私、なんとなく魔術師

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私、なんとなく魔術師

 放課後の通学路は静かなものだった。

 木々の葉が優雅に風に揺れ、そのざわめきが通学路に心地よい音を添えていた。鳥たちの遠い囀りが聞こえ、それが静かな通学路に優しいメロディを奏でているようだった。

 そんな道を二人の女の子が歩いていた。

 二人とも大きなランドセルを背負っている。小学生であることが分かるのは、その二人の女の子がまだまだあどけない容姿だったからである。

「帰り際の地震、怖かったね」

 そう話を切り出したのは、ゆったりとしたスエットにミディ丈のスカート姿の女の子だ。

 ロングヘアの髪をした彼女は、夜にひっそりと咲く月下美人のように華麗だった。小学5年生ながら整った顔立ちと大きな瞳は、一目見ただけで多くの人を魅了するものがあった。

 名前を片桐かたぎり優愛ゆめという。

「本当。まだ教室に居た時だから、なおさら驚いちゃった」

 そしてもう一人は、パステルカラーのパーカーにスカパンという、装いをした女の子だ。

 ポニーテールの髪型をした柔らかい黒髪を持ち、凛とした雰囲気がその容姿に表れていた。

 瞳は明るい色で、優しく温和そうな印象を持つ。元気な様子は日差しを浴びて輝く花が持つ可憐さを連想させた。

 彼女の名前を野々宮ののみやあおいという。

 二人は幼馴染であり、仲の良い親友同士だった。

 学校から帰る途中の会話で、二人は下校しながら今日起こった地震の話題で持ちきりだった。

 歩きながら葵は身振り手振りを交え、手をぶんぶんと振り回し、興奮した様子でロッカーの物が倒れ、机の中の物が落ちてきたと伝える。

 それを聞いて優愛は笑う。

「でも本当、大したことなくて良かったね」

 優愛は胸に手を当ててビックリしたことに、胸を撫で下ろす仕草をする。

 二人は地震に心底驚いており、不安な気持ちから、その話ばかりを続けた。

 しかし、それでもケガが無かったことで楽しそうに話をするあたりは小学生らしいものだ。

「じゃあね葵。私こっちだから」

 優愛は分かれ道に来て、手を振って葵に別れを告げる。

 彼女の家の方向はこの先であり、右に行けば葵の住むマンション。左に行けば優愛の家がある。

 この分かれ道が、二人が一緒に帰ることのできる時間の終わりである。

「うん。またね」

 名残惜しそうにする優愛に葵は笑顔で返すと、優愛は帰り道を歩いていく。

「さ、私も帰ろ」

 小さくそう呟いて、葵も自分の家に向かって足を進ませた。

 いつもの通学路を通って、公園に近くを歩いていると、葵は小さな鳴き声を聞いた。人のものではない、動物のものだろうか。

 葵は公園にはいり声の主を探す。

「どこ?」

 葵はきょろきょろと辺りを見渡し、声の主を探す。

 その鳴き声は公園の茂みの方から聞こえてきた。

 葵は茂みに近づいて、その茂みを覗き込む。するとそこには、子犬がうずくまっていた。柴犬の子犬らしく茶色と白の体毛をしていた。

 子犬は警戒するようにじっと葵を見つめていたが、やがて鼻をひくひくと動かし、また小さく鳴く。

 この鳴き声は葵を呼んでいるようだった。

 お腹がペコペコなのか小さく鳴く様子はとても弱々しい。

 葵はそれを見て何かを感じたのか、子犬に手を差し伸べた。

