死刑囚暮安洋悟は本当に誰も殺していなかったのか?

うたう

『殺害0の死刑囚』

 八月某日午前、暮安陽悟くれやすようごの死刑執行を伝えるニュース速報に筆者は愕然とした。

 刑事訴訟法475条に死刑は判決が確定してから六ヶ月以内に執行しなければならないと定められている。しかし半年以内に執行されないのが実情である。

 暮安の死刑は、判決確定から六ヶ月を少し過ぎた頃に執行された。この執行に、筆者はなんらかの事情や意図をつい勘ぐってしまう。そして暮安の存命中に記事にすべきではなかったかと後悔している。

 ただ、こうして筆を取った今も暮安が真実を語ったという確信はなく、筆者を担ぐために妄言を放ったのではないかとの思いもある。暮安は筆者に嘘を吹き込み、筆者の記事を以て世間を騒がしてやろうと画策したのではないか、とそんな疑念を消せないままに書いた記事であることをどうか理解していただきたい。

 この記事は過去の事件の真相を暴くものではなく、ただ拘置所で暮安が筆者に語ったことを記したものに過ぎないとはっきり申し上げておく。筆者なりに調査をしてみたが、暮安の言葉を裏付けるまでには至らなかった。



 ある週刊誌が暮安のことを『殺害0の死刑囚』と称したが、事実、暮安はどの事件においても殺人罪には問われていない。暮安は九つの殺人事件と一つの殺人未遂事件において、それらの教唆犯として裁判にかけられた。

 故に尚のこと罪深いと語った識者もいたが、いずれの事件も実行犯はいじめを苦にしていた少年少女であった。実行犯は全員、暮安が運営していた悩み相談サイトの利用者であり、いじめの苦悩を繰り返し投稿していた。暮安は個人的に彼らと連絡を取り、メッセージアプリなどを用いて言葉巧みに解決方法を提示したのだ。つまりいじめっ子の排除――殺害である。

 年端がいかぬとはいえ、暮安の言葉を鵜呑みにして素直に犯罪に手を染めた者はおそらくいなかっただろうと思う。暮安はどの事件においても実行犯の話を親身になって聞いていたようである。いじめっ子の性格や生活習慣、交友関係などを訊き出し、どのケースにおいても実際に彼らの生活圏へと赴いて下調べをしていた。そうやって暮安は殺害に最適な場所や方法を策定していったのだ。

 徐々に計画に具体性を帯びさせていく暮安のこうした手法に、筆者は子どもを後にひけなくさせる、いわば外堀を埋めるような狡猾さを覚えたが、唆されて犯罪者となってしまった子どもたちの多くはそうは思わなかったようである。これまでに五人の少年少女が取材に応じてくれたが、皆口々に当時は暮安のことを心強い味方だと思っていたと語った。

 幸か不幸か、暮安には犯罪プランナーとしての才能があったのかもしれない。九番目の事件までは、事故として処理されたり、通り魔事件として犯人をなかなか特定できなかったりと暮安はおろか、犯罪を実行した子どもたちでさえも捜査線上にあがってはいなかった。

 ところが暮安が手掛けた十番目の事件における実行犯鹿原少年(仮名)が、ターゲットのいじめっ子に浅い切り傷しか付けられなかったことで一連の事件は明るみに出ることとなった。

 ターゲットの釘村少年(仮名)は週に三度、放課後に隣町の塾へとバスで通っていた。塾の終える時間は二十一時前であった。釘村少年は母親にバスを降りた後は明るい大通りを迂回して帰るように言われていたにも関わらず、中学生にしては体格のよかった釘村少年は遠回りを嫌って、外灯のない近道を使うのが常だった。

 その暗がりで襲撃するのが鹿原少年に授けた計画だった。鹿原少年が駆け寄る足音は釘村少年の耳にあるワイヤレスイヤホンがかき消してくれるはずであった。しかし暗がりであったため、鹿原少年には釘村少年の耳にワイヤレスイヤホンがないことに気づかなかった。釘村少年のワイヤレスイヤホンはバスの中で充電が切れ、このとき十分に周囲の音に注意を払える状態にあったのだ。

