神引きの女神

コカ

神引きの女神








 暦の上ではそろそろ夏となりましょうか。

 辺りを桜色が覆う季節ではありますが、日本の南――九州はまだまだお寒うございます。


 つい先日、ここ最近のただならぬ寒波に気づいての事でしょう。

 めでたく入学を許された我が高校からも、寒風吹きすさぶ中、舞い散る桜吹雪と共に私たちのやる気が舞い散らぬようまだまだ冬服を着ていいとのお達しがありました。


 人一倍寒がりの私です。

 寒いのに、どうしようと戦々恐々としていた私です。

 小躍りしたい衝動に駆られたのを覚えています。


 そんな寒さの厳しい夕暮れ時に、私は外におりました。


 コンビニエンスストアの前。正確には備え付けられたゴミ箱の横に、案山子さながら立っています。

 吐く息は真っ白で、思わず溜息がこぼれました。

 前振りで散々寒いとのたまったくせに、こいつは馬鹿かと思われそうですが、世の中にはやんごとなき事情というものもありまして。

 紆余曲折を経て、眼鏡をかけた地味な制服女子が一匹、過剰なまでのコンビニの明かりに照らされています。

 道いく人たちはさぞ不振に思われたことでしょう。見る人が見れば、妖怪の類に見えたかもしれません。


 ふと目を落とした腕時計によると、ただいまの時刻は十七時三十五分。


 連れの優柔不断さに付き合いきれず、外に出ての待ちぼうけ。

 手持ち無沙汰で、ついつい道端の石ころの数を数えてしまいます。

 母親に買ってもらった白のマフラーに鼻まで埋め、両方の手袋をすり合わせながら暖をとり続けていると、自動ドアの開く音が聞こえました。

 目を向けると、ようやく私をこんな目に合わせた張本人のお出ましです。


 その名も『人喰いカチガラス』


 もちろん愛称ではありますが、略称でカラスとも呼ばれております。本名は、……私から呼ぶことは無いので以下略とします。


 店内から暖かな空気と共に出てきた彼は、私と同じ高校の制服を身に着けて、顔には相変わらずの仏頂面を貼りつけています。

 異常に愛想の無い事を除くと顔の造詣は嫌味なほどに整っているので、もう少し柔らかい表情をすればもっと女の子達にちやほやされるというのにもったいない。

 教室でもまるで置物のように微動だにせず、唯一動くのはご飯時だけ。

 そんな彼の生態が、あの真っ黒な御髪と相まって、まるでカラスを連想させるのです。

 なので、カチガラス。

 実際のカチガラスは白い羽毛もあるので適切ではないと思いますが、地元ではポピュラーな鳥でありますし、なにより語呂が良かったのでしょう。なんせ、『人喰いカチガラス』ですから。

 まぁ、実際に彼が人を食べたなんて事はないでしょうし、恐らくは本人イメージの悪さからきているのだと考えますが、火の無いところに煙は立たず。ガラの悪い上級生と仲が良いなんて噂も聞きますし、愛想ないですし、不気味ですからね。仕方ないといえば仕方なしかと思います。

 まぁ、それがいいという少女を数え切れないほど知っていますので、駄目だと言い切れはしないのですが。


 しげしげと顔を眺めていると、「待たせた」そう言って、彼は手に提げた袋から缶コーヒーを差し出してきます。


「ありがとうござ――」


 お礼と同時。


 受け取った際に、それが外気より冷たかったことに一瞬殺意が芽生えましたが、そういう男なのです、この人は。

 どこか抜けているといいますか、変わっているといいますか、彼自身悪いことをしたという気持ちはないようなので、私としてもいちいち目くじらを立てて糾弾しようとは思いません。

