サワダマチコのバレンタイン

宇部 松清

第1話 手作りはナシ!?

「いや、手作りはナシでしょ」


 そんな言葉が飛び込んで来たのは、二月の頭のことだった。ピークタイムの過ぎた、午後二時二十分。遅めの昼食に来たらしい男子学生二名の会話である。


「え、長谷川サンそっち派っすか? 良くないすか? 手作り」

「お前甘いって。何入ってるかわかったもんじゃねぇんだぞ」

「んーまぁ、そうかもしれねぇっすけど。え、経験あんすか?」


 聞くともなしに聞こえてしまう会話に、私も含め、厨房のおばちゃん達もそれとなく彼らに注目してしまう。二人のB定を用意しつつも、出来るだけ音を立てないようにしたりして。


「あるんだよな、これが。いや、それがさ、フツーに可愛い子だったから油断したっつーか」

「うえ、マジすか。何入ってたんすか?」


 異物混入だ。何が入っているのだろう。

 フォーチュンクッキーとか、ガレット・デ・ロワもある意味異物が入ったお菓子ではあるけれど、どう考えてもその手の類ではないだろう。


 何となくだけど、ごく、と厨房にいる全員が唾を飲む音が聞こえた気がした。出来上がったB定がカウンターに運ばれ、それを、安原さんがいつもより控えめの声で「はいよ、B定」と出す。


「どうもっす」


 B定を受け取った彼がサラダにドレッシングをかける。後輩らしき学生にもそれを手渡し、彼がそれを使い終えるのを待って、再び定位置に戻す。そうしてから「それがさぁ」と彼は再びその『何かしらが混入されたらしいブツ』についての続きを語り始めた。


「何つったかな? 名前はわかんないんだけどさ、あの、中にドロッとしたチョコが入ってるやつだったんだけど。えっとほら、食べる前に軽くレンチンしてね、っつって」

「あー、はいはい。なんとかショコラとかそんなやつっすよね」

「そうそう、そういうやつ」


 ええと、フォンダンショコラですね。

 なんだかもう嫌な予感しかしない。


「んでさ、まぁ、チンしたわけよ」

「は、はい」


 その話を聞く後輩らしき彼の顔が引きつっている。とろりとしたチョコクリームの中に、一体何が混ぜられていたのか。


「そしたらさ」


 既に厨房は無音だ。

 ちら、と焼き場を見ると、真壁さんと笹川さんが神妙な顔をして同時にこくりと頷いた。何に対する首肯なのかはわからない。だけど、何となく私もそれに頷いて返す。


 何だ。

 何が入っていた。


 調理台の上を拭きながら続きを待つ。


 と。


「マーチコさーんっ!」


 ぐったりと疲れた顔で飛び込んで来たのは白南風しらはえさんである。一応、その、私の婚約者である。いや、『一応』、なんて失礼なことを考えてはいけないんだけど。それでもまだ信じられないのだ。


「A定お願いします! あとマチコさんの笑顔ちょうだい!」


 ずおっ、と食券を差し出して、厨房を覗き込むように顔を突っ込んでくる。やめてください、不衛生です。


「ちょっともー白南風君。どうしたのよぉ。マチコちゃんの笑顔がいつもいつも無料で提供されると思ったら大間違いよ?」


 やれやれと間に入ってくれたのは小林さんである。それに、良いじゃないすか、と口を尖らせているが、突然背後から現れた院生に、まだ若い学生は驚いた顔をしている。いまさらその存在に気付いたのか、さっきまで緩んでた顔をキュッと引き締めて、彼らの方を見た。


