冷やし中華はじめました

@d-van69

冷やし中華はじめました

 大学に入って初めての夏休み、叔父からアルバイトをしないかと誘われた。彼が経営する小さな中華料理店だ。暇をもてあましていた僕はすぐさまOKした。

 店頭には『冷やし中華はじめました』と書かれた幟がはためいていた。それを横目にガラス戸を開くと、見知った顔が出迎えてくれた。

「よく来てくれた。助かったよ」

 相好を崩した叔父は僕を招き入れながら、

「実はうちにもアルバイトの男の子がいたんだけどね、出前の途中で事故っちゃって。バイクごと電柱に突っ込んだの」

「え?そうなんですか?」

「うん。だから急ぎで人手が必要になってさ、君に声をかけたってわけ」

 なるほど。そう言う事情があったのか。でも気になるのは事故のことだ。

「ちなみに、そのバイトの人は大丈夫なんですか?」

「ああ……」と叔父は表情を強張らせ、

「まあ、残念ながら、ね」

 亡くなったのか。僕も前任者と同じ轍を踏まないよう注意しなければ。この若さで死にたくはない。

 


 何度目かの出前から戻る頃には既に日が暮れていた。店に入ると叔父の姿が見えない。休憩でもしているのだろうか。

 電話が鳴ったので僕が出る。受話器から中年のだみ声が聞こえてきた。

「ヤマダ不動産だけど、出前のお願いできるかな?」

「はい、いけますよ」

「ほんとに?」

 声に驚きの色が混じっていることを不思議に思いつつも、

「ええ、もちろんです。ご注文は?」

「冷やし中華一つ」

 それから配達先の住所を聞き、電話を切ると、ちょうど叔父がタバコの臭いをさせながら戻ってきた。

「出前の注文はいりました。冷やし中華一つ」

「あいよ」と応じた叔父が厨房に立った。

 配達先はとある雑居ビルだった。その二階に上がると、ヤマダ不動産と書かれたドアがあった。 

 ノックをしても返事がない。しばらく待ってからもう一度ノックをし、それでも応答がないので勝手にドアを開けた。三十センチほどの隙間が出来たところで声をかける。

「毎度ありがとうございます」

 中は薄暗かった。目の前には受け付けのカウンターがあり、その向こうに事務机が数台並んでいる。その先に間仕切りの衝立があるせいで向こう側は見えない。天井の照明はすべて消えていた。光源は窓の外から注ぐ街灯の明かりだけだ。

 気味悪く思いながらもとりあえずは店の名前を告げ、しばらく待っていると衝立の奥から聞き覚えのある声が聞こえた。

「今ちょっと手が離せないからカウンターの上に置いといてもらえる?お代はいつものツケでよろしく」

 ツケということは常連なのだろう。怪しく思いながらも「分かりました」と返事をして、カウンターの上に冷やし中華の皿を置き、そのままビルを後にした。

 店に戻ると真っ先に叔父に報告をした。

「あの、今の配達、ツケでって言われたんですけど、よかったですか?」

「どこのお客さん?」

「ヤマダ不動産です」

「え?」と叔父は眉をひそめると、

「さっきの冷やし中華って、ヤマダさんの注文だったの?うっかりしてたな……」

「うっかり?」

「実はね……」と語り始めた叔父の話を要約するとこうだ。

 ヤマダさんはこの店の常連客だった。特に冷やし中華がお気に入りで、「最後の晩餐はこの店の冷やし中華だ」と言うほどだった。ある日、いつもは店に来るはずのヤマダさんから出前の注文が入った。珍しいねと叔父が問うと体調が悪いと言う。それなら中華なんかやめたほうがいいんじゃないかと進言するも、大丈夫だと押し切られ、仕方なく出前をすることに。ところが事務所に行くとヤマダさんは苦悶の表情で事切れていた。心筋梗塞だったそうだ。

「え?死んでいたんですか?」

「うん」

「でもさっき電話が……」

「そうなんだよ」

 叔父は迷惑そうな表情を作ると、

「亡くなったのは去年のことさ。それなのにその後もあの人から出前の注文が入ってね。気味が悪いから、もう冷やし中華はやってないんだよって言って断ったんだよ。それを機にメニューからも外してさ。ちょうど季節も秋に入ってたからね。まさか今年も電話がかかってくるとは思わなかったな。冷やし中華の季節が来たからかな。あの人、よっぽど悔いが残っているのかねぇ。死ぬ前に冷やし中華が食べられなかったから」