 ただ、彼がゴミ箱の隣に座りこんだのにはいささか閉口しましたね。

 小・中学生ならいざ知らず、地べたに腰をおろすのはいかがなものでしょう。

 この春、高校生として歩み始めたからには、それ相応の態度で臨むべきだと私は考えます。建前上はですが。


 本音は、冷え性なのでお尻が冷えると辛いのですよ。死活問題です。


 そんな私の抗議を含んだ視線に気がついたのか、彼はジュースを取り出して空になったコンビニ袋を自分の隣に敷くと、二度、小さく地面を叩きました。

 ここに座れという意味合いを感じます。


 ですが、薄いビニール一枚でなにが変わろうか。


 冷たいコーヒーで手元は十二分に凍え、あろうことか尻まで冷えるとなっては心底たまったものではありません。断固として拒否の姿勢を貫こうと、唇を固く結び知らんぷり。

 しかし彼はスカートの裾を引っ張ってきます。


「きゃっ! ちょっとやめてください」


 やめてやめて、脱げちゃう。


 ずり下がるスカートを引っ張り上げながら、しぶしぶと袋の上に腰をおろします。

 予想通り、冷とうございました、腰骨が痺れます。

 せっせと手持ちのタオルを尻に敷いて少しでも冷えを緩和させようとしていると、ふと、前の通りを歩くスーツのおじさんと目があいました。

 ふむむ、何でしょう。どうしてなのか、とても心配そうな表情をしています。

 首を傾げてうなっていると、「あ!」私の頭上に豆電球がともりました。


 ――もしかして今の私って、怖いのに絡まれている地味な女子高生に見えるのではないのでしょうか。

 あのおじさんは『見捨てるわけにはいかない、助けなければ』と義侠心を奮い立たせているのでは。


 いやいや違いますよ。彼が馬鹿なだけですよ。

 

