第26話 肖像画の中の踊り子
毎日毎日が生活に苦しく
それでも夢を諦めたくないと
今夜も夜のアルバイトに出かける。
朝帰りのベッドの中
レッスンまでの時間を確認し
ひとときの眠りにつく。
レッスンが終わり
ワンルームマンションに辿り着けば
予定表を見て今夜はアルバイトが無いと安心し
明日の舞台稽古のためにゆっくり休もうと
安らぎの時間を満喫する。
そんな毎日の中
バレイ教室から帰る商店街
静かな光を持った店が気になる。
中へ入れば幾つものランタンが明かりを投げかけており
仄暗い部屋を暖かく照らしている。
店主と思しき人と目が合い
軽く頭を下げると会釈を返してくる。
多くのランタンの明かりの中
壁に掛けられた少女が描かれた額縁が自分に微笑んでいるように感じた。
周りに対する感覚がなくなり
時を超えたように絵画を見つめていると
後ろから煙の香りがする。
振り返れば店主がパイプを咥えて立っている。
煙草とは違う独特な空気が漂い
噎せ返ると言うよりも何処となく懐かしい意識が蘇る
「良い絵でしょ?」
店主がパイプを唇から離し
にこやかに尋ねる。
「私がフランスに居た時に、一人の日本人から買ったものです」
「フランス、ですか?」
「ええ、仕事でね。日本に帰ってからは、その仕事を辞めて。こうやってオイルランタンを売ってます。棚に置いている雑貨も売っているんですけどね」
「フランス製ですか?」
「ええ、そうです。あなたがご覧になられている肖像画も日本人が描いたフランス製、と言っても良いのかな?」
それ以来、彼女はバレイのレッスンが終わると。必ずフランス雑貨店へ行き、店主と珈琲を飲みながら話をするのが習慣になった。
「そんなに、あの肖像画が好きなのですか?」
「そう言う理由ではありませんが、このお店に合っていて、でも、やっぱり、あの絵、好きです」
「残念ながら売り物ではないのですよね」
「とんでもありません。買おうなんて思っていません。ただ、こうやって珈琲をおよばれしながら、お話をして眺めているだけで良いんです。でも、いつも、お金を払いもせず、申し訳ありません」
「よろしいんですよ。いつでもいらっしゃい」
そう言われて遠慮もなく、彼女は、いつものようにレッスンが終われば立ち寄るようになった。
時には、お菓子やケーキなどを買って持って行く。
それでも生活に窮している彼女は、高いフランス製の雑貨品などは買わなかった、いや、買えなかった。
ある日、いつものように雑貨店に入ると寂しい気持ちになる。
そう、それもそのはず、壁に掛けられていた肖像画が無くなっている。
店主は、いつものように珈琲を淹れたカップを持ってくると、
「気が付かれましたか?」
「ええ、誰かが買って行かれたのですか? 売り物では無いと伺っておりましたが?」
「そうです。売り物ではありません」
そう言うと、店主はまた奥へ戻り、新聞紙で厳重に包まれた箱を抱えて戻って来た。
「これを」
と店主は言う。
「これは?」
「あの肖像画ですよ。売り物ではないと私は言いましたよね。ならば、プレゼントしようと思いましてね」
「ええ!」
「ふふふ、あなたも気付いていたと思いますが。この絵の中の少女、あなたに似ている。ここでこうやって会えたのも偶然だとは思えないのですよ」
店主は、パイプに火を入れながら微笑む。
そして、そのままの微笑みで語り出す。
「私はフランスから帰って来て、仕事を辞めた、と言いましたが、その時、辞めるきっかけをくれた人がいるんですよ。知り合いというか、今は懇意にさせてもらっているんですけどね、その時は街でばったり合った人なんです。辻占い、と言へば良いのでしょうか。私も色々と悩んでいた時でしてね、ふらふらと歩いていたんでしょうね」
店主は、パイプを離し、珈琲を一口飲む。
「その時に私を呼び止めたのが、その占い師なんです。彼に勧められてフランス雑貨を売ることにしたんです。誰も来ないのに売れているのかって不思議に思われるかもしれませんね? でも結構流行っているんですよ。ほら、すぐそこの駅前のビルの中にある5階の雑貨店、あそこはこの店の支店なのです」
そう言われれば、彼女も知っている。
いつも若い子達で賑わっている店だ。
「ご存知のようですね? ここは本店です。そして私の憩いの場、なのです」
彼女は納得する。
それで、この店は、いつも静かに佇んでいるんだ、と。
「でね、占い師の話に戻るんですがね、その占い師が私にね、言ったんです。最近、あなたの店に若い女性が定期的に通っていませんか? てね。驚かなくても良いんですよ、世間では、能力者、とでもいうのですかね? 私は、その通りだと答えました」
彼女は、その不思議な話をどう聞いて良いのか分からず、俯いたまま珈琲カップに手を伸ばす。
「そしたら、彼が言うんですよ。その女性は肖像画を見に来ていますね? ってね」
彼女は、そのままの通りのことを言われて、目を見開きながら珈琲を飲んだ喉の音がゴクリと鳴ったのを感じた。
「あなたには、何年も前に別れた彼氏がいたんですね? 彼は絵描き、あなたは舞台女優、二人とも自分自身のための夢を持っていた。彼はフランスで絵を勉強したい、あなたについて来てほしかった。でも、あなたには別の夢がある。舞台女優で成功する、と言う夢が。結局、彼は一人でフランスに渡り絵画の修行をする。でも、残念ながら名を残すほどの絵描きにはなれなかったようです」
「なれなかった?」
「はい、その絵が彼の最後の作品です。余程、その人のことを好きだったんでしょうね。病に倒れる前に書き上げた作品のようでした」
彼女は、新聞紙で厳重に包まれた肖像画を凝視する。
「その占い師、曰く。その絵は、自分は夢半ばで病に倒れ絵を描くことで成功できなかったが、日本に残してきた恋人だけは、必ず夢を叶えてほしい、そんな思いで描き続けたそうなんですよ。そして、今は、この店にある。ならば、本当の持ち主はあなたでなければならない。そう思ったのです」
彼女は今、溢れそうな涙を瞳に溜めている。
「本当の真心、それは国境を越えてもやってくるものなのですね? フランスから日本にいるあなたへ」
瞳から一粒の涙がこぼれ落ちると、あとは止めどなく流れ続けた。
今も、その店は、古びた商店街に存在する。
よく通っていたあの頃の女優の卵は、もう来なくなった。
夜の店は、いつものようにレトロなフランス製雑貨をランプが照らしている。
その中で、パイプの煙を燻らせながら珈琲を飲んでいる老いた店主が、以前に掛けてあった額縁の前で静かに座っている。
絵画は数年前に無くなっている。
その代わりに、この店には似合わない今風の薄い液晶テレビが置かれている。
「うん、今日も素晴らしい演技だ」
店主は満足げに一人頷く。
画面の中では、あの時と同じ肖像画の女性がドラマの主役を演じていた。
3分間短編集 織風 羊 @orikaze
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