灰の街

JETSOUNDSTREET

灰の街

「おめでとう! 向こうでも元気でね!」

「落ちついたら連絡してね!」


 玄関先でみんながあの子を見送る。またひとりこの孤児院から巣立つんだね。

 だけどわたしは知ってる。里親に引き取られるのはあの子が咳をしたからだって。

 なんで? だって先生言ってたじゃない。灰咳病はいせきびょうは怖いって。わたしのお父さんもお母さんも、それでいなくなったって。

 でも、そんな咳をしていた子ばかり引き取られているよね。


「ほら、あなたも挨拶しようね」


 先生がわたしの背中を押した。わたしはされるままにあの子の前に出た。


「また遊ぼうね!」


 せいいっぱいの笑顔で言葉を送ったよ。でもちょっとぎこちなかったかも。


「うん! また遊ぼう!」


 あの子が満面の笑みを返してくれた。よかった、ちゃんと笑顔はできてたみたい。


「みんな挨拶は済ませたわね。そろそろ出発しましょう」


 先生があの子の手を引き玄関を出た。

 あの子の背中を見送る。門を曲がりその姿が見えなくなった時、急に涙がこぼれそうになった。

 わたしの嘘つき! 「また」があるなんて思ってないくせに!

 まだ玄関で見送るみんなを置いて、わたしの部屋にかけ込んだ。それからベッドに飛び込んで布団を頭の先までかぶり、顔を枕に押しつけながら声がもれないようにわんわんと泣いた。


 その日は、夜ごはんも食べずにそのまま眠っちゃった。



 今日は朝から灰が降ってる。こんな日は病気になるからお外はだめだって先生が言ってた。

 ベッドから降りて窓にもたれかかる。

 朝ごはんの時間にはまだ早いけど、昨日食べてなかったせいでお腹が鳴った。

 あの子どうしてるかな。咳は大丈夫かな。

 わたしも咳をしたらお迎えが来るのかな。


 それから朝ごはんを食べて本を読んで過ごし、お昼ごはんの時間になった。

 お昼ごはんにはお肉が出たよ。ハンバーグって言うんだって。あと一日早かったらあの子も食べれたのに。

 ハンバーグをじっと見てたらそわそわしてきた。みんなより少なかったりしないかな。みんなのお皿も見渡してみる。

 あれ、先生のお皿だけお肉が並んでない。数を間違えちゃったのかな。先生元気なさそうだけど、ちゃんとごはん食べてるのかな?


「先生のお肉は?」

「先生は大丈夫よ。それよりもみなさんにいっぱい食べてもらいたいの。それではみなさん、いただきますしましょうね」


 先生の言葉はなんだか落ちつかない感じ。それはちょっと気になるけど。


「「「いただきます!」」」


 みんなと声をそろえて言う。ハンバーグはひと口ふた口でなくなる大きさだったけど、ひさしぶりのお肉はおいしかった。



 あれから何日かが過ぎたけど、あの子からは手紙の一通も来ない。


 あの子が咳をしてたのが心配で、せめてひと言だけでもくれたなら落ちつくのに。

 そうだ!

 窓を少し開け、窓枠につもった灰を指先ですくい取る。それを手のひらにこすりつける。

 風が吹きこんできた。窓を閉めなきゃ。


 それから、たまたま先生から見えるところにいたふりをして、両手で口をおおいながら咳をして見せる。


「あら、大丈夫?」


 先生が気づいて声をかけてくれた。わざとらしくならないように、灰のついた手のひらが先生に見えるようにする。


 その日の夕方には先生に呼ばれた。



「みんな挨拶は済ませたわね。そろそろ出発しましょう」


 あのあと、新しい里親がわたしを引き取りたいって先生に言われた。やっぱり咳をすると引き取られるんだってわかって、すぐにうなずいた。

 だから今、みんなから見送られてる。

 みんな見送りの言葉をくれてたみたいだったけど、不安で聞こえなかった。


 先生と一緒に新しいおうちに向かう。

 新しいおうちはちゃんとあの子と同じかな。


「ほら、見えてきたわよ」


 まわりとくらべても大きなおうちだ。お金持ちなのかな。それならあの子もみんなもいそう。


 おうちに着くと、そこには医院って書かれてた。

 先生の嘘つき! 新しいおうちじゃなくてお医者さんじゃない!

