第3話 手作りは別の人に

 あっという間にバレンタイン当日である。

 成り行きで作ることになってしまった義孝宛の手作りガトーショコラは、昨日、実家に届けて来た。弟の分だけ手作りというのも何なので、父親へもそれにした。蓮君にはミニカーの形をしたチョコレートを買った。子どもは手作りよりもこっちの方が喜ぶだろうと思って。


 それで、予想外にたくさん出来てしまったガトーショコラを残ったラッピング材料で包み、職場の人達に配るつもりで持って来たのである。それでも少し余るので、それはまぁ、ご家族の分ということで持って行ってもらえたら助かるなぁ、なんて考えたりして。


「アラッ、これ、マチコちゃんが?」

「そうです、あの、もし良ければですけど」

「もらうもらう! え~、すごいじゃない。さすがねぇ!」

「いやーん、ちょっともー、ラッピングまでしてくれちゃって~」

「手作りなんてもう何年、何十年もしてないわねぇ」

「あら、安原さんにもそんな時代があったの?」

「新婚時代は頑張ったわよぉ、あたしだって」

「だったらもう二十年は昔じゃない!」

「やぁね、二十五年よぉ!」


 ピークタイムを終えた午後三時。本日早番の私はもう上がりだ。それで、カードを切り、身仕度を整えて、持参した紙袋の中からガトーショコラを取り出すと、厨房内はワッと色めきだした。あたしも一応持って来たのよ、なんて言ってチョコクッキーやウエハースチョコの徳用袋を取り出す人もいる。一時で上がってしまった早番パートの『山山コンビ(山田&山岡)』には、出勤時に既にこっそり手渡し済みだ。


「え~、ちょっと上手だわぁ、マチコちゃん」

「あらっ。美味しっ」

「ほんと、さすがだわぁ」

「は~、ご馳走様ぁ」

「これは白南風君も嬉しいんじゃない?」


 ねぇ、と振られ、私は首を振った。


「白南風さんには作ってません」


 そう言うと、五人は「えぇっ」と声をそろえる。


「何で?! これ、白南風君のやつの残りじゃないの?」

「あたしもそう思ってたんだけど?!」

「あたしもよ!」

「えっ、じゃあ何? わざわざあたしらのために作ったってこと?」

「何?! もう倦怠期?!」

「いえ、違うんです」


 ちょっと色々あって、と濁していると、背後から「お嬢さん達」という声が聞こえて来た。カウンターに背を向け、中央の調理台に集まっていた私達は、その声で一斉にそちらを向く。


「悪いけど、うどんもらえるかな?」


 指に挟んだ食券を振りながら、にこにこと笑ってそう言って来たのは、笠原教授だ。その後ろには、岩井さんもいる。


「俺もうどんで」

「僕に合わせなくたって良いんだよ岩井君」

「いえ、お供させていただきます」

「そうかい? じゃせめて海老天くらい乗せたまえ。僕が奢るから」

「そんな」

「若い人はね、たくさん食べなくちゃ」

「若いと言ってももう三十五ですけどね」

「ははは。僕に比べたらまだ子どもだ。よろしいかな、お嬢さん達」

「はいよ!」


 安原さんの返事で、厨房は再び『仕事モード』だ。といってももちろん、ずっと仕事モードではあるんだけど。三時上がりの橋本さんと私が抜け、厨房に残っているのは本日の遅番組である安原さんと小林さん、それから真壁さんと笹川さんだ。


「教授〜、岩井さんも、チョコもらいました〜?」


 うどんが茹で上がるのを待ちながら、安原さんが二人に話しかけている。教授は、細い目をさらに細くして、はっはと笑った。


「僕はね、この業界じゃあ愛妻家で通ってるんだよ。だから、生徒からのは毎年断ってるの。この年になると夫婦喧嘩なんてしてられないからね」

「まぁ、何年経ってもお熱いことで」


 そんなやりとりを横目で見ながらフロアに出る。笠原教授の愛妻家ぶりは学内でも評判だ。毎日愛妻弁当を持参していて、滅多にここには来ない。けれど稀に奥様が、隣県に嫁いだ妹さんに会いに行くことがあり、そういう時のみ、ここでうどんを注文するのだ。