「長谷川と前田じゃん。お前らとっとと食えよ。調査のまとめ、残ってるんだろ」

「うあ、あ、はい」

「早くしねぇと教授見てくんねぇぞ。あの人いまめっちゃ忙しいから」

「え、マジすか」

岩井准教もピリピリしてるからな。下手なモン見せたら問答無用で再提出になるぞ」

「えぇ……」

「だから、さっさと食って戻れ。教授に出す前に俺が見てやるから」

「マジすか!」

「いいんすか!」

「いーよ。ほら、さっさと」

「あざす!」

「あざーす!」


 学生達が、トレイを置いて、びしり、と深く頭を下げる。それに、「ほら、早く行け」と追い払うように手を振った。


「……驚いた。何、白南風君って、学生と交流とかするのねぇ」


 安原さんがそう言って、小林さんに「ねぇ?」と振る。


「あたしもしばらくぶりに見たかも。え、でも珍しくない? あたしらとか教授以外としゃべるの」

「いやいや、ここではそうってだけで、フツーにしゃべるっすよ」


 私も驚いた。

 言われてみれば、私は彼が誰かと――それは私達とか、准教授の岩井さんを除いて、という話になるけど――関わっているところを見たことなんて、ああ、まぁ、サチカさんとか、そういうのはあるけど。でも、それくらいだ。何せ以前、あまりにモテすぎるがあまり、異性はもちろん、同性とのかかわりをすべて断ったと聞いているのだ。


「ほら、俺も助手になるっすから。そういうのもやっとかないとっていうか」


 白南風さんのA定が仕上がり、トレイをカウンターに運ぶ。


「A定上がります」


 と言いながらそれをカウンターに置くと、「笑顔は?」と困ったように眉を下げられた。その表情はさながら撫でられ待ちの大型犬だ。


「そ――、そういうのは、その、ここでは、ちょっと」

「えぇ~。俺の午後からの頑張りはマチコさんの笑顔にかかってるんだけどなぁ~」


 さっきの学生達とのやりとりとはまるで別人だ。いや、たかだか私の笑顔ですよ? そんな効力はありません。絶対に。


「え、えと、あの。マスクも外せませんし」

「わかってるよ。マスク越しでも良いから」

「そんな急に笑えません」

「ちぇー」


 白南風さんは、たまにこうやって私のことを揶揄って困らせてくるのである。『婚約者』という肩書が付与されると、彼の態度はこれまでよりもずっと甘くなった。とはいえ、強気な『俺様』部分は変わっていないけど。


「ハイハイ、こぉんなところでイチャついてないの」

「そういうのはお家でやってくださーい」

「ま、あたしらとしてはまだまだ見ていたいけど?」

「わかるー! なんかここだけドラマ見てるみたいだったもの!」

「ちょっともー、昼間っから潤っちゃうわよねぇ」

「でもちょっと良いところで割り込んでくれちゃったわよねぇ」

「そうそう、気になるところだったのにねぇ!」

「結局何が入ってたのかしらね!」


 と山山コンビ(山岡&山田)が残念そうな声を上げると、いやいやいや、と白南風さんはサラダにドレッシングをかけながら薄く笑って首を振った。


「むしろそこは俺に感謝してほしいくらいなんすけど」

「えぇ、何がよ」

「ここ、食堂ですよ? その上、空気も読まずにレディの前でとんでもないこと言おうとしたのをスマートに妨害してやったんすけど?」

「とんでもないこと?」

「そ。およそ、飯を食う場では言うべきじゃないやつ」

「知ってんの、白南風君?」

「あれ、長谷川アイツの持ちネタなんすよ」

「持ちネタ?」


 白南風さんの言葉に、厨房中のおばちゃん達がワッと集まって来た。


「確か、高校の時の話だとか言って、話に困ったらこのネタぶっ込んでくるんですよ。一緒にいたのは一年だから知らなかったんだろうけど」

「そうなのねぇ。まぁ何となく想像ついたわ」


 私も何となくわかった気がする。

 唾液とか、たぶんその辺りのやつだ。


 いや、あの、普通にやめましょう?

 呪いの儀式ですか?

 目的がそれならまだわからなくもないけど、でもたぶん違うんだよね? 好きなんだよね? だとしたらやめよう? 不衛生にもほどがあるし、それで彼があなたのことを好きになることは絶対にないから!


「しかし、いまの子ってすごいことするのねぇ」

「でもあたしらの時にもおまじないとか言って、愛用の香水を数滴入れるとかなかった?」

「あったあった! 正直あれはドン引きだったわ」

「他にもいろいろあったわよねぇ、何があったっけ、あと……」

「そういや白南風君はどうなの?」

「え? なんすか?」

「そういうヤバい手作り、結構もらってるんじゃない?」


 と、おばちゃん達が古からある『おまじない』ネタで盛り上がる中、笹川さんがさらりと問い掛けた言葉に、


「山ほどありますよ。シャレになんねぇやつが。マジで手作りは勘弁すね」


 と白南風さんは心底うんざりした顔をした。

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