第22話
善兵衛は竹次郎の首に巻き付けた
「……松兄さん、なんで止める? 一思いにやってくれ! 頼みます」
暗闇の中で、水面が静かに揺れている。地面に置いた
「竹ぇ、無理だ。殺すことなんぞできるわけがねえ」
竹次郎は振り向いて、善兵衛にすがりつく。
「おれはもう駄目だ。どうやっても、まともに生きちゃいけねえ。何度も何度も
「竹、お前はくずなんかじゃあねえ」
「……くずだよ。松兄さんも今手にかけようとしたじゃあねえか」
かける言葉を探したが、善兵衛はなにも言い出せなかった。
「自分で死んでしまおうかとも思った。でも、おれたち
善兵衛は首を振った。
「……いや、それは勘弁しておくれ」
竹次郎は首の組紐を掴み、必死の形相で善兵衛に詰め寄った。
「おれを殺さなきゃ、切支丹のことは黙っちゃいねえ! 松善もお終いだ!」
「お前は、お前はどこまで、おれを苦しめりゃ済むんだ!」
善兵衛は組紐を拳に巻き付け、両腕に力を込めた。
「……すまねぇ。でも、これしかねぇんだ」
竹次郎は泣きながら、オラショを唄いだした。
あー参ろうやな 参ろうやなあ
パライゾの寺にぞ参ろうなあ
竹次郎が
善兵衛の告白を聞いた後で、左内は
「お主の言うことが本当なら、竹次郎に殺すように脅されたということか? どう思う? 釼一郎殿」
顎をさすりながら釼一郎は言った。
「うーん、竹次郎の死体には
ことさら自分の告白を主張することもなく、善兵衛は落ち着いた調子で答える。
「佐吉は茶屋の小娘にうつつを抜かし、金に困って蔵の中の観音像を盗もうとしておりました。あたくしなりに佐吉はかわいがっておりましたが、それは佐吉には伝わってなかったようでした。佐吉の性根の悪さと、竹次郎の性根の悪さが重なり、どうしても我慢がなりませんでした……」
左内はフンと鼻を鳴らして言った。
「死人に口無しというからな。どこまで信用して良いものか。お主と虎吉で
善兵衛はゆっくりと
「わかりました。……ですが、明日でもよろしいでしょうか。今日は、とても疲れました……」
左内がちらりと視線を送ると、釼一郎は小さくうなずいた。
「まあ、良いだろう。明日また来る」
左内と釼一郎は、善兵衛の牢を後にした。左内は牢番に声をかける。
「だいぶ、素直に従っている。あまり手荒なまねはせぬようにな」
「はい!」
若い牢番は
「切支丹というのはなかなかに
「解釈は人それぞれでしょうからね。善兵衛の解釈が果たして切支丹の教えであったかはわかりませんが……。苦しみの中で見出した答えであったんでしょうね」
左内は胸を張って答える。
「その点、
釼一郎は左内の言葉に何も答えなかった。
その時、一人の
釼一郎はクンクンと鼻を鳴らして振り向いたが、同心は牢の方へ向かって廊下の角を曲がって行った。
牢屋敷の門から出ると、左内が釼一郎に問いかけた。
「釼一郎殿どうしたのだ? 先ほどから浮かない顔をしているが」
釼一郎は目を瞑ったまま答える。
「いえね、さっきすれ違った同心が気にかかるんですが……。あの同心はなんという方ですか?」
「うん? 誰のことだ?」
「先ほど、すれ違ったではないですか。左内殿も会釈を返した」
「ああ……。おや、誰だったかな」
左内は首を捻った。
釼一郎は同心の姿を思い出していた。同心が両手を
「あの同心! 右腕が!」
「どうした釼一郎殿!」
「いかん! 早く善兵衛さんのところへ!」
釼一郎と左内は、慌てて善兵衛の牢へと戻った。
牢の前には、若い牢番が倒れている。
釼一郎が駆け寄ると、牢番は
「釼一郎殿! 善兵衛は?」
左内の問いかけに、釼一郎は頭を振って答えた。善兵衛は心臓を一突きされ、胸には血が
同心は周りを確認しながら、早歩きで
その厠から出てきた男は、
牢屋敷の門番に会釈をすると、門番は鼻を
釼一郎と左内は、一足遅く牢屋敷の門へと辿り着いた。
左内は門番に詰寄る。
「今、怪しい同心が通らなかったか?」
門番は左内の
「いえ、通りませんでしたけど……」
釼一郎は少し考えてから門番に訪ねる。
「では、片腕の男は誰か通りませんでしたか?」
「片腕? ああ、それなら下肥を取りに来た男が、片腕で大八車を引いて行きました」
釼一郎と左内は顔を見合わせ、門を飛び出した。
周囲を見回した釼一郎の目に入ったのは、待合橋の袂に置き捨てられた大八車であった。待合橋が架かる
吉原はゆうべの
「探してたおきぬさんは見つかりました?」
「見つかった、と言うべきですかね。
「あら、それは良かったじゃないですか。それとも、お目当ての娘が身請けされて残念でした?」
浦里は釼一郎の頬を
「そんなんじゃありませんよ……。おきぬさんの父親にことづてを頼まれたんです」
「あら、じゃあお父上は、身請けされることを知らなかったんですか?」
「ええ、知らずにね。旅立ったんです……」
「そう……じゃあ、どこの旦那が身請けしたんでしょうね?」
「それがね……。虎吉一家の親分が身請けしたらしいんですよ。そして世話をして、お父上の国許、多摩へ帰したそうですよ。親父の借金もチャラにしたんだとか」
「あら、
釼一郎は無言でうなずいた。
佐吉の死体を運んでいた虎吉一家の手下も、詳しく語らぬうちに牢の中で何者かに殺されていた。敵対する釼一郎たちを、虎吉は見逃すとも思えなかった。
利害、立場によって虎吉を悪く言う者、良く言う者は分かれる。ただの悪党でないところが、かえって恐ろしさを感じた。
善兵衛も簡単に悪人と片付けることはできぬ人物であった。
切支丹に生まれ、竹次郎という弟に
はたして、いずれの道が正しかったのか……。
眉間に皺を寄せて釼一郎は唸った。
「釼さん、また考えごと?」
釼一郎の顔に、浦里が顔を近づけた時だった。部屋の外から、
いつの間か、夜が空けていたらしい。辺りが賑やかになっている。
「あ、ここだここだ。へー、いい部屋だねえ。明五郎さん、おれたちとは大違いだよ。悔しいから起こしてやりましょう」
どうやら、昨晩も二人は
「釼一郎さーん、中へ入りますよ」
釼一郎と浦里は、慌てて布団の中へ潜り込む。二人は暗闇の中で小さく笑い合った。
―了―
さだめの唄 -つわものたちは江戸の夢- 第三部 和田 蘇芳 @otameshiKyotaro
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