「おいで。怖くないよ」

 子犬は伸ばされた手を少し見て、また葵の顔を見上げるとぺろりと舌でなめた。それがその子犬の返事だったのだろうか。

 そして子犬は鼻をヒクヒクとさせて再び小さく鳴くと、ゆっくりとした動きで葵の手に擦り寄った。

 葵は、そっと子犬の体を撫でる。

 子犬の毛並みはきれいで、首輪があった。誰かに飼われていることが分かる。

 もしそうだとしたら、きっと飼い主はこの子を探していることだろう。

 そう思った葵は、子犬を抱き抱えた。

「大丈夫だよ。飼い主さんの元に返してあげるからね」

 子犬は返事をするように小さく鳴いた。

 子犬の頭をそっと撫でた葵は、そのまま自分の家ではなく、子犬を飼っているという飼い主を探すために歩き出す。

 この子を放っておくわけにはいかない、そう思ったのだ。

 少し歩くと子犬は小さく鳴くのをやめていた。葵の手の中でうとうととしているようだった。その愛らしい姿を見て、思わず葵も笑顔になる。

「飼い主さんは……」

 葵は、子犬の飼い主を探すため、周囲を見るが飼い主らしき影はない。

 この公園で逸れたと思ったが、そう広くないこの公園にはそれらしい人影はない。

 小さな子犬だ。

 放し飼いにしているのではなく、何らかの事情で自宅から飛び出したのでは無いかと、葵は考えた。

 この公園にいないのかもしれない。

 そう思った葵は公園を後にして歩き出す。

 とりあえず子犬を飼っている飼い主を探すために、飼い犬を連れていそうな場所を優先的に探すことにしたのだ。

 子犬を飼っているなら一戸建てで、しかも庭先に犬小屋のようなものがあるような家だろうと目星をつけた。

 そうすれば、多少時間はかかっても子犬を飼っている可能性が高いと踏んだ。

 手近な家から回ることにする。

 そっと家の門から庭を見るが、犬を飼っている様子はない。

 中々、犬を飼っている家が無いと思っていると、10件目で目に入った家は、大きな庭と家屋のある裕福な家だった。

 手入れされた庭には、犬小屋があるのも見える。

 きっとここに飼い主がいると確信した葵は、そっと門の隙間から敷地内に入り込み、庭を進む。

 すると葵は、何か柔らかい物を踏んだ。

 嫌な予感を感じ、葵の表情がこわばり影が差す。

 視線を下に向ける。

 目線の低い位置に、怖い顔をしたブルドックが葵を威嚇するように、牙を見せて立っていた。

 ブルドックは怖そうな顔をしているものだと思っていたが、怒った時のその顔の迫力はそれ以上だった。

「いやー!!」

 葵は子犬を抱いたまま大声を出しつつ、その場から逃げ出した。

 そのスピードは非公式ながら、50m女子5年生の6秒台に近い。このタイムは陸上代表選手のなかでもトップレベルのタイムだといえ、とても小学生とは思えない早さだった。

 そのあまりのスピードに、その場にいたブルドックはついてこれず、追いかけてくることはなかった。

 葵は後ろを振り返らず、ブルドックから逃げるようにそのまま走り続ける。

 しばらく走り、犬の姿が見えなくなったので恐る恐る走るスピードを緩やかにした。

 そして子犬を抱いている手が外れていないのを確認するように見る。自分の胸元にはしっかりと子犬が抱き抱えられていた。その事にホッと胸をなで下ろすと、優しく子犬の頭をなでた。するとそれに応えるように子犬は再び小さく鳴いたのだった。