 釘村少年はただならぬ足音に振り返り、驚いた。なんせ駆け寄ってくる者の手に握られていたナイフが月光を反射したのである。咄嗟に身を捩って転げたが、刃が二の腕をかすめた。

 釘村少年は仰向けに後ずさりながら、それでも恫喝した。虚勢であった。筆者の取材に、釘村少年はなんと叫んだか覚えていないと答えている。おそらく、「なにしやがる!」だとかそういった文言を叫んだと推測されるが、日頃いじめに遭っていた鹿原少年には覿面であった。仕留めそこない、怒鳴りつけられた鹿原少年はわずかに悲鳴をあげて、手にしたナイフを放り投げて逃げ出してしまった。

 こうして一連の事件は鹿原少年を糸口に全容を顕すこととなった。鹿原少年は警察の聴取にすぐさま暮安の存在を明かしたが、暮安がどこの誰であるのかは知らなかった。いじめっ子殺害の計画を立案してくれた存在であり、住居の近所の植え込みにナイフを潜ませ、鹿原少年に凶器を与えてくれた協力者ではあったが、その姿を見たことはなかった。性別も分からなければ、年齢も不明であった。

 しかし鹿原少年の事件が何者かに唆されて起こした事件であると発覚し、そのことが報道されると、まるで魔法が解けたかのように沈黙を保ってきた、これまでの九つの事件の実行犯たちが次々と保護者にともなわれて警察署を訪れたのである。当然、共通点である暮安が運営するサイトの存在は警察の知るところとなり、彼ら実行犯と個人的にやりとりをしていた者の存在も浮かび上がった。北は北海道、南は九州に渡る事件に一連の繋がりがあったことを報道機関は驚きをもって伝えた。

 ただ暮安は実行犯たちとのやり取りには、主に匿名性の高いメッセージアプリを用いていたため、すぐさま人物の特定までには至らなかった。

 暮安が捜査線上に浮上したのは、防犯カメラの映像からである。管轄を跨いだ合同捜査が始まると各事件現場付近のカメラ映像が持ち寄られた。各事件現場付近の映像を事件発生から数日前まで遡って確認していたところ、ある捜査員が同一人物が映り込んでいることに気づいたのだ。三重県伊勢市で起きた事件と山口県防府市の当初は事故として処理された事件の現場付近の映像に映り込んでいただけなら、偶然という可能性はまだあったかもしれない。しかしその人物は静岡県藤枝市、北海道千歳市、鹿児島県鹿児島市、それぞれの事件現場付近の映像にも映り込んでいたのである。念入りに調査した結果、その姿は十全ての現場付近の映像に認められた。この人物とは当然暮安のことである。

 捜査員らは各地の宿泊施設で聞き込みを行い、そのいくつかを特定したが、宿泊名簿にはそれぞれ別々の出鱈目な内容が記載されていた。ただ筆跡までは偽ることができず、これらの記載は後に裁判で暮安が下見に訪れた証拠として採用されている。

 暮安は愛知県知多市を二度訪れている。知多市は第一の事件の地である。一度目は事件の一ヶ月ほど前に、そして二度目は事件の六日前であった。この理由を暮安は計画にぬかりがあるように思えたので、念のために間隔を空けて下見を重ねたと供述している。

 暮安は一度目と二度目でそれぞれ別のホテルに宿泊した。ただ二度目以降は宿泊予約サイトで空室状況を確認して飛び込みで宿泊していたのに対し、この一度目のときだけは電話で予約を入れていたのである。電話口で求められた住所氏名等に暮安は嘘を答えている。

 応対した従業員は告げられた電話番号とナンバーディスプレイに表示された数字が違うことに気づいたが、仕事用と私用とで携帯電話を使い分けているのかもしれないと思い、確認はしなかった。ただそうであるのならどうして連絡先として示した番号の携帯電話で連絡してこなかったのかと少々不思議に思いながらも、従業員は念のためにナンバーディスプレイに表示された番号を予約台帳のメモ欄に入力した。

