第2話 手作りはしません!

「なぁ、マチコさん」

「何でしょうか」

「何でそんな顔してんの?」

「そんな顔って何ですか?」

「眉間にしわがすっごい」

「え、そうですか?」


 その日の帰りである。

 あれから私達は、私が遅番勤務の日、一緒に帰ることになっている。同棲の話は持ち上がっているけれど、私のアパートの契約更新がまだ先なのでいまは物件をちらちらとチェックしている段階だ。それで、とりあえず私の部屋で一緒にご飯を食べて、それでしばらく過ごしたら、彼は自分のアパートに帰る。そういう流れが出来上がっている。


 まだ、はしていない。

 

 いや、別に婚前交渉NGとか、そういうことではない。ただ単に、こちらの心の準備の問題というか。申し訳ないことをしているのはわかっている。わかっているんだけれども、怖いものは怖い。下手に年を取り過ぎた。いや、無駄に取っておき過ぎた、と言い換えても良いかもしれない。


 だから、今日こそは、今日こそは、と私は毎回思っている。けれども、その度に白南風さんは「焦らずでいいじゃん」と笑い飛ばしてくれるのだ。それをありがたく思うと同時に、やっぱり情けなくも思ったりして。


 が、いまはそれどころではない。

 いや、それも近々にどうにかせねばならない課題ではあるのだけれども。この、『眉間にしわがすっごい』状態には、別の理由がある。


 手作り、アウトだったか――!


 これである。

 実は、恋人(というか婚約者)が出来て初めてのバレンタインだからと、張り切って手作りなんてどうだろうか、なんて思っていたのだ。幸い、お菓子作りは得意な方だし。小さい頃はよく弟の義孝よしたかに作ったものだ。それなりに美味しいものを作れる自信はある。


 だけど。

 よく考えて、沢田真知子!

 白南風さんは尋常じゃないモテ方をして来た人なのよ?!

 何かを拾ったりとかそれくらいの交流で合鍵を作られたりしてきた彼だよ?

 バレンタインなんて絶対に手作りもらってるに決まってるし、その中に物理的な何かしらを込められてるにも決まってるじゃない!


 それなのに私ったら、浮かれて手作りなんて考えて馬鹿みたい!

 馬鹿! 私の馬鹿! ただの自己満足じゃない、手作りチョコなんて!


「なぁ、あのさぁ」

「何でしょう」

「こんなこと俺から言うのも変な話なんだけどさ」

「何ですか?」

「バレンタイン、なんだけど」

「ヒッ……」


 ヤバい、心を読まれた?!

 普通そういうのって男性から切り出す?!


「そんな驚かなくても」

「い、いえ、すみませんでした。あの、何か注意事項とかあったりします? あっ、もしかしてそもそもチョコがお好きじゃないとか……?」

「いや? 俺、甘いもの大好き。知ってんじゃん」

「あ、そ、そうでしたね」


 そういや彼はコーヒーに山盛り数杯の砂糖を入れるほどの甘党だった。


「え、と。それじゃ何ですか? 洋酒入りは駄目とか、ナッツ系のアレルギーとか」

「いや、そうじゃなくて」

「では、何ですか?」

「いや、あの――……、マチコさん、俺にくれる?」

「へっ?! そ、そのつもりでしたけど。もしかして、ご迷惑、でしたか?」

「違っ! そうじゃなくて! その、もらえんのかな、って思っただけ」

「あ、な、成る程……。あの、ご安心ください。あの、ちゃんと考えてます。その、ええ、あの、ちゃんと構想はあります、から」


 ええ、大丈夫です。

 一度は手作りに傾きましたが、大丈夫です。

 次のお休みにでも四越よつこしデパートにでも行ってきますから。私、毎年、相手はいなくてもあの特設会場には行ってたから!


「構想、って」


 何やらほっとしたような顔で楽しそうに白南風さんが笑う。


「あの、ちなみになんだけど」

「はい」

「それってリクエストとか可能?」

「リクエストですか?」


 好きなチョコメーカーとかあるのかな?