 否定の意味も込めて笑みを見せると、おじさんはこちらに向けようとしていた足を止め、安心したのか元の方向へ歩いていってしまいました。


 そんな愛想のない彼と、気弱そうな地味グランプリ地元代表候補(予想)の私。

 誰が見てもちぐはぐな二人が、なぜ揃ってコンビニに立ち寄ったかというと、全ては彼が先ほど買ってきたものに原因があるのです。


「……開けて」


「はいはい」


 先だってのおじさんと私のアイコンタクトを見ていたはずなのに、本人はどうとも思っていないのでしょうね。

 彼は飄々と、残った最後のコンビニ袋から原因の種である小さな袋を取り出しました。数にして五つほどでしょうか、私へと突きつけてきます。

 トランプの縦をさらに半分ほど伸ばしたくらいの大きさで、派手派手なパッケージには可愛らしいキャラクターと商品名らしきものが書かれています。


「この前のとは違うんですね」


 受け取りながら尋ねると、彼は大きく頷いてその形のよい瞳をよりいっそうギラつかせました。

 心なしか、双眸から光を放っているように見えます。気合の現れでしょうか、狂気とも取れます。


「このパックはアソートがおかしいんだ。強いやつが沢山デザインされているけど、ちっとも当たらない。でも、お前なら」


 お前ならって何でしょう。私ならどうこうなると、妙に期待されても困ります。


「当たらないかもしれませんよ。今までがたまたま運が良かっただけで」


「それでもいい。諦めのつく数しか買ってないからな、当たれば儲けもんだ」


 一つ二百円が五つほど。合計金額で千円ほどかかっているのに、彼は諦めがつくそうです。

 お金の価値観に重大な隔たりを感じながらパッケージを眺め眇めしていると、早く早くと隣の大きな子供にせがまれます。

 高校生にもなって、しかもそんな風貌で、よくもまぁ子供でいられるものですね。


「じゃあ、開けますよ」


「おう。念はすでに送り続けているぞ、開けてくれ」


 当たれ当たれと、彼の口から唸り声が聞こえてき、思わず失笑しながらも一つ目の袋に手をかけます。

 陳列するためでしょう、フックにかかるよう開けられた上部の穴の少し下。ゆっくりとハサミを滑らせると、


「慎重にな。中身に傷をつけないように、慎重に」


「あぁうん、はいはい、分かってます」


 いちいち外野がうるさいのは、仕様です。気を取り直して袋を開けると、


「頼む~! 当たってくれ~! レアカード~!」


「うるさい」


 カードが出てきました。


 テレホンカード大の紙が、計七枚。一度彼に「めんこ?」と聞いたところ、無言で頭をぐしゃぐしゃと撫でられました。

 まったく、女子の髪をなんだと思っているのでしょう。

 それともなにか。私を女子とは思っていない。そう言いたいのでしょうか。一度出るところに出て争うべきでしょうか。


 閑話休題。


 彼曰く、めんこではなくトレーディングカードゲームと言うそうですよ。

 カードを交換してどうするのでしょうか。蒐集? 分かりません。

 ちなみに開けたばかりのカードはすべて裏面を向いていました。


「一枚ずつめくってくれ、ゆっくりだぞ、ゆっくり、ゆ~っくり……」


 荒い鼻息にせかされて、一枚目をめくります。


 そこにはどう見ても幼女な金髪の修道女が描いてありました。

 他にも絵の下には沢山の数字や理解不能な日本語が並んでいます。なんでも遊ぶ際に、この数字や文字の羅列が重要なのだそうですよ。


「っ、残念。いや、悪くはない。悪くはないぞ。ただ俺好みじゃないだけだ」


 なんのことやら意味不明。

 お目当てのカードではなかったようで彼は複雑な顔のまま下唇を噛んでいます。私は可愛いと思いますけどね。


 続いて二枚目。

 次は槍を持ったスタイル抜群のお姉さんです。真っ黒なポニーテールの美しい、ボンッキュッボンです。


「いやいやいやいや、六枚目はないな。デッキを作るのにも四枚あれば十分だしさ、いい加減勘弁してほしい」


 あら、てっきり喜ぶかと思ったのに。彼は頭を抱えてもだえています。

 先日は、とても胸の大きな女の子カードにあれほどときめいていたというのに。大きければ良いというわけではないのでしょうか。

 もしかすると小さいのを至高とする時代がいよいよ来るのかもしれませんね。そもそも胸というものは大きくても邪魔なだけでですね、第一、


「いや、好き嫌いはひとまず置いとくとしても、ないよりはあったほうがいいだろう」


「……」


 ……心を読まれたのかもしれません。


 私の胸元とカードを見比べて、彼は露骨に溜息をつきます。

 やはり彼とは一度、法廷の場で決着を付けるべきなのか。

 えぇ、にらみつけましたとも。まだまだ私のはこれからです、成長期です。それに人並みにはあるつもりです。本当ですよ。泣いてなんかいません。


「まぁ、別に俺は気にしないけどな」


「……え」


「俺だって貧乳だ、気にすんな」


 なんだ、その哀れむような目は。

 拳を堅く握ったのはいつ以来でしょう。泥沼の裁判確定です。彼に死刑を望みます。


「いいかげん、ひっぱたきますよ」


 本当にデリカシーのない男です。普段なら近づきもしないタイプです。


 なんでこんな人と。そう思わないではありません。

 だって、――だって私と彼、出会いのきっかけは、交通事故みたいなものでした。


 場所はここ。とある学校帰りの一幕で、私はこの人と出会ったのです。


 その時の彼は、ひょんな事で片腕を負傷しておりまして、対する私はこの店の前を通りかかった一通行人。


 ある日、ある時、この場所で。

 見ると覚えのある男子生徒がひとり、コンビニの前でトンチンカンな事をしているではありませんか。

 はじめはその仕草や右手に巻いたギプス等々、困り事かと近づきました。


 確か、どうされました? と声をかけたと憶えています。

 対する彼は、困った。とだけ。


 それだけで彼の言わんとせんところに気づけたのは奇跡かもしれません。


 とにもかくにも、どうやら件のカードを片手で開封出来ぬものかと、それこそ悪戦苦闘していたらしく、何を馬鹿な事をと『貸してください』助け船を出したのが、思えばそれが運の尽きでございます。