 翌日フロントで暮安の宿泊手続きを行ったのもこの電話応対した従業員であった。電話番号の件があったため、暮安は他の宿泊客よりもいささか気に留める存在であったようだ。とはいえ、何事もなくチェックアウトしてホテルを去ったため、暮安のことは記憶の奥底に沈められていた。この従業員が暮安のことを思い出したのは、勤務先のホテルに捜査員が聴き込みに訪れたときだった。ニュース番組で防犯カメラに映った暮安の姿は何度か目にしていたが、従業員はあのときの客だと気づくことはなかった。しかし不明瞭であったため、あまりニュース番組では流れたことのなかった映像を捜査員に見せられたとき、映り込んだ人物の髪をいじる仕草から、ひょっとしたらあのときの客かもしれないと、従業員は二年以上前に応対した暮安のことを思い出したのだ。

 暮安の携帯電話の番号が割れ、それを足掛かりに逮捕に繋がった。

「客商売の人の記憶力を甘く見ていたのかもしれませんね」とは暮安の言葉である。


 教唆犯は正犯の刑を科すと定められている。つまり、暮安自身は殺人や殺人未遂を犯していなくても、実行犯と同等に扱われるのである。一審の判決は死刑であった。

 暮安と弁護団は即日控訴した。

 筆者が暮安と面会したのは、一審を終え、二審が始まるまでの間に三度だけだ。

 三十分もない面会時間の中で話せることは限られている。一度目の面会では挨拶と雑談でほとんどの時間を消費せざるを得なかった。聞きたいことばかりを投げかけて暮安に心を閉ざされてしまっては元も子もないからである。和やかな雰囲気を醸し、まずは打ち解けることが必要だと割り切った。訊き出せたのは、鹿原少年についてのことがせいぜいであった。

 鹿原少年の事件以前に暮安が計画した九つの事件では、ターゲットを殺害に至らしめ、尚且つ暮安の存在はおろか、実行犯を姿を捕らえることさえも警察はできていなかった。鹿原少年の立ち回りが違えば、暮安は逮捕を免れ続けていたかもしれないのだ。さぞや鹿原少年に恨みのひとつでも抱いているだろうと思ったが、暮安の口から飛び出したのは謝罪の言葉だった。

「もっと綿密にもっと慎重にプランを練っていれば、鹿原君が捕まることはなかったはずです。こんなことになってしまって、鹿原君だけじゃなく他の子たちにも申し訳なく思ってます」

 取り繕ったきれい事のように聞こえるが、口調や表情から暮安は本当にそう思っていたように筆者は感じた。

 二度目の面会のとき、暮安はフィリップ・マーロウの『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』というセリフを口にした。それが殺人を教唆した理由であると暮安は語った。

 暮安が教唆した少年少女たちは皆、自殺を考えるところまで追い詰められていた。暮安はその兆候を自身の運営する相談サイトの書き込みから察知していた。実際、取材に応じてくれた子たちは、暮安からのコンタクトがなければ、自ら命を絶っていたと思うと口を揃えた。

「他人を死の間際まで追い込んでいたら、もはや遊び半分だったという言い訳は通用しませんよ。それほどのいじめをそれでもやりたいのであれば、文字通り命懸けであるべきです」

 だからといって、いじめっ子の命を奪っていいはずもないが、一連の事件のネット記事のコメント欄に、犯行に及んだいじめ被害者を擁護する声はたくさん聞かれたし、あまつさえ復讐劇を褒めそやす書き込みも少なくなかった。残念なことに暮安のように考える人間は一定数いるのかもしれない。

 今いじめを行っているあなたは、自らの命を賭けてまでそのいじめをするか熟慮して行いを改めてもらいたい。そしていじめの被害に遭っているあなたは、殺られる前に殺るというような物騒な考えは持たないでもらいたい。勇気をもって、たくさんの人に相談しよう。それであなたの未来はずっとずっと明るくなる。

 閑話休題。筆者を悩ませることとなる三度目の面会である。

 筆者の顔を見るなり、挨拶もなしに暮安は言い放った。

「世間では誰も殺していないようなことになってますけど、実は違うんですよ」

 そして、暮安は三十年以上前の◯◯中学校集団毒殺事件の“真相”を語り始めた。


 以下は、暮安の証言を元に暮安の視点で書いたものだ。

 三度目の面会後、程なくして二審が始まった。筆者としては二審後に改めて取材をするつもりでいたのだが、予想に反して、暮安は上告しなかった。ひょっとしたら、筆者との面会後、暮安はマーロウのセリフを何度も自身に問うたのかもしれない。二審での暮安は抗弁の意志を感じさせなかった。死刑が確定し、暮安は死刑囚となった。死刑囚となってしまった以上、筆者が暮安に面会することはもう許されなかった。

