私のユリイカ

るつぺる

第1話

 桜散る散る花吹雪。新風吹き抜けて学園にまた色が宿る。門をくぐったその先で彼女は笑っていた。ようこそと差し伸べた手の指先は触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細で絹糸のように白かった。兎姫田トキタカエデ。私がこの学園で初めて先輩と呼んだ人。「紺藤コンドウくんは好きかい?」そう言って差し出された紅茶の湯気が鼻をスッと抜けていく。幾許か緊張はときほぐれ、気がつけば私のひと目惚れ。ティーソーサーに並んで添えた角砂糖が二つ。紺藤くんは好きかい。こんな狡い言葉があるだろうか。私は小さな声で「好きです」とため息まじりに言葉を吐いた。沈んだ砂糖が熱に溶けていく。


 友愛と希望の園。ひとりは皆を愛し、皆はひとりを愛せよを信条と掲げるこの学園が果たしてそれを成せていたかは些か疑問がある。女だけの園それが如何なる場所かといったところに不安があった。ましてや一度ここの生徒を名乗るとなれば卒業までの三年間は寮生活を余儀なくされ、運悪く反りの合わぬ者同士が屋根下を共にするとなれば地獄の日々が待ち受けているのだ。それでも私がここに進学したのには理由があった。かつての私は小心者で自らの意見を表に出来ぬまま親元で両親に言われるがままの道を歩んできた。彼らの意に従うならば私は今頃町一番の進学校へと歩を進めていたはずである。私はそんな自分にいい加減嫌気がさしていた。操り人形の如く、こうせよああせよと引かれた系に従って、いったい私の人生とは何たるかをずっと模索してきたのだった。そんな折に友達が紹介してくれたのが私立百合伊賀ユリイカ学園だった。この地域一帯では珍しい全寮制学校。私は思った。これで両親の呪縛から解き放たれる。吊り下げ糸がプツンと音を立てたのが聞こえた。このことを二人に告げるには勇気がいった。けれどここで私がいつものように行儀良く踊ってしまったら一生を後悔する。そんな思いで私は百合伊賀に進学したいのだと、声が震えたように感じたけれどそれでも一言一言を誤魔化さないように伝えた。私が言い終えると二人は難しそうな顔をしていた。この沈黙は永遠なのではないかとさえ思わせた。先に口を開いたのは父だった。「ツバキにお願いされたのは初めてかもしれないね」そこからの雪溶けは早く、冬がいつだったかも思い出せないくらいあっという間の出来事で、ただ合格通知が届いた日の胸の高鳴りは今でも忘れない。


「紺藤ツバキくん、初めまして。三年の兎姫田カエデだ。よろしく。これから君と同じ部屋で一年間暮らすことになる。わからないことがあればなんでも聞いてくれ」

「はい、ありがとうございます」

「それから」

 カエデ先輩の後ろでずっとこちらを窺いながらニコニコした笑顔を浮かべるギャル。

「ちゅわあっすツバキっち。あちし二年の菊森ユウキ!ことよろ〜」

「菊森、もう四月だぞ」

「カエデっちはおかたいんだよなあ」

 なんだこの生き物は。たかだか一四、五年の人生とはいえ出会ったことのない生命体だった。先輩のことをカエデっちだなんて。カエデっち。

「紺藤くん、菊森は見てのとおり騒がしいが悪い奴じゃない。彼女もこの部屋の仲間だ。どうか仲良くしてやってくれ」

「おねしゃーす」

「……はい」

 百合伊賀学園では一年から三年までが三人一組で寮生活を営む。私は自らの幸運に感謝した。カエデ先輩はどこまでも素敵だったし菊森先輩も変わった生き物だけど敵意は感じない。出だしとしては完璧であの日、百合伊賀に行きたいと言えた私に感謝した。

「ところで紺藤くん、君はもうどの部活に入るか決めたのかい?」

「いえ、まだ。そもそも入学したばかりでその辺のことはよくわかっていなくて」

「我が校は文武両道……というわけではないが部活動への加入義務が校則で定められていてね。よければ案内しようか」

「はあ、ちなみにカエデ先輩はどこに」

「私は……」

「カエデっちはスーパーウーマンだからいろんなとこかけ持ちしてんだよ〜。バスケでしょ、ソフボにサッカー。あとは茶道に吹奏楽それから」

「止さないか菊森。今は紺藤くんのことについて話ているんだ」

「先輩は凄いんですね。私は全然器用じゃないから」

「だったらさツバキっち〜、あちしらとドーコー会組まない?」

「ドーコー会?」

「菊森の言葉足らずは詫びよう。本校では生徒三人以上かつ顧問一人を揃えれば同好会申請が出来るんだよ。部活動への加入が必須とされているが中には規則を嫌がる者もいてね」

「はーい、あちしのことでーす」

「そこで同好会さえ作れてしまえば一応は隠れ蓑になるってわけさ。ただこの方法には一つ問題がある」

「問題 ですか?」

「左様。先程述べた規則を嫌う者たちというのは存外多くてね。今や中身がなかったり得体の知れぬ同好会が乱立しすぎて今日の百合伊賀学園は大同好会時代となっている。同好会は四人以上になれば部活動として認められるため活動実績を出さなくてはならない。よって新入部員を募集するところなんてないのが現状。またそのような状況ゆえに同好会設立条件である顧問一人を立てようにも教師の数が足らないとあって今は安易に同好会申請できないのさ」

「じゃあやっぱり部活に入らないといけない感じなのでは」

「チ チ チ ふぅん 諦めるのはまだ早いよツバキっち。この学校ではドーコー破りがありますッ」

「ドーコー破り?」

「度々すまないね。同好破りと生徒達は呼んでいるがつまりは入れ替わり制度さ。学校側としてもペーパー同好会の乱立については懸念事項でね。とはいえ学園設立以来のルールを変更するにも様々なハードルがあるらしい。よって同好会にはリスクが設けられた。新たに同好会を設立する際に既存の同好会に対して入れ替わり戦を申し込むことが出来る。この挑戦は拒否できず、また受けた側が敗北すれば席を譲る形で解体されてしまうのさ」

「なるほど、厳しい世界なんですね」

「つうわけで、どう? ツバキっち。あちしらとやる? ドーコー破り」

「菊森、さっきから気になっていたのだがあちしらのらとはまさか」

「もちろんカエデっち込みです。あちしひとりじゃゼッテーむりだもん。スーパーウーマン頼みよろシャスってわけ」

「菊森、私はもうオーバータスクで」

「やりましょうカエデ先輩!」

「「お?」」

 私はここを楽園としたい。せっかく掴み取ったのだ。私はカエデ先輩が好きだ。他の部活になんて渡したくない。これはきっとBIG LOVEだ。カエデ先輩は私のものだ。

「ツバキっちなんか目がヤバくね?」

「やりましょう! 同好破り!」

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