2

 生命あふれる山の中、世界から行方をくらませたヒトが一人。

 

 男は集落を通り抜け、山の奥深くへと歩みを進めていた。どんなモノに出くわすかわからないため、未だ姿を隠したままであった。

 

 山は活発にうごめいていた。風に揺れてさわやかな音を立てるかしの木、穴から外の様子をうかがうたぬき。泥浴び後だろうか、木に身体を擦り付けるいのししの姿もある。地面には雑多な昆虫が這いまわっており、空にはそれらを狙う鳥たちが目を光らせている。

 

 もっともこれらは普通の生き物。男の眼には別のモノも見えていた。

 老木に宿る木霊こだまの姿、足元を風のように一瞬で通り過ぎるくるぶしほどの精霊たち、空気中を漂う虫のようなもの。そして足元を流れる、まるで龍の姿のような星のエネルギーの流れ。


「やはりここは龍脈か。どうりで地中を流れるせいが多いわけだ。それに応じて魔力濃度も濃い。現代でここまでの場所は珍しい。普通の人間が調子を崩すのも無理はない」

 

 この場所は光輝く星のエネルギーの流れ、つまり星気が満ちていた。星気は生命の源である。星気は星の誕生時から大地を循環している。何らかの形で星気を含んだものを摂取することで、生物は誕生し、成長する。そのため、地球上のものは皆微量ながら体内に星気を宿している。

 

 珍しいモノに目を引かれながら歩いていると、山の尾根に出た。

 男は近辺で一番背の高い木を見つけると、慣れた様子でするすると高所まで登ってしまった。


「ちょいと失礼するよ。さて、何か里のようなものは見えやしないか」


 今まで来たのとは反対方向に目をやると、一瞬で異常が目に入った。


「なんだありゃ! これは驚いた。とてつもなくでかい結界だ。こんなものは見たことがない。いや、そもそもどういう原理で成立しているんだ」


 男は一人驚嘆の声を上げた。

 

 山間の小さな盆地を中心にしているのだろうか、周囲一帯の山々まで覆う、ドームのような結界が見える。白い膜で覆われ、淡い光を発しているその場所は、決して外から中を窺うことを許してはくれず、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。

 

 周囲の山々を流れる龍脈が、結界の中心へと流れ込んでいる。それは光輝く鱗をもつ巨大な龍が、おどろおどろしく蠢動しているようにも見えた。結界の中心は、いくつかの龍脈が交わるりゅうけつのようだ。

 

 結界の周囲からは、まるで太陽から吹き出す紅炎こうえんのように、星気が湧き出ている。


「ふむ。これは魔力で作られたものではないな。周囲の龍脈を利用した、星気で直接作られた結界か。まさしく神の御業みわざだな。魔術師による仕業……の線は薄いか」

 

 男の推測は至極真っ当なものだった。そもそも魔術師でさえ星気の流れが見えるものはほとんどいない。ましてや星気を用い、これほどまでに巨大な結界を張ることは不可能といえる。

 

 一体結界の中に何が待ち受けているのか。男は胸の高鳴りを抑えきれずにいた。午後2時ごろ。彼は結界の内部を目指し再び歩き出した。



 

 時刻は夕方に差し掛かろうとしていた。結界の近くまでやってきた男は、湧き上がるエネルギーの奔流ほんりゅうに怖気づく。結界を中心に、星気が時計回りに流れていた。


「なるほど。この流れに沿って、少しずつ近づいていかないと、外縁に触れることはできないのか。それにしてもこの星気の量、普通の人間なら死んじまう奴もいそうだな」


 世界の表層から姿を消した男は、またしても一人で呟いた。彼は孤独に慣れすぎていた。一人でいる時間が長いためだろうか。いつも傍にいる虚無こそが、彼の心に安寧をもたらす愛すべき隣人だった。

 

 星気の流れに逆らうことなく、少しずつ結界へと近づいていく。結界を観察すると、所々効力が弱まっている箇所が見受けられる。何かしら結界の維持に問題が起きているようだ。


 結界について考えを巡らす男の脳に、安寧を乱す声が響く。


「なんなんだこの声は。よく聞き取れない。しかも一つじゃない」

 

 男を歓迎しているのか、それとも拒絶しているのか。何かを伝えようとしているその声達は、静かに彼のしんおうに侵入しようとしていた。

 

 声の正体を思案しながら、ついに結界の外縁に辿り着く。恐る恐る手を触れると、男は一瞬世界が裏返ったような感覚を覚えた。

 

 気が付くと闇に抱かれていた。身動きを取ることは不可能だ。しかし遠く遠く、男の背後と行く手には、それぞれわずかな光を感じる。ここは何かのはざまなのかもしれない。


「そなたは里にあだなす者か? 答えろ」

 

 どこからともなく声が聞こえる。答えなければならない、無視することは許されないと男は直感で理解した。それは紛れもない上位存在からの問い掛けであった。


「私はルカといいます。しがない旅の者です。里に危害を加えるつもりは毛頭ありません。ただ、知りたかっただけなんです。この場所に何があるのかを。私が来る前と帰った後じゃ、里は何も変わりはしませんよ。私は何もしないし、そもそも何もできません」


 男は堂々と答える。これは実際、彼の本心であった。


「その言の葉、努々ゆめゆめ忘れるなよ。まあよい。そなたが来ることは知っていた。おそらく心根こころねの優しい者であるということも。許す、通るがよい。里の者もそなたを歓迎するだろう。行く先は分かっているな」

 

 口調はそれなりに優しいが、こちらに有無を言わせない圧があった。

 

 なぜ自分が来ることを知っていたのか、どこに行けばよいのか、あなたは誰なのか、その他諸々の聞きたいことを、ルカは固唾と共に飲み込んだ。


「ああ、ありがとう。忘れないようにします」


「そういえば、その布はここでは必要ない。取っていけ。陰から戻ってこれなくなるぞ」

 

 鬼の生き残りがいるかもしれない場所に行くというのに、姿を隠すなという無理な要求。しかしまたもルカは反論する気にはならなかった。


「ご忠告どうもありがとう」

 

 被っていた布を取り去り、リュックへとしまい込む。ルカは久方ぶりに世界へと姿を現した。もっとも、もはや世界は別のモノに成り代わっていた。


 行く先はおそらく、彼の眼が見据える場所。遠くに光る穴のようなものがある。それは桃源郷の入り口か、はたまた地獄の門か。これから起こる出来事に思考を巡らしていると、彼はいつの間にか光の前に立っていた。


「いったい何が待ち受けているのやら」

 

 ルカは覚悟を決めて、光の中へと飛び込んだ。

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咎の行方 春分秋分 @yuyuyu_library

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