「あー。怖かった。絶対に、あなたのお母さんじゃないわよね」

 葵は子犬にそう語りかけると、子犬を抱えていない手で子犬の頭をそっと撫でた。

 ほうぼうを歩き回り、挙句の果てにはブルドックに追いかけ回されたことで葵は疲れていた。

 葵は、その場に座り込んでいると、後ろから話しかけて来る声があった。

「どうしたの? お嬢さん」

 その声に葵は振り向いた。

 そこには淡いワンピースに、カフェエプロンをした女性がいた。プロンには軽い花柄が施されており、清潔感があった。

 長い髪をゆったりとした後ろで三つ編み三つ編みにして、肩から前にたらしている。細い束の後れ毛は風になびき、色っぽさを感じさせた。

 体の線は細く華奢だが、少し出た胸元は豊満な女性であることを思い出させる。

 さくら色の花びらのように柔らかく優しげな印象は、誰かを安心させるものがあった。

 年齢は20歳代前半に見える。その童顔と柔らかな笑顔からは、少女のあどけなさが感じられた。

 女性は、しゃがんで葵と子犬を見つめる。

「実は、子犬の飼い主を探しているんです……」

 葵は事情説明した。

 すると女性は驚くと共に、迷子の子犬を助ける葵に感動した様子で、その目尻が優しく下がっていた。子犬を見つめると、彼女はにっこりと笑った。

「それは大変だったわね。良かったら、私のお店で休んでいかない?」

 女性は立ち上がると、葵に手を差し伸べる。その彼女の笑顔は子供を慈しむ母親のような笑みだった。

 葵が周囲を見ると、ここは小さな喫茶店の前なのを知る。

 手作り感あふれる木のプレートがあり看板には《Cafe de Mon》と書いてある。

 チェーン店ではなく個人経営で、お店はあまり大きくはないが、素朴で温かみのある雰囲気が感じられた。

 入り口の看板には、今週のランチとオレンジケーキのメニューが書いてある。

 このお店は手作りにこだわった喫茶店のようだ。

 雰囲気もだが、手書きの文字の一つ一つからも彼女の細やかな心遣いを感じることができる。

 看板を見るだけで分かる丁寧さだった。きっと心の優しい人なのだろうと葵は思った。

 葵はその魅力的な提案に嬉しく思うが、財布を持っていないことに気づくと申し訳無さそうに首を振った。

「すみません。私、お金を持って無くて。それに……」

 葵は腕に抱いている子犬を連れたままでは、入店できないことを詫びた。

「私、そんなにアコギな女に見えちゃうのかな」

 女性は、わざとらしく悲しくし、気を持ち直して葵に話かける。

「大丈夫、お金なんて取らないわよ。それに今は休業時間だから、子犬も一緒に入れて良いわよ」

 女性は気にした様子もなく、にっこりと微笑んだ。彼女の笑みには愛嬌があり、思わず葵の頬も緩むようだった。そしてこの女性の細やかな気配りに、その心遣いの深さと優しさを知ることができた。

「さあ。どうぞ」

 彼女は、葵の手を取るとお店の中に入るように促した。その彼女の手はとても柔らかく温かかった。

 葵は子犬を抱いたまま、喫茶店の中に吸い込まれていった。

 カランコロンとドアベルの音と共に開いたドアをくぐると、ふわりとハーブティーの良い香りが漂って来る。ハーブの香りがほのかに漂い、それが葵の心を落ち着かせる。

 店内は床も壁も天井も木でできており、温かな印象を受ける。

 カウンターと テーブル席があり小さな四角い木製のテーブルが幾つかあった。

 お店の中はこぢんまりとしているが居心地がよく感じるが、カウンター向こうの棚にある茶葉やコーヒー豆の入った瓶が倒れ、調度品や壁にかけてある絵画なども散らばり、小物が床に散乱していた。

「ごめんね。さっきあった地震で散らかったままなのよ。もう、片付けるように言っておいたのに、サボってるわね」

 女性は少し呆れ口調で呟きながら葵に説明しつつ、テーブル席に案内する。葵は、他に従業員の人がいるのかなと思っていると、女性がミルクを入れた容器を持って現れると、床に置き子犬に与えてくれた。