 だったらそう言ってくれればいいのに。お注射だってがまんできるのに。咳だって嘘なのに。

 あ、わたしも先生に嘘ついたんだった。ごめんなさい。

 でもっ!


「先生!」


 言いたいことがいっぱいあったけど、ぐちゃぐちゃになって、それしか出なかった。


「大丈夫、大丈夫よ」


 先生がわたしの両肩を抱いて言い聞かせる。

 なにが大丈夫なの? 先生泣きそうじゃない。わたしどうなっちゃうの? ねえ、わたし今どんな顔してるの?


「ようこそ。ここが新しいおうちだよ」


 びっくりした。後ろから声をかけられたみたい。


「先生、この子をよろしくお願いします」


 先生って? 先生が先生でしょ? でもここはお医者さんだから、お医者さん先生ってことかな。


「はい、承りました」

「ほら、あなたも挨拶してね」


 先生がわたしの背中を押す。でもわたしは先生にしがみついた。


「おや、恥ずかしいのかな。大丈夫だよ。おいで」


 帰りたかった。でも来ちゃったから、しぶしぶお医者さん先生のほうに歩いた。




 新しいおうちではまず健康診断するんだって。お医者さんには病気の人も来るから、今のうちに健康か確かめるんだって。

 検査には袋にふーって息を吹きこむのもあったけど、何を調べるんだろう。


 検査が終わってから、お医者さんのお手伝いさんにお部屋を教えてもらった。

 ベッドはひとりずつカーテンで仕切られてる。わたし知ってる。これって病気になった人が使うベッドでしょ。まるでわたしも病気になった人みたい。


「あなたはここを使ってね」


 お医者さんのお手伝いさんに連れられてベッドに入る。


「今日はもうゆっくり休んでね」


 うん、とうなずいた。でも。

 お医者さんのお手伝いさんが部屋を出たから、わたしもベッドを出る。

 あの子はいるかな。

 はしっこのベッドから、カーテンを少しめくって見てみる。

 違う、違う、ここも違う。

 そうしてわたしのとなりのベッドまで戻ってきたら。

 いた!


「ねえねえ」


 大きな声にならないように気をつけて呼んでみる。


 あ、気づいたみたい。にへへ。会いに来ちゃった。

 びっくりしちゃってる。あ、そのせいで咳きこんだ。ごめんね、そんなつもりじゃなかったの。


「だいじょうぶ?」


 背中をさすると少しよくなったみたい。

 ベッドから体を起こしたあの子は、覚えてる姿よりずっとやせてた。


「どうしてここにいるの」


 不安そうな声だった。でもね。

 咳のふりをしたことを話すとまたおどろいてた。

 だけどそれだけじゃないよ。お話ししたいことがいっぱいあるの。聞いてね聞いてね……!



 お医者さんでの最初の朝が来た。


「こほっ、こほっ」


 咳をした。

 おそるおそる手のひらを見ると、灰がついてた。


 どうしよう、どうしよう。これって本物の灰咳病だよね。

 わたしが嘘をついてここに来たから、ばちがあたって本当にされちゃったのかな。あの子に言ったら心配しちゃうだろうな。でも、お医者さん先生には言ったほうがいいよね。


 今日はごはんのあとにお薬が出た。もうわかってたみたい。じゃあ昨日の検査のときには病気になってたってこと?

 お薬を飲んだあとはまた検査があった。検査のあとは好きなことをしていいんだって。だからあの子とお話しした。だけど咳のことは言わなかった。


 それからは毎日検査があった。

 でも検査が終わってからあの子といろいろお話しできたからつらくなかったよ。だけど夜には、あの子はいつも咳きこんでてつらそうだった。

 それからだんだんと、わたしが話してあの子は聞くばかりになったの。




 今日はあの子の咳が聞こえない。良くなったのかな。


「ねえ、今日はちょっと夜ふかししてお話ししようよ」


 あれ、お返事がない。もう寝ちゃったのかな。いつもちゃんと寝れなさそうだったから、こんな日はいっぱい寝たほうがいいよね。わたしも寝なきゃ。


 朝になって起きたら、あの子のベッドが片づいてた。

 朝ごはんを持ってきてくれたお医者さんのお手伝いさんに聞いてみる。


「あの子はどうしたの」


 空になったベッドを指す。


「しばらく出かけていますよ」

「朝から? どこに?」

「ごめんなさいね。それは聞いてませんので」


 知らんぷりされた。あんなに具合が悪かったのに、少し咳が落ちついたぐらいじゃ出かけれないよね。だけどちょっとだけ待ってみよう。ちゃんと帰ってきたらそれでいいからね。