 右も左も分からぬまま、言われたとおりに開封を重ね、なにが彼の琴線に触れたのやら。無愛想なイケメンと、地味な少女のカード開封珍道中。凸凹コンビ、ここに結成。

 言わせて貰えばこんなこと、私には付き合う理由はございません。

 でも、意外と強引なんですよ彼。あれよあれよと今に至るというわけです。

 今更、どうしてと溜息をついたところで詮なきこと。人生諦めることも肝心だと、この歳で学んだしだいでございます。


 その後も彼の一喜一憂は続き、ついには本日最後のカードとなりました。


 数にして五袋目。これが最後の一枚です。

 彼曰く、レアなものは一番後ろに封入されているらしく、もしお目当てのモノが入っているとすればここがラストチャンスというわけです。


 ハズレハズレと続いた今日も、この一枚をもって終了。


 どうやら今回は、ここまでめぼしいものが出なかったようで、たまにはこんな日もあるでしょう。

 ですが、私も人の子です。

 もしくは彼に感化されてしまった部分もあるのでしょう。――残念だという気持ちがまったく無いわけではありません。

 言っておきますが、彼の為ではありませんよ。自分の精神衛生上の問題です。負けるよりは勝ちたい。その程度の気持ちです。

 信仰心は持ち合わせておりませんが、ここぞとばかりに神や仏に願います。


 泣いても笑ってもコレが最後の一枚。


 隣でギラギラと彼は刃物ように瞳を輝かせ、その凶悪な眼光に気圧されてか、私の心臓も期待と不安でドキドキと高鳴ります。


「頼むぞ幸運の女神っ!」


 彼がインチキ祈祷師のような手振りで天に祈り、私は、最後のカードに手をかけます。

 そして――






 ――いつのまにか太陽は今日のお勤めを終え、辺りは夜を迎えています。


 小さな町の広い空は、まるで色とりどりの星が降ってくるかのようで、コンビニの灯りがよりいっそうの存在感を主張しています。

 そんなお店の前で、私は彼にお姫様抱っこされてしまいました。

 彼の腕の中でくるりくるりとゆるやかに景色が回り、道行く人たちが不思議そうな顔のまま立ち止まるのが見えます。


 恥ずかしいやら怖いやら。


「お、おろして下さいっ」


 何度目かのお願いがようやく届いたのでしょうか。

 振り落とされないようにと必死でしがみついていると、回転はふわりと止まり、息も絶え絶えの私に彼は言いました。

 本当は私の抗議を小一時間にわたり聞かせる場面ではあるのですが、


「さすが、俺の女神。お前はやっぱり幸運の女神だ」


 ――卑怯だ。


 私は心の中で、そう呟きます。まちがっても言葉に出すことはありません。だってそうでしょう?


「ぜったい離さないからな。ぜったい、ぜ~ったいに離さないからな」


 学校では見せない、子供のような無邪気な笑みで、彼はそういうのです。


 私は顔の赤みを見つからないように隠すので精一杯。

 きっと彼は、そういった類の感情で言っているわけではないのです。


 どうせ私を、自分の利益となる便利な道具程度にしか思ってはいない、それは理解しています。

 していますが、この世に生れ落ちて十五年と少し。その間一度も浮いた話のなかった私には、こういった事に関する免疫がないのです。

 罵ろうにも声が上ずってしまい、どうすることもできません。ご容赦下さい。


「まさか、トップレアが当たるとは夢にも思わなかった」


「そ、そうですか。おめでとうございます」


 テラテラと真っ青な月の光を受けて、彼の手にある一枚のカードが輝いていました。

 彼は鼻歌交じりでそれを眺めすがめしています。

 いやはや、いったいそれがどれほどの価値を持つのかなんて、無知な私にはわかりません。

 ですが、


「ありがとな。お前のおかげだ」


「い、いえいえ、そんな」


 彼の身体の温もりと、キラキラ輝くキレイな瞳。

 そして、胸を満たすこのドキドキを、――贅沢だ。


 独り占めできるほどには価値がある物なのだと、私は一人、納得せざるを得ませんでした。












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