 子犬は、そのミルクの匂いに誘われるように舌を出すとペロペロと飲み始めた。その様子が可愛くて葵も微笑んでしまう。

「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったわね。私は桜井さくらい双葉ふたば。双葉でいいよ」

 双葉は、自己紹介した。

 葵もミルクに夢中の子犬を見ながら口を開く。

「私、野々宮葵です」

 その様子に双葉は目を細めながら微笑みを返してくれた。

「葵ちゃんか。いい名前ね」

 双葉の優しい声が葵の耳に届く。その言葉に葵は嬉しくなった。

 そして、子犬を撫でて可愛がっている双葉もその様子に見とれていた。

「葵ちゃんは、ハーブティーは好き?」

 双葉はカウンターの奥に向かいながら、葵に話しかける。その声を聞いて、葵は慌てて答える。

「はい。お母さんが好きで、私も一緒に飲むんです」

 葵は、双葉を母親のように慕うようなそんな笑顔を見せた。それはひまわりが咲いたような笑顔だった。

 双葉も微笑みを返していた。それから彼女はポットにハーブを入れてお湯を注ぎ、暖簾向こうにあるキッチンからケーキを用意して来た。

 双葉は葵の前にハーブティーとオレンジケーキを置いた。スポンジケーキの色は少し赤みがかかり、上にはスライスされたオレンジがならべてある。

「生地にオレンジジュースを入れて焼き上げたケーキよ。食べてみて」

 葵は、ハーブティーの香りと湯気が顔にかかると嬉しそうにする。

「いただきます」

 双葉にお礼を言い、葵は早速口に運ぶ。

 一口食べるとオレンジの甘い香りが広がり、生地にもしっかりと風味があった。葵の表情は思わず笑顔になり、目を輝かせてもう一口を口に運んだ。

「おいしいです!」

 双葉は、その様子に微笑むと葵の向かいに座る。

 その表情には喜びが浮かんでおり、それがまたこの喫茶店を気取らないアットホームな雰囲気にしていた。

 すると双葉がから話を切り出した。

 学校で何が好きだとか、部活は何をやっているかなどの学校の話でしばらく盛り上がる二人。

 そのうちに話題は子犬の話になる。

「あの。双葉さんは、この近くで子犬を飼っている家を知りませんか?」

 葵が双葉にそう尋ねると、双葉は少し表情が曇ったように見えた。

「子犬を飼ってるところね。首輪をしているから、どこかだと思うんだけど。私も、この付近で子犬を飼っていそうな家は知らないのよ」

 双葉は少し困ったような表情をする。子犬の飼い主を必死に探していた葵は、双葉の言葉に肩を落とした。

 子犬と出会った時、とても寂しそうな鳴き声を出していたのを思い出す。この子は飼い主と離れ離れになって、きっと心細かったのだろう。

 だから必死に飼い主を探していたのだ。

 葵はそんな子犬の気持ちが分かるような気がしてならなかった。

 双葉もとても不安な表情を浮かべている。

 葵の家はマンションなので動物を飼うことができない。飼い主が見つからない場合、家に連れて帰ることもできないのだ。友達の優愛は一戸建ての家だが、いきなり子犬を飼って欲しいとは、絶対に頼めない。

 葵は、何とか子犬の飼い主を探したいと思っていた。

「……どうにかできなくもないけど」

 双葉は熟考したうえで、葵に言葉をかける。

「何か方法があるんですか?」

 双葉の言葉に、葵は目を輝かせる。その言葉に希望を見いだすことができるかもしれないと。

 そんな葵の気持ちを察して、双葉は真剣な面持ちで頷く。

 葵は立ち上がって、希望に顔を輝かせていると、その表情は徐々に驚きとも恐怖にも似た驚きの表情へと変わっていった。

「どうしたの?」

 双葉は、葵が自分の後ろ。

 背後を指さして震えているのに気付く。葵は震える声で、双葉に伝える。

 子犬も身を固くし、葵と同じ方向を震えながら見つめていた。

 双葉は少し不審げに葵を見たが、ゆっくりと後ろを振り返る。

 そこには先ほどと同じカウンターテーブルと椅子があるだけだ。特に変わった様子はなかった。

 何故、葵がそんな風に、そこを見るのか分からず双葉は首を傾げるのだったが、その直後だった。

 カウンター席の向こう側にフヨフヨとした赤い何かが現れたのだ。

 その何かはゆっくりと空中を浮かぶ。光の屈折で赤く見えただけの生き物。それは透明な水色の丸い体をした何かだった。

 丸くて透明なその物体は、半透明で体の中心には黒い目が二つあり、耳や鼻や口は無いように見える。

 1匹ではない。

 2匹、

 3匹、

 4匹、

 と、その数はどんどん増えていった。

 その赤い生き物は、ソフトボールくらいの大きさで、ふわふわと空中を漂うように店の中を動いているのだ。

 はカウンター向こうの棚にある倒れた瓶や、花瓶からこぼれた水を拭き、壁から外れた絵画を元の位置に戻していった。

 葵は驚きの余りに言葉が出なかった。ただ赤く光る物体が動くさまを眺めていた。

「双葉さん。あれは……」

 と、双葉に目を向けると彼女は両手で頭を抱えていた。双葉は唖然ともイタズラがばれた子供のようにも見える。そんな顔をしていた。

「双葉さん?」

 葵が呼びかけると、双葉は急に立ち上がると、赤く光る物体達に向かって諭すようにした。

「……もう!」

 その一言に、赤く光る物体達の動きにビックリしたものになる。双葉は、そのまま続ける。

「私が出かけてる間に片付けておいて、って言ったのにサボって休んでいるんだから。それに今はお客さんがいるから、片付けるのはキッチンやスタッフルームだけにしてって、いっておいたでしょ」

