や、壁に追い詰められている、というわけだ。
こ、これがいわゆる壁ドン……!
なんて思っている場合ではない。
「あの、何のことでしょうか」
「これ」
これ、と言われても、現在私の視界のすべては彼のご尊顔である。道行く女性ならほぼ百%振り返るであろう、整いまくった顔面である。ここ数日は人懐こい大型犬のような可愛らしさがあったその顔が、いまはキリっと凛々しく……というか、何ならちょっと怒ってる? ような。いや、ちょっとどころじゃない気がする。
「これ、と言われても」
やっとそう返すと、クシャ、とセロハンを握りつぶす音が聞こえた。恐る恐るその方を見れば、彼の手の中には、ガトーショコラのラッピングで使ったセロハンがあった。
「あぁ、それは私が作っ」
「義孝さんに作ったんじゃないの?」
「え、あ、そうです。あの、義孝と、それから父にも。――あっ、あの、たくさん出来たので、せっかくだからって職場にも」
「岩井も」
「え」
「岩井も食ってた」
「あぁ、それは」
「俺はもらってない」
「あの、それは」
「何で」
「いや、あの」
「俺だってマチコさんからの手作りが欲しかった」
「えっ?!」
「えっ、って何。駄目? 欲しがったら」
「駄目ってことはないですけど。でも」
「でも、何。岩井にはやったのに、俺には何でくれないわけ?」
「あの、違うんです」
「何が」
「と、とりあえずちょっと離れていただいても?」
「何で」
「ち、近いので」
「俺ら婚約中なのに?」
「は、恥ずかしいので。あと、なんかちょっと怖いというか」
私の心臓、いまにも破裂するんじゃないかな? ってくらいにバクバク言ってるからね?!
すると白南風さんは、ちょっと気まずそうに「ごめん」と呟いて、私から離れた。それにちょっとほっとして、ズルズルとその場にへたり込む。
「うわ、マチコさん! ごめん!」
私の腰が抜けたのを心配した彼が、慌ててしゃがみ込み、手を取った。
「ごめん、ほんと、その、怒ってるとかじゃなくて。いや、ごめん、正直言うとちょっと怒ってはいるんだけど。でも、その、こんなビビらすつもりじゃなかったというか!」
「いえ、あの、大丈夫です。私がちょっとビビりすぎなだけと言いますか。あの、それよりも聞いてくださいます?」
「その体勢で大丈夫? 椅子座るか? 運ぶ?」
「大丈夫です、あの、このままで」
人間、自分より焦っている人を見ると冷静になれるものだ。さっきまでは確実に私の方が焦っていたはずなのに、すっかり立場が逆転してしまっている。
「あのですね。実は最初は、しら、恭太さんに作ろうと思ってたんです」
「えっ」
「なんですけど、あの、覚えてますか。あの、学食で学生さん達が手作りの話をしてたの」
「あー、うん。長谷川と前田な」
「名前までは覚えてませんけど、そうです。それで、その時、しら、恭太さんが『手作りは勘弁して』みたいなことを言ってて」
「ちょいちょい白南風って言いかけてるの地味にウケんだけど。いや、それは置いといて。えっ、言ったっけ、そんなこと」
「言ってましたよ。笹川さんが、そういう、ヤバいものが混ざってるやつもらってるんじゃない? って聞いて、それで、そうだ、って」
「あ――……、まぁ、言った、かも? えっ、それじゃ何、それでマチコさん、手作りを止めたってこと?!」
「そうです。だって、嫌なこと思い出すんじゃないかって思って」
初めてのバレンタインは、そんな思い出にしたくなかった。幸せな日にしたかった。幸せな――、は大袈裟かもしれないけど、それでも、嬉しい日にしたかった。
そう零すと、白南風さんは、私の手を引き寄せた。それを自身の額にコツ、と当てて、はぁ、と息を吐く。
「本命からのは違うから」
ぽそり、とそう言った。
「マチコさんが変なもの混ぜるなんて思ってないし。これまでの嫌な思い出とか全部吹き飛ぶに決まってんじゃん」
「そ――、そう、ですか?」
「なぁ、もうチョコはもらったけど、やっぱり手作りも欲しいって言ったら、ねだりすぎ?」
「そんなことは」
「俺だって、本命からの手作りが欲しい」
作ってよ、マチコさん。
顔を上げた白南風さんは、やっぱり人懐こい大型犬のようだ。ちょっと泣きそうに眉を下げている。いつもきちんとセットされている髪をそっと撫でると、思ったよりもパリッと硬い。男の人の髪って皆硬いんだろうか。なんて余計なことをつい考えてしまう。
「あの、もし今日、遅くなっても良いなら」
「うん?」
「出来立てを、もし良ければ」
「今日作ってくれるの?」
「し――、恭太さんが良ければ。あの、帰る時間遅くなるかも、ですけど」
「大丈夫」
「も、もし、アレなら、その、泊まっていっていただいても、というか」
勇気を出してその提案をしてみると、嬉しそうに細められていた目が、カッと開いた。
「え。いま、え? 泊まっ、えっ?」
「や、焼き上がるまでにそれなりに時間が、その! あの、よ、夜道はあの、危ない、ですし?!」
「あ、うん。まぁそうなんだけど。あの、え――……っと、いや、うん、どうだろ。さすがにちょっと耐えられるかどうか」
しどろもどろに視線を泳がせて、ああ、だの、うう、だのと意味のない言葉を繰り返す。恐らくは、戦っているのだろう。その、『理性』とやらと。驚くべきことに、彼は私に対して、そういう気持ちを持ち合わせているのである。私だって、応えたい気持ちは、ある。
「た」
依然として左右に泳ぎまくっている視線を固定すべく、気持ち強めの声で、注意を引く。
「耐えなくても、今日は」
今日、は? と私の目をしっかりと捉えた彼の顔が赤くなる。たぶんこちらも負けずに赤くなっているはずだ。
「……マチコさん、俺今日死ぬかも」
「……奇遇ですね、私もです」
「でも俺、死ぬ前にマチコさんの手作りのやつ食べたい」
「そうですね、私も死んでも死に切れません」
そんな軽口を叩いて笑い合ってから、よいしょ、と互いに気合を入れて立ち上がる。私も彼もアラサーだ。立ち上がるのには多少の気合が必要なのだ。特に、いまのような状態だと。
「まずはご飯食べませんか」
「だな。さすがに腹減ったわ」
その言葉が引き金になったか、そろってお腹の音が鳴った。その間抜けな音に、顔を合わせて笑う。
たぶん人生で一番幸せなバレンタインになったと思う。
サワダマチコのバレンタイン 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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