 最後は故人を偲ぶようにしみじみとした口調になった叔父に、

「いやいや、平気なんですか?どう考えたって幽霊でしょ」

「そりゃ怖いけどさ。でも生前はあの人にいろいろお世話になったからね」

 お世話になったからと言って化けて出られちゃかなわない。バイト代は欲しいけど、近いうちに辞めたほうがいいような気がしてきた。



 翌日、皿を回収するためヤマダ不動産へと向かった。叔父は皿の一枚くらい放っておけと言ってくれたのだが、怖いもの見たさの心理が働いたのだ。

 狐につままれたとはこのことだろう。昨夜の雑居ビルの二階では改装工事が行われていた。行き交う作業員から怪訝な視線を向けられる中、手付かずの皿を回収した僕は、逃げるようにビルを飛び出した。



 その日の夜。宵の口から振り出した雨のせいで客足は途絶えていた。叔父と僕はぼんやりとテレビを見上げていた。野球中継が流れている。甲子園球場ではまだ雨は降っていないらしい。

「ちょっとトイレ」と叔父が席を立った。その直後に電話が鳴った。時計を見ると、昨夜の電話と同じ時刻だった。

 嫌な予感を胸に受話器をとると、案の定例のだみ声が聞こえてきた。

「ヤマダ不動産だけど、また出前のお願いできるかな」

 どう応じたものか戸惑っていると、叔父がトイレから出てきた。僕の様子に気づき、奪うように受話器をとった。

「ああ、お電話代わりました。ヤマダさん、いつもありがとうございます」

 叔父は笑顔でそう切り出した。とても幽霊相手にしゃべっているようには見えない。

「実は今人手不足でね。だから申し訳ないけど出前はお断りしてるのよ。え?なに?」

 叔父は眉根を寄せた顔を僕のほうに向けた。

「ああ、店はやってるよ。もちろんかまわないけど、ヤマダさん大丈夫なの?いやいや、迷惑じゃないって。ああ。ああ。そう?じゃあ、そういうことで」

 電話を切った彼はやれやれという風にため息をついた。

「どうしたんですか?」

「来るってさ」

「来るって、誰がです?」

 分かっていながらそう言う僕を叔父はじっと見据えたまま、

「もちろんヤマダさんだよ」

「え?でもヤマダさんは……」

「そうだよ。死んでるよ。でも来るって。出前が出来ないなら、店に食べに行くって」

 叔父はガラス戸越しに店の外を見た。雨はいつの間にかやんでいた。

「叔父さん、どうするんですか?」

「大丈夫だよ。放っておけば」

「え?でも来ちゃいますよ」

「来るわけないよ。だって死んでるんだもの」

「いやいや、幽霊になって来るってパターンもあるでしょ」

「ああ、そうか。でも俺には霊感がないからさ。見えないでしょ」

「見える見えないの問題じゃないですよ。ねぇ叔父さん、一度お払いか除霊してもらったほうがいいですよ」

「本当に大丈夫だって。前にもこんなことがあったけど結局来なかったんだから」

「は?前にもあったんですか?それっていつの……」

 僕が言っている途中で電話が鳴った。叔父が受話器を取り、メモをする。

「出前だ。三丁目の石橋さん。準備しといて」

 その言葉を聞き内心ほっとした。幽霊が来るかもしれないこの店にいなくてすむからだ。まだ叔父に訊きたいことはあったけど、それは出前から帰ってからのことにしよう。

 すぐに注文の品はできあがった。それを岡持ちに入れ、急いでバイクにまたがった。

 夜風に吹かれながら走るうち、不意に背中に違和感を覚えた。寒気のような、圧迫感のような……と、耳のすぐそばで声が聞こえた。

「なんだ、出前やってるじゃないの」

 そのだみ声に思わず振り返る。肩口から人の形をした半透明のなにかが見えた。恐怖に体がすくむ。まるで二人乗りのように背中に張り付くそいつから目が離せない。するとそいつはほらほらと言って進路を指差す。

「前見てなきゃ危ないよ」

 慌てて体勢を戻すと電柱が眼前に迫っていた。急ブレーキをかけるものの、手遅れだった。

 遠のく意識の中、最後に僕の目に映ったものは電柱の足元に供えられた花束だった。

 奇しくもそこは前任のアルバイトが事故を起こした場所だった。


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