 取材不足であるが故、曖昧な部分や不明瞭な部分があるが、憶測や推測を交えず、あえてそのままにした。



 退屈だけがずっと傍にいた。

 幼少期の暮安には友人がいなかった。周囲と比べて遥かに知的だった。しかし自分が優れているのだとは思わなかった。ごっこ遊びに興じる同級生をただ自分とは違う生き物だという目で見ていた。

 暮安は小学六年生のとき、私立中学に入学すれば、退屈とおさらばできるかもしれないと希望を抱いた。

「難しい試験を突破した子ばかりが通う学校だから、きっと気の合う友達ができるわよ」

 母親のそうした言葉を信じたのだ。かくして暮安は地区で一番の難関校に合格した。必死に受験勉強した記憶はなかった。

 別天地での生活が始まると浮き立った暮安だったが、中学生活三日目で退屈の気配を感じた。一ヶ月もすると別天地と信じた私立中学校は、元いたところと変わらない退屈なところだと気づいた。違いがあるとすれば、それから程なくしてあった中間テストで、暮安よりもいい点を取った人間が二人いたことだった。一人はクラスメイトで教科書を読みながら、給食を食べるような男子だった。もう一人は別のクラスの女子だったが、昼休みに興味本位で彼女のクラスを覗いたところ、彼女はひとり、談笑するクラスメイトを余所に参考書の問題を黙々と解いていた。

 そして暮安は不登校になった。失望したからだ。世間はこんなものだと思いながら送っていた小学校生活よりも、夢見た理想郷がハリボテであったことのほうが堪えた。同じ退屈をするのなら、自宅でしたほうがいい。居間の金魚の水槽を眺めているほうがずっと退屈しのぎになると思った。

 実際には、自宅から自転車で二十分ほどのところにあった図書館で無造作に本を手に取っては借りて帰り、自宅でそれらを片っ端から読み漁った。吸収力はとてつもなかったが、知的好奇心が旺盛だったというのは違うだろう。探究心は退屈とは無縁だ。あくまで退屈しのぎに過ぎなかった。

 二学期半ば、母親と共に学校に呼び出された。応接室には、教頭と担任の教師がいた。担任教師は、教頭の顔色を窺いながら、暮安に困っていることがあるのなら、遠慮なく相談しろと言った。暮安は無言で押し通した。退屈で困っていると返せば、説教されるかもしれないと思ったからではない。端から彼には理解できないだろうと思ったのだ。

 担任教師は暮安がまた登校すると宣言するまで説得を諦めないつもりのようだったが、途中で教頭が割って入った。担任教師と違って、教頭の話は端的だった。登校しないのであれば、転校してもらうしかないという主旨だった。時代的にもそうであったが、暮安が通っていた私立中学は特に不登校に寛容ではなかったのだ。

「では退学します」

 暮安は即答した。転校する気はなかった。うつった先でもどうせ退屈する。     この生活が変わることはないと思った。

 母親は暮安の不登校を容認していたが、本心ではせっかく合格した難関中学であるのだからきちんと通って卒業して欲しいという思いがあったのかもしれない。母親は教頭にもう少しだけ時間をくれないかと掛け合った。暮安の回答があまりにも早かったせいか、最後通牒を突きつけた教頭でさえ、狼狽え気味に「君の人生のことだ。もっとよく考えたほうがいい」と諭す始末だった。しかし暮安の考えは変わらなかった。

 結果から言うと退学はできなかった。義務教育という制度がある以上、学校としても転校先を定めずに暮安を放逐するのは難しかったのか、暮安の処分が決まるまで面談から二週間を要した。結局、暮安は転校することとなった。同級生の顔ぶれが知れている、自宅付近の公立中学校ではなく、こんな選択肢もあると両親に示された、山奥にある祖父母の家から通える中学校を暮安は選んだ。全校生徒が八人しかいないと聞いて、興味が湧いたからだ。また祖父母の家での暮らしは、今より不便なものになるだろうことにも期待した。不便であれば、退屈を感じる暇はそうないかもしれないと思った。