 赤く光る物体は、動揺しているのか双葉から逃げるように店内をフワフワと移動する。その行動に葵も子犬もビックリして動く赤い物体を見つめてしまう。

「双葉さん。あの赤いの、知っているんですか?」

 葵は恐る恐る尋ねる。

「うん。そうなのよ。あれは、私の魔術で……。って、葵ちゃんが見えるの!」

 双葉は、葵の言葉にハッとして我に返ると、逆に聞き返す。

 すると、葵も素直に頷いた。

「凄い。何の修行も無しにの姿が見えるなんて……。魔術の才能を持って生まれたのね」

 双葉は興奮気味に葵を見る。

 しかし、葵はまだこの状況を飲み込めておらず目を白黒させていたが、いくつかの単語から彼女なりに、双葉の正体を察する。

「双葉さんって、魔術師なんですか?」

 双葉は、葵の言葉に頷くと少し声のトーンを落として真面目な話しを始める。

 その様子に葵も姿勢を正す。

 双葉は覚悟を決めたように、息を吐き出だすと話し始めた。

 その表情には、先程までの穏やかなものとは違い、威厳に満ちていた。彼女からは先ほどまで感じていたほんわかした感じは消えている。

 その変わりように葵も子犬も思わず緊張してしまうのだった。

 双葉は口を開くと真面目な表情で話しを続ける。

「そう、私は魔術師。そして、これは《エジプト赤魔術》の応用なの」

 双葉は、そこまで話すと少し不安気に葵を見つめ、言葉を選びながら続けた。その雰囲気に葵も姿勢を正し、緊張感が漂う中に耳を傾けるのだった。


【エジプト赤魔術】

 7000年前の古代エジプトで行われていた魔術。おそらくは世界最古の体系化された魔術だと言われ、赤魔術とは、レッドデーモンの力を使う魔術。

 古代エジプトでは、目に見えない存在がいることを信じていた。天地創造の神、天使、デーモン。それらは普段見ることができないが、感受性の鋭い人が修業を積むと見ることができるという。

 赤魔術の最大の特徴は、レッドデーモンを使うことにある。その姿は恐ろしく、人間の身体にロバの脚を持ち、大きな羊の様な顔をし、血に染まった真っ赤な目をしている。

 だがそれは、神が定めた正しいことだけを行うデーモンで、人間たちがむやみにやたらにこのデーモンの力を使わないように異形の悪魔の姿をしているのだという。


 葵は双葉の話を聞きながら、徐々に興奮した様子を見せていた。

「凄い! 魔術師がお話の中だけじゃなくて、本当にいるなんて。双葉さん、魔法で子犬の飼い主さんを探して下さい。お願いします!」

 葵は、感激のあまりに身を乗り出し双葉に詰め寄る。そんな葵の迫力に、双葉は押されていた。

 子犬も小さな体で精一杯頷くようにワンと鳴くのだった。

 そんな二人の様子を見ていると、なんだか嬉しくなってしまう双葉だった。

 そして彼女は承諾する決意をするのだった。

「分かったわ。でも魔法を使うのは、私じゃなくて葵ちゃん。あなたよ」

 双葉の言葉に、葵は目が点になった。

「ええー! わ、私、魔法なんて使えません。普通の小学生ですよ」

 葵は、人差し指で自分を指差し、驚きの表情で抗議するが双葉は真面目な顔で話す。そんな彼女に優しく諭す。

「魔術師であるための最も重要な条件は、魔法を使う能力を持っていることよ。そして、魔法とは何かをする必要となる通常のプロセスを辿らずに、何かを起こす技術。それは因果関係と呼ばれるわ。魔法は、もっと直接的な手段で結果に到達し、その因果関係のプロセスを縮めてしまうの。

 私が魔法を使って子犬の飼い主を探すこともできるわ。でも、さっきも言ったように魔法はプロセスを縮めること。子犬の飼い主を探し出したいという気持ちは、私よりも葵ちゃんの方が強いのよ」

 双葉は、そこまで言うとにっこりと微笑んだ。

 葵はそんな双葉をまっすぐに見つめた。その目には先ほどまでの不安げな様子はなかった。彼女は自信を取り戻していた。

 それは自分の中にある可能性と向き合い始めたためだろう。

「分かりました。私、魔法を使って、この子を飼い主さんの元に返してあげたいです」

 そんな葵の様子を見て双葉も満足そうに微笑むのだった。

「手を出して」

 すると双葉をポケットから、小さな粒を取り出す。葵は手を差し出すと、その手に置いた。

「これは?」

 訊いた葵に双葉が答える。

「オレンジの種。赤魔術では、デーモンを仕えさせるのに、実や種子、植物や鉱物などのエッセンスを焚く必要があるの。私のは、応用だからデーモンというより精霊の様な存在。お店で使うフルーツの種を焚いて魔法を使っているの」

 双葉はそういって微笑むと、葵の目を見つめる。

 それにつられるように葵も明るい笑顔を浮かべていた。その表情を見て嬉しそうにする双葉だった。

 そんな二人の様子を見て子犬も尻尾を振って喜んだ。

「葵ちゃん。自分のしたいこと。自分ができることを信じて心に浮かんだ呪文を唱えて」

 双葉の言葉に葵は頷く。双葉はオレンジの種を載せた葵の掌に自分の手を重ねた。

 葵が呪文を口にする。

「……ピールック トウルック マトルック 実りの源 姿を現せ」

 葵が、呪文を口にすると重ねた掌に光が輝く。

 白い気体が立ち上る。

 葵がビックリしていると、そこにオレンジ色の小さな輝きが生まれる。それはみるみる内に大きくなり、その中には丸いオレンジの実に小さな2つの目に口。上部には小さな緑の葉っぱが生えていた。