 夜になってもあの子は帰らなかった。

 布団を頭の先までかぶってうずくまる。あの子がいないとなにもすることがないよ。


 それから何日か過ぎた。ベッドは変わらず空いたまま。

 ごはんを食べて、お薬を飲んで、検査をして、ごはんを食べて、お薬を飲んで、検査をして、ときどき咳をして。毎日ベッドの上でその繰り返し。

 窓の外が灰色に見えるのは、つもった灰のせいだけじゃない気がする。だってお部屋の中も灰がつもってるみたいだもん。


 今日もいつもと同じパンとスープ。パンを少しちぎって口に運ぶ。いつもと同じで味がしない。

 もうひと口運ぶ。ごほっごほっ。あ、こぼれた。

 ベッドの上に落ちたパンをぼんやり見つめてたら、なんだか食べる元気もなくなっちゃった。

 パンもスープも食べかけのままで横になった。



 空いたままだったベッドに新しい子がやって来た。知らない子。

 ねえ、そこはあの子のベッドだよ。なんであなたが使うの。って言いたかったけど、あなたが決めたわけじゃないもんね。


 いつものようにお医者さん先生がわたしの様子を見に来た。いつものように検査が終わった。


「お医者さん先生、あの子はもう帰ってこないの?」


 お医者さん先生は困った顔をしていた。

 わたしはいじわるだ。わたしだって答えたくない。


「ちょっと訳があってね、あの子は別のお家に移ったよ」


 嘘。お父さんとお母さんがいなくなった時と一緒。


「隠さないで。あの子がわたしに何も言わないなんてない」

「そうか、察しがついているんだね。あの子は亡くなったよ。灰咳病で」


 わかってた。わかってたのに。どうして。言葉にされると。わからない。なんて言われたの。お医者さん先生、なんて言ったの。わたし、なんで聞いたの。

 ぐるぐるとめまいがして、胸をぎゅっとにぎられるような感じがして、うわずった声で泣いて、息ができなくなって、吐いた。




 ――あれから何日経ったのかな。


 気づくと咳が出なくなってた。それはお医者さんのお手伝いさんもわかってたみたい。


「もうすぐ退院できますよ」


 もうわたしが里子じゃないことは隠さないんだね。

 退院に向けて荷物を片づける。でもほとんど何もないけど。かばんに入れたものを確かめると封筒と便せんの束があった。

 書くつもりだったお手紙も、一枚もかばんから出さなかったなあ。



 これからひさしぶりの孤児院おうち。先生がお迎えに来てくれる。

 玄関に向かうと話し声が聞こえた。

 先生だ!

 お話の相手はお医者さん先生だった。


「おかげさまで治験が進み、薬を作ることができました」

「いえいえ、こちらこそ孤児院の助けになりました。それと不躾な頼みですが、お金の事は子供たちには内緒にお願いします」

「ええ、それは承知していますよ。それではまた、機会があれば」


 お話が終わったみたい。戻ってくるお医者さん先生がわたしに気づいた。


「お迎えが来てるよ」


 こくりとうなずく。怖くてお医者さん先生の顔を見れなかった。そのまま横を通りぬけ、先生の前まで来て少しだけ振り返った。

 もうお医者さん先生はいなくなってた。ごめんなさい。


 それから膝をついた先生に抱きよせられた。あったかい。でもちょっと力が強いよ。だからお返し。わたしも先生の背中に手をのばして抱きついた。


「おかえりなさい、また会えてうれしいわ。……それと、ごめんなさい」


 先生がぼろぼろと涙を流してる。


「ごめんなさい……、ごめんなさい……」

「先生、あやまらないで。ここでは何もなかった、何もなかったから……」


 あの子のことを思い出しながら、くちびるをぎゅっと噛んだ。

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