「教授、岩井さん、お先に失礼致します」


 そう言って頭を下げ、脇をすり抜けようとすると。


「あぁ沢田さん」


 と呼び止められた。視線が、ちらりと私の持っている紙袋をかすめる。


 笠原教授は私達が婚約したことを知っている。冬季休業が明けてすぐ、二人そろって挨拶をしに行ったのだ。

 教授はやっぱり目を細めてにこにこと笑い、「沢田さんなら安心して任せられるよ。独身の研究者は栄養が偏りがちになるからね。僕がこの年でも元気なのは妻の手料理のお陰といっても過言じゃないんだ。どうかウチのホープを支えてやって」とのお言葉をいただいた。


「あの白南風君がね、珍しく朝からずっと甘いものを断っているんだよ」

「えっ」

「ほらあの子、甘いもの好きでしょう? 頭も使うから糖分はある程度必要なんだけどねぇ。コーヒーの砂糖すら控えてて」

「えぇっ」


 あの白南風さんがコーヒーを砂糖なしで飲むなんて相当だ。でもいきなり甘いものが苦手になるとかある?! あっ、もしかしてあまりにも甘いものを食べ過ぎて一生分の糖分を摂取しちゃったとか?!


 じゃあもうこのチョコ、いらないのでは?!


 そう考えて、サァっと血の気が引く。

 震えそうになる膝にグッと力を入れて、持っている紙袋に視線を落とした。なんかもうとにかく一番大きくて高いやつをと、それだけを考えて選んだものだ。


「そんな顔しないの。そうじゃなくてね。さすがにたぶんいまごろエネルギーが切れちゃってると思うから、もし何か甘いものでも持っていたら差し入れしてあげてほしいなって思って。いま一人でデータ入力してるからさ」

「あ、ああ、成る程、そういう……」

 

 ここでやっと教授の意図を理解した。

 いまゼミ室に一人でいるから、渡すならいまだよと、そうおっしゃっているのだ。


 が。


「えぇ? いけませんよ、教授。マチコさんの顔見たら、気が緩んでミスりますって絶対」

「そう? 良い息抜きになると思うけどなぁ」

「いーや! 息抜きなんて、百年早いですよ、アイツには!」

「えぇ~? 岩井君って若いのに考え方が古くない? いまはね、そういうの流行らないんだよ。僕だって疲れた時には妻の写真見て癒されてるし」


 ほら、とジャケットの胸ポケットから、革製のカードケースを取り出して見せる。


「アラッ?! ちょっとぉ、教授ったらそんなことしてるのぉ?!」

「お熱いわぁー!」

「ウチの旦那にも持たせようかしら!」

「あたしもあたしも! 魔除けくらいにはなるわよね!」


 突然の惚気に厨房は大盛り上がりである。それに照れたように笑う笠原教授が、私と視線を合わせて「未来ある若者に潰れてほしくないからさ。もし持ってたら、お願い出来るかな?」とゼミ棟の方を指差す。


「わ、わかりました」


 そう言ってその場を去ろうとしたところで、今度は「ねぇマチコさん」と岩井さんに止められた。


「ちなみになんだけど、俺にはないの?」

「え」

「俺もいままでずーっと頭使ってたから、糖分が足りてないんだよなぁ。義理でも良いんだけど、何かあったりしない?」

「え、と」


 ずい、と近付かれる。


「いや、実はさ、さっき厨房で皆さんが何か美味しそうなもの召し上がってらっしゃるの、見えちゃって」

「あ、あぁ……はい」

「おこぼれでも、残ってたらな、って思ってたんだけど」

「あります、けど。良いんですか? その、手作りです、けど?」

「何か問題でも?」

「いえ、その、手作りにあまり良いイメージがない方もおられるので」

「俺は全然。むしろ嬉しいけど?」


 その言葉と共に、手を差し出される。


「そう、ですか。では、その、どうぞ」


 とにかくこの場を早く立ち去りたくて、紙袋の中に残っていたものを引っ掴んでその上に乗せた。そうしてから、失礼します、と断って、私はゼミ棟へと急いだ。

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