「凄い。これ私が出したの?」

 葵は、そのオレンジの精霊に目を見開く。

「そうよ。葵ちゃんが、して欲しいことを言って」

 双葉に促されて、葵はオレンジの精霊を見つめる。すると小さな精霊はふわふわと浮かびながら葵を見つめていた。

「子犬の飼い主を見つけたいの。お願いします」

 葵がそう言うと、オレンジの精霊は頷いてフワフワと店の出入り口に向かう。

 そして扉をすり抜けるようにして外に出て行った。

「どこに行くの?」

 葵は子犬を抱いて、精霊の後を追いかけて外に出る。

 精霊は店の前の通りに出ると、そのまま空中に浮かびながら周囲の空気を掃除機のように吸い始めた。

 精霊の身体が風船のように膨らむと、周囲にキラキラしたものが漂う。

 そのきらきらに反応するように、子犬の鼻がピクンと反応した。

 子犬が吠えた。

 葵は、その様子に首を傾げるが彼女は気づく。

「そっか。この子の飼い主さんか、お家の匂いを教えてあげているのね」

 葵は、精霊にそう伝える。すると精霊はその通りだと頷くように空中をくるくると回った。

 その精霊の動作に、思わず笑顔を浮かべる二人だった。

 葵が子犬に話しかける。

「行きましょ。分からなくなったら、また精霊さんが教えてくれるわ」

 そう言って、精霊と子犬と共に葵は双葉の店を後にした。

 しばらく走って、子犬の様子に迷いが見られる。

「精霊さん、お願い」

 葵が声をかけると、オレンジの精霊は頷き空中をぐるぐると飛び周囲の空気を吸って、匂いを引き寄せる。

 すると、子犬が匂いに反応して行きたい方向に向かって吠えた。

「あっちね」

 子犬に導かれるように、葵とオレンジの精霊は進む。

 すると、捜し物をするように周囲を見ながら名前を呼んでいる低学年くらいの女の子と母親の姿があった。

「チロ。どこ!」

 女の子が名前を呼びながらキョロキョロと周囲を不安げに見回している。

 葵は瞬間的に気づいた。

 あの女の子が、子犬の飼い主だと。

 葵は親子に近づき、呼びかける。

「あの。もしかして、この子の飼い主さんですか?」

 すると、女の子は葵の声に反応して振り向いた。

「チロ!」

 子犬の顔を見ると、女の子は驚きの表情で、駆け寄ってきた。

 女の子は嬉しそうに犬を抱きしめるのだった。

 親子は事情を口にする。

 自宅の庭で子犬と遊んでいると、地震の揺れにビックリした子犬は、庭から飛び出してしまったのだ。

 女の子は、懸命に追いかけたのだが見失って、彷徨っていた時に、こうしてチロと再会したのだ。

 葵が事情を話し終えると、女の子のお母さんは、お礼を述べて去っていった。

 残された葵は嬉しそうにオレンジの精霊を見て微笑みかけるのだった。

「ありがとう。精霊さん」

 オレンジの精霊は嬉しそうに葵の周りをくるりと回ると、役割を終えたのを感じたのか消えていった。

 せっかくできた友達のような存在が消えたことに、葵は悲しいものを感じていると、肩を叩かれた。

 見上げると、双葉がそこに居た。

「双葉さん……」

 葵が声をかけると、双葉は頷く。

「よかったわね」

 双葉は小さな魔法使いを褒めた。

「……でも、精霊さんが消えちゃいました」

 葵が、寂しそうに言うと双葉はニッコリと微笑む。

「消えた訳じゃ無いわ。また会えるわよ」

 双葉の言葉に、葵は目を輝かせる。

「双葉さん。私、魔法を使って困っている人を助けてあげたいです」

 葵の言葉に、双葉は満面の笑顔で頷くのだった。

 その笑顔を見て、葵も嬉しそうに双葉に微笑む。なんとなくだが、魔術師になったように感じていた。

 双葉はそんな葵の思いを読み取るかのように、優しく彼女の頭を撫でるのだった。

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