 井上浩(仮名)というクラスメイトがいた。

 暮安は転校する前に机の中に置きっぱなしになっていた私物を回収するために数ヶ月ぶりに教室へと足を踏み入れた。そこで井上へのいじめを目撃したのだった。小突いたり、頬を叩いたりしては、笑いながら五人掛かりでボール回しをするかのように井上を突き飛ばし合っていた。井上は垂れ気味であった眉をさらに下げて、ひきつった笑みを浮かべていた。

 突然の暮安の登場に教室内がざわつくと、五人の動きは止まった。暮安は久々に見る教室に何の感慨も覚えなかった。暮安は周囲の視線を気にすることなく、自分の机の中に入っていたものをすべて机の上に出した。筆記用具などの私物の他に、暮安が通っていなかった間に配られたものだろう、様々なプリントも入っていた。一番上にあった給食の献立表を目にしたとき、暮安は不意に身震いした。何かが嵌ったと感じた。

 思えば、中学生活への失望を決定づけたのは、井上へのいじめの兆候を察知したときではなかっただろうか。母親は気の合う友人ができるはずだと言っていたが、学力があったところで人の営みとはこうなのだ。野蛮で窮屈で、そして退屈だ。

 机の上のものを鞄に詰め込んで、暮安は井上のところへ向かった。「井上をちょっと借りるよ」と断って、井上を教室の外へ連れ出した。暮安が転校することを井上は知っていた。朝礼のときに担任教師が告げていた。

「君に置き土産をしようと思うんだ。だから明日は学校を休め」

 井上とまともに会話したのは、このときが初めてだった。井上はきょとんとしていた。翌日登校しないように念を押して、暮安はその場を去った。職員室に向かい、担任教師に会って、申し訳程度に挨拶をすませた。去り際についでのように井上へのいじめを報せると、担任教師は初めて知ったかのように嘯いた。見て見ぬ振りをしたのだと暮安はその表情から見て取った。

 暮安は帰宅すると私服に着替えて、また中学校がある方面の電車に乗った。通っていた中学校は海辺に近いところにあった。中学校の最寄り駅をひとつ乗り過ごし、海に近い駅で下車した。午後三時前だったが、寒くなり始めていた季節ということもあって遠くに見える砂浜には人影がふたつばかししかなかった。目的地であった防波堤に釣り人の姿はなかったが、目当てのものは見つかった。防波堤のコンクリートの上に、釣り上げられて打ち捨てられたクサフグが三匹いた。暮安はレジ袋にクサフグを放り込み、口を縛って持参したリュックに入れた。

 クサフグの解体は自室で行った。台所の包丁を使う気にはなれず、カッターとはさみを用いた。食すための解体ではなかったから、その二つでも事足りた。ゴム手袋をつけた状態ではさみやカッターを使うのは難儀したが、三匹目を解体する頃にはコツも掴んでなかなか上手く内臓を取り出すことができた。下敷きをまな板代わりにして、定規を使ってクサフグの内臓をすり潰した。それから台所へ行って、冷蔵庫にあった栄養ドリンクを飲み干した。甘い癖のある液体が体に染み渡る気がした。空き瓶を濯ぎ、少量の水を注いで、部屋に戻った。空き瓶にすり潰した内臓を入れるのは、それほど難しくはなかった。瓶を振って、すり潰した肝を水と混ぜ合わせた。

 翌午前十一時前に駅へ向かった。駅に向かう途中、暮安はクサフグの残骸を川に投げ捨てた。クサフグの残骸はすぐに流れに呑まれて消えた。

 学校に到着したのは十一時半過ぎだった。その日の給食はもう配膳室に備えられていた。暮安はハンカチを手に、自身のいたクラスの札がかかった棚の容器の蓋を開けた。バケツのような形状の金属製の容器から湯気が立ちのぼり、カレーの香りが暮安の鼻腔をくすぐった。カレーの中に暮安は持参した瓶からクサフグの内臓を注ぎ入れた。容器に備え付きのレードルはあったが、素手で触るのは躊躇った。少し経つと幸いにも内臓を混ぜた液体は褐色のカレーの中に上手く紛れた。