 まぁ相当な甘党だし、考えられる。

 ちなみに私は、『まりちよこれヰと』が一番好きだ。和の要素を取り入れた日本の老舗チョコメーカーである。


 それ以外だと何があるだろう。GO-DIVAゴー・ディーバかな? それとも、ホテルオークボとか? もしかしたら近くにあるショコラティエかもしれない。


「えっと、手作りとか――」

「大丈夫、作りません!」


 被せるように、そう言った。

 そうか、リクエストというのは、「手作りはやめて欲しい」ってことだったのね。大丈夫大丈夫。一瞬血迷って、ガトーショコラかブラウニーか、それこそフォンダンショコラでも、なんて考えてたけど、絶対に作りません! ご安心を! 材料はもう買っちゃったけど、久しぶりに義孝に作ろうかな。うん、そうしよう。毎年既製品のチョコにしてたけど、今年は手作りにしよう。材料もったいないし。たくさん出来ちゃったら職場にも持っていけば良いし。


「え、そ、そうなん……?」

「大丈夫です! しら――、じゃなかった、恭太さんには、ちゃんとしたものを贈りますから、安心してくださいね」

「そ、そうか……」


 心なしか元気がなくなった気がして、「どうしました?」と見上げると、やっぱり力なく「何でもない」の言葉が返って来る。


 それでも部屋について二人で夕飯を囲む頃には、彼の機嫌も回復したようである。


「はぁ……、やっぱりマチコさんの料理はしみるわぁ……」

「そうですか? そこまで感動するような味ではないと思いますけど」

「いやもうマジでマジで。俺だって作るけどさ、到底及ばねぇもん」

「あ、ありがとうございます」


 ご飯お代わりして良い? と尋ねられる。見ればお茶碗はもう空になっていた。全く私はどこまで気が利かないのだろう。慌てて「私が」腰を浮かせるが、「それくらい自分で出来るし」と笑われてしまった。最初の食事の時だって、彼は料理の取り分けを私にさせようとはしなかったのに、どうしても『女性が給仕するもの』というイメージがこびりついている。ウチの家がそうだったから。昔はそういう時代だったのだ。母は特にそれを不満に思う様子もなく、甲斐甲斐しく父に尽くしていた。それが当たり前のように。


 ご飯のお代わりをよそいに行った白南風さんが「あ」と短い言葉を吐いて、足を止めた。視線の先にあるのは、レジ袋の中にまとめた、チョコの材料だ。ちゃんと口を縛っておいたのだが、半透明なので透けて中身が見えてしまっている。


「これって……」

「違っ! 違うんです、それは」


 小走りでそれを回収し、サッと後ろに隠す。白南風さんは、じとり、と目を細めた。


「明らかに手作りの材料じゃね?」

「え、っと、まぁ、そうなんですけど。これは違くて、その。白南風さんの分ではなくて」

「じゃあ、俺以外の誰に作るわけ?」


 明らかに怒気を孕ませた声に、びくり、と身体が震える。


「あ、あの、その、義孝に」

「義孝さん?」

「そ、そう、そうです! これは義孝の分で! 決して白南風さんの分ではないです!」


 大丈夫。

 大丈夫です。

 白南風さんのトラウマを呼び起こすような真似は致しません!

 もちろんおかしなものを混入するつもりは毛頭ないし、ちゃんとしたものを作る自信はあるけど、だからといって、安心出来ないだろう。嫌なイメージを持っているに決まっている。


「……そうか」


 手作り、という言葉でそれを思い出したのか、やっぱり白南風さんの表情に翳りがある。


 油断していた。

 どうしてあんなところに置きっぱなしにしていたのだろう。


「あの、ごめんなさい」

「何が」

「私ほんと、気が利かなくて」

「何の話?」

「あの、ちゃんと挽回しますから!」

「は?」

「ちゃんと挽回します! あの、すごいの、用意しますから! こんな手作りなんかより、ずっとずっとすごいの用意します!」

「は、はぁ……?」

「ですから、白南風さんは、もう何も心配しないで、あの、当日をお楽しみに!」


 無理やりそう話を畳んで、その日は終わった。


 もちろん、そんな『ずっとずっとすごいの』の当てなんてない。ただ、とりあえず、大きくて、豪華で、なんかすごいのを用意しよう。それだけを考えていた。

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