 配膳室を出て、暮安は自分のクラスのほうへ向かった。暮安の言いつけ通りに井上が欠席したか気になったからだ。

 教室を覗いて、暮安は動揺した。井上が教科書を広げていたのだ。このままでは井上まで死んでしまうかもしれない。

 いや、念を押して忠告したのにも関わらず、のこのこ出てきた井上が悪い。井上だって退屈の一部だったではないか。暮安はそう自問自答しつつも、置き土産をしてやると言った手前、井上は生かすのが筋だと思った。

 トイレの個室で、暮安は四時限目の終わりを告げるチャイムを待った。チャイムが鳴って、給食が教室に運び込まれたであろう頃に暮安はまたクラスへ向かった。廊下から井上に囁きかけて、手招きをした。しかし暮安の声は、教室内に広がる談笑にかき消され、井上は暮安に気づかなかった。

 井上の机にはすでにカレーの椀が置かれていた。井上の元へわらわらと五人の男子が集まってきた。男子のひとりが言った。

「スペシャルトッピングだぜ」

 暮安は井上の椀に目を凝らした。そして口元を綻ばせた。椀の中で黒い虫が溺れていたのだ。これなら井上がカレーを口にすることはないだろうし、口にしなくてもこれから起こることの疑いはあまり向かないのではないかと思った。

 帰途、クサフグの内臓が入っていた瓶を駅のゴミ箱に捨てた。

 無事に食中毒事件が起きたことを暮安は夕方のニュースで知った。教師を含む、十一人が死亡し、他にも複数名が意識不明の重体であると伝えていた。井上が無事であるのかはニュースを聞いただけではわからなかった。

 夕方に食中毒だと報じられていた事件は、夜のニュースでは集団毒殺事件と名を改めた。被害者の胃の内容物からテトロドトキシンが検出されたからだ。

 暮安の横で同じニュースを見ていた母親は震えていた。暮安の仕出かしたことであると知っていたとは思えない。不登校であったとはいえ、息子のいた学校で起きた事件であったことに慄いたのだろう。絶対に捕まらないという自信が暮安にあったわけではなかった。そう遠くない日に暮安は逮捕されるかもしれない。そのとき母親は壊れてしまわないか、暮安は少しだけ気の毒に思った。

 暮安は、事件から二十日が過ぎた頃に警察が自身のもとへやってくるだろうと踏んでいた。暮安は不登校の生徒ではあったが、クラスメイトと諍いがあったわけではない。クラスメイト全員を殺害しようとするほどの動機を抱えていたとは警察も考えないだろう。加えて、他県の祖父母のもとへ引っ越してしまっていたら、暮安の関与を強く疑わせる痕跡が見つからない限り、聴取は後回しにされるだろうと思った。

 当初の予定通り、全校生徒八人の中学校に暮安は転校した。退屈だとは思わなかったが、それは満たされた学校生活だったからというよりは、いつか警察が自分のところへやってくるという緊張感があったせいだろう。

 結局、暮安のもとへ警察が訪ねてくることはなかった。事件は思いもしない解決をみた。いじめられていた生徒――筆者が調べたところ井上に間違いない――による復讐を兼ねた無理心中事件だったと片付けられたのだ。

 その根拠をワイドショーは、の両親が警察に提出したノートにあると伝えていた。遺品整理をしていたの両親がを記したノートを見つけ、迷った末に警察に届けた。ノートには様々な復讐の方法が記されていて、その中のひとつに事件そっくりな給食のカレーにフグの毒を混ぜるというものがあったのだ。

 その後、どのような捜査が行われたのか、報道からは窺い知ることはできなかった。が死亡していたこともあって、捜査は辻褄を合わせるようなものだったのかもしれない。



 暮安の話をもとに私立中学で起きた集団毒殺事件について県警に問い合わせたが、すでに解決済みの事件であると取り付く島もなかった。なお、事件は被疑者死亡のまま不起訴となっており、裁判は行われていない。

 余談ではあるが、今でいうところの食育を売りにしていた、この私立中学校は、集団毒殺事件を機に給食を廃止した。


「井上は、自分で成し遂げるつもりだったんでしょうね」

 暮安は最後にそうぽつりと呟いた。

 暮安は真実を語ったのだろうか――。

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死刑囚暮安洋悟は本当に誰も殺していなかったのか? うたう @